第18話 寒いので


 翌日の晩、私は白虎院びゃっこいんの巣穴に入っていた。虎児を得るつもりなどさらさら無いというのに。


 白虎院の実家にて花茶が注がれたカップを手に取り、広がるほのかな香味を私の甘すぎた認識と共に飲み干した。てっきり生徒寮の客室で済ませると思っていたらあの高級車送迎だ。



「ふたりとも、いきなり呼び出してごめんね。婚約者候補を連れてこいって母に言われていて」


「あはは、ちょっとびっくりしたよ。それに、山ちゃんも来るとは思わなかったし」


「お断りしても日取りが変わるだけとのことでしたので」



 昨日踏み込んだ竜巻地獄からの勢いで、早足に済ませる道を邁進まいしんするのみだ。



「それで、御母様はどちらに?」


「キッチンで夕食の準備中。もう少しで支度できるかな」


「お母さんが作るの!? コックさんじゃないんだ」


「僕が帰ってきた時だけね。好物で出迎えるってはしゃいじゃって、……困ったものだよ、本当に」


「かわいいお母さんだね」



 恥じるような笑顔でうつむいてから花茶で喉をうるおす白虎院。つられて私も茶を流すと、やはり胃に来る。子煩悩の母親が素性の知れない婚約者候補をあてがう奇妙さが。


 この状況を楽観視できるのは超人だけだな、とカップを置く私の目線が白虎院と合った。



「母がどうして山中山さんを招いたのか……って顔だね」


「そう思う所はありますが、その理由は訊きたくありません」


「でも、山中山さんにも関係ある話だよ。少しは興味があるんじゃない?」


「今のところばれた背景に関心はありません。必要があれば直接お母様に質問させて頂きます」



 興味以前に恐怖の念を抱くばかりである。家庭の問題を解消するのに、無関係の高校生を関与させる大人など脅威でしかない。悪徳勧誘と同じで、話を聞くことさえが危険なのだ。


 つまり今日の私は蛮勇ばんゆういだいていると言える。母虎遭遇時の精神状態がバーサーカーでは死期は近づくばかりだ。この重事には慎重に慎重を重ねた重複表現を珍重する沈重さが重要であろう。







*****







 形式的な挨拶あいさつに続いて供された夕食をするに伴い、はずむ話が勢いを増して弾丸になるかのごとく飛び交い始めた。



「貴女達みたいな娘に、私の雪一を奪う権利なんかないわ」


「私のって、『物』みたいに! そう言われた雪一君の気持ちを考えてください!」



 名家の虎の子と腕利きのハンターが接する狩猟区域、それが私たちの食事するダイニングだ。若干一名、馬の骨未満の何かが干されているのは引き続き気にしないで貰いたい。



「仕事で家にいない主人に代わって、ずっと私が雪一を育ててきたの。母親の想いを……バカにしないで!」


「お母さんの想いじゃなくて、雪一君本人の気持ちを言ってるんです!」


「貴女なんかに雪一の気持ちは分からないわよ!」



 その当人は何も語らず笑顔を固めたままでいる。自らの心境を無断で盾にされてのほがらかさは純粋に不気味だ。



「だって、いつまでもお母さんが指図するなんて! 雪一君を愛してるなら、道を自分で選ばせてあげてください!」


「指図!? 子どもが間違った道に進まないよう導くのが親の愛よ!」


「……山中山さんは、どっちが正しいと思う?」


「どちらが、とおっしゃられましても」



 敵対的論調の二択を迫る獰猛生物群どうもうせいぶつぐんへ感じ入る正当性などない。対立を煽る選択肢は両者まとめて焼却処分としたいが、代案を求められた際に困る。



おもんばかる気持ちは、お二人に共通すると推察します。必ずしも二者択一で考えることはなく、ご自身にとって好ましい道を選べば良いかと」


「僕にはそれが分からない。自分にとってどうするのが一番いいのか、僕の気持ちが……分からないんだ」



 虎威を示すべき領域テリトリーでも虚仮威こけおどしとは。意志の主張もままならない弱心青年が跡取りでは白虎院家の先行きも不安であろうな。


 私はほとんど食べ終えてしまったクリームソースのドリアからブロッコリーをすくって口に運ぶと、こちらを睥睨へいげいする母虎に気付いた。何だ、私を噛み潰そうとでもいうのか。



「中途半端なことを言うのね、貴方は……!」


「そうだよ、ぼやっとさせて誤魔化そうとしてるでしょ! どっちの味方なのかはっきりして!」


「私には正当性が判断できません」



 ある意見と対立意見があった場合、少なくとも次の可能性が考えられる。


1. どちらか一方が正しい

2. 両方とも誤っている

3. 両方とも正しい

4. 正誤は論理的に判断不可能

5. 私が気付いていない上記以外の可能性


 ここでの分類は4であろう。


 現代の人権侵害事例ともいうべき『婚約者候補顔合わせ』の場において、語気を荒げるやからの熱弁を基にして、他人の気持ちなどという不確かな題材について、まともな論考が成り立つとは考えにくい。



「正しさじゃなくて、山ちゃんの気持ちを聞いてるの!」


「回答は差し控えます。不確かな気持ちだけで敵味方に陣営を区切ることは、私の本意ではありません」



 私が戦意を持つべき冬の陣があるのなら、それは期末テストと呼ばれるものだけだ。答案に無関係な未知なる精神論者との争いは避けなければならない。



「一点、私を婚約者候補に挙げる判断は、私も不審に感じています」


「特待生で学年首席の山中山さんにそう言われると、僕の立つ瀬がないな」


「それは単に校内テストで点を取る力を示すもので、私自身の良し悪しには直接関係ありません」



 白虎院家の描く婚約者候補が持つべき人間性を私は知らないが、少なくとも教科書や問題集に準拠するものではないはずだ。



「貴方は身の丈を少しはわきまえているようね。それに比べて……姫山さん、といったかしら。まったく生意気だこと」



 白虎院母はふう、とわざとらしくため息を吐いた。



「天門の血を少しばかり引いていなければ、見向きもされないでしょうに」


「皆してそうやってっ……! 私はわたしです! 今まで普通に生きてきたのに、いきなり血筋がどうとかっ! 生まれや肩書なんて関係ない! 山ちゃんだって、雪一君だってそう。みんな一人の人間なんです!」



 血筋はある血族集団の一員であることを示すに過ぎず、個人の良し悪しを断定するのは短絡と言える。姫山に関する新規情報はさておき、超人が論法をかぶせてくると私まで狙われそうで嫌になる。



「私たちの社交界では、一人の人間として見られることなんてないわ。愛してるの一言が欲しくたって、与えられることはないの」


「求めてばっかり。愛って、そういうのとは違います!」


「小娘が言い切れる単純なものではないのよ!!」



 対立する者同士が共感を求める言い合いがなおも続く。タダ飯のうまみを感じられる私はともかく、対角線上の男は苦渋と辛酸を舐める心持ちだろう。


 母親と招待客が自らをネタにして、生産性を微塵みじんも感じさせない虫唾が走る口論を続ける醜悪さ。これをおかずに飯を食わされては、腹が立つばかりか席を立ってもおかしくない。


 それでも彼はほとぼりが冷めるまで待つことを選択したようだ。ただ、笑顔を固めて持久戦への価値を見出すには、手料理はいささか温もりを失い過ぎていた。







*****







 不毛な言い合いで乾ききった顔合わせを終えた後、私たちは学校まで戻って来ていた。姫山と白虎院は生徒寮へ、私はいったん正門から裏手にまわり自転車を回収してから家路いえじににつく。


 あまりの無益さに重くなった足で自転車を押しつつ、冷たい風に運ばれる枯葉に遅れて進むと、裏門からの道沿いに白いスポーツサイクルが待っていた。



「もう日も暮れているから、近くまで送らせてよ」


もし・・を考えるなら、白虎院様の事件性の方が遥かに大きいと思われますし、そこまで気を使って頂かなくても」


「そう言われても、一人で帰すわけにはいかないな」



 日が暮れたとはいえ、熱血の部活等ではあり得る帰宅時間ではある。しかしながら押し問答のおかわりはもう沢山なので、大人しく送られることにした。





 帰路、黒ずんだブロック塀やびた看板を見かける辺りで自転車を降り、白虎院に向き直った。すぐ側の電柱から突き出た街灯が静かに夜を照らしている。



「お見送りありがとうございました。ここまで来れば大丈夫です」


「ありがとうは僕の方だ。今日は、……大変だったね」


「いえ、ご馳走になりありがたかったです」


「無理しないでいいよ。誰かの気持ちに振り回されるのは、とても、とても疲れるよね。僕はそれを、――良く知っている」



 ぼんやりとした明かりはむしろ表情を隠した。その背後を通る車のヘッドライトが晩秋の空気を押しのけるように通り過ぎていく。



「姫山さんが悪いと言っているわけじゃないよ。彼女は僕に大切なことを気付かせてくれた。あるいは昔話の天女みたいに」


「白虎院様にとって大切なこと、ですか」


「白虎院。そう、彼女と話をしている間だけは不思議と、白虎院の重さを忘れられた。そして僕自身が何者か気付いたんだ。それが、――どれほど虚ろなのかを。一人の人間である僕の魅力の無さに気づいたんだ」



 私はこの人間に魅力を求めていないし、寒いので早く帰りたい。



「魅力の有無は私にははかりかねますが、姫山さんとの少ない対話期間で新発見をなされたのは一つの前進です。さらなる交流の中で御自身の魅力を見つけることもあるでしょう」


「姫山さんはきっと、たくさんの愛の中にいる。そんな彼女と触れ合えば、この虚ろな心に何かが灯って、僕にも誰かを愛することができるかもしれない」


「良いと思います。それでは私はこれにて、」


「ただ最近、僕は考えるようになった。感情を動かさないでも、誰かを愛せるかもしれないと」



 眼鏡が向く見通しの暗い路地を、古い街灯の揺らぎがまるで幽霊のように取り巻いている。



「山中山さん。君を見ていると、どんな所にも道があると思えるみたいだ。僕と似た立場で君が何をするかを見ることができれば、感情を必要としない愛し方を見つけられるかもしれない」



 不健康なインスピレーションのみなもとをあらぬ所に結び付けた白虎院は、自転車にまたがろうとする私に穏やかに微笑んだ。



「天に昇る気持ちは無いけど、僕の下降に君を引きずり込んでみせるよ」


「迷惑に感じますので、私に注目しない道を模索して頂ければ幸いです」



 具体性に欠けるものの有害な意思表示であることは伝わってくる。空虚で透明な意思が引き続き何も生まないことを祈りつつ、私は自転車で帰り道を急ぐことにした。




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