§ 聖演会

第17話 問題のある話


 肌寒い晩秋のある日、朱雀宮すざくみやに一枚の紙を渡される。



聖演会せいえんかい、ですか?」


「ええ。私たち生徒会が中心になって企画する、生徒主体の演奏会ですわ」



 昨年は存在していないこの行事は、生徒主体を掲げる新生徒会の本格始動を告げる鐘の音である。



「山中山さんもご参加になって?」


「予定を確認しておきます」



 一方の私がこれから控える学期末テストの後にまず聴くのは、年越しを告げる除夜の鐘に他ならない。


 当校理事会の絡む可能性は低いとはいえ、行事である以上、時間と労力をうばい取られることは大いに想定される。まずは入手した開催要綱かいさいようこうを精査し、次いで周囲の動向を踏まえ私への影響をよく考えるべきだ。


 案内を机に収納する私に、朱雀宮が屈んで小声を続ける。



「それと山中山さん、今日の放課後のご予定はいかが?」


「時間によります。ここで話すには、都合の悪い内容ですか」


「ええ。ぜひ、私の家までお越しくださいな」



 折りたたんだメモを私に握らせて席へ戻っていく。何故、私が予定を伝える前にきびすを返すのだ。朱雀宮のセーターがとにかくほつれるよう呪う。


 精査するまでもなく、少なくともひとつの予想が容易につけられよう。私にとって嬉しくない話だと。


 朱雀宮のメモには時刻と住所が記されており、私の自宅付近に迎えを寄越よこす周到さが透けて見えた。したがって、これから別の予定を詰め込んだとしても、問題の先送りにしかならない。




*****




 腹を決めた昼食後の教室で参考書を読んでいると、私の席に白虎院びゃっこいんがやってきて、片手で机に体重を乗せた。



「ごきげんよう白虎院様、何か御用でしょうか」


「山中山さん、近くの放課後に時間貰えないかな」


「日時によります。今ここでは話し難い内容ですか」


「ちょっと、ここではね」



 四天王の輪唱は聖演会まで温存しておいてくれ。



「今日はあいにく予定があるので、明日以降の平日でしたら考慮致します」


「それじゃあ、よろしくね」



 教材に無駄紙が挟まれて心がげんなりする。


 学期末テストという聖戦に臨むただ一人の志願兵を前に、こいつらの気軽さといったら小学生が遊びに誘う感覚に近い。







*****







 よもや再び踏むことはあるまいと信じた朱雀宮家の玄関に、三足の通学靴が並ぶこととなった。そしてトルネード兄妹に連行された応接間には、トルネード父母が待ち受けていた。


 家具屋でもそうは見ないであろうソファに腰かけながら頭を悩ます。



 先ほどから、ちょっとした被害に見舞われていた。



“玄武堂家のはるかくんと婚約する気はない、君はそう言うのかね?”


“はい、ありません”


“それは、何故だね?”


“なぜなら、私は婚約する理由を説明できないからです”



 日本人の来客を外国語で応対するのが朱雀宮家のおもてなしか。トルネード父の繰り出す異国話への返事を吐き出す私には、差し出された紅茶を飲む余裕もない。


 そんな私を見かねたのか、トルネード兄が愛すべき母国語にて話をさえぎった。



「父様、ここは国語で話すべき場ですよ。山中山さんも困っている様子だ」


「ワォ! パパに口出すなんて珍しいわね」


「お母様、私とお兄様が招いたお客様ですから」



 ようやく紅茶に口をつける。高級そうな香りがするものの、貧乏舌には過ぎた品だ。


 母親似の兄妹よりも日本人風の顔立ちをしているトルネード父が、柔和に口を開く。



「試すような真似をしてすまなかった。せがれの婚約者にと考えたらどうしてもね」


「私のことはお気になさらず」



 こうも簡単に婚約者の話が出てくると、言葉の定義が私の想定と大きく異なる可能性も考えたくなってくる。冷めた表情の私に、外国人らしいトルネード母はわざとらしく驚いた様子を見せた。



「あら、クールな反応ね。リックとレイから聞いていたの?」


「いいえ。しかし、他の方からも似た話を聞いたことがあります」



 当校で名をせる四天王の一家ともなれば、もはや驚きはない。未成年者の婚約などという、時代を遡行そこうした先にあるこけむした岩のような慣行が現代に転がっていても。



「して、どう思うかね。りくの婚約者にとの話を聞いてみて」


「道徳的に問題のある話だと思います」


「ウーン、そうじゃなくて、貴女の気持ちを聞かせて?」


「ですから、道徳的に問題のある話だと思います」



 私は今、高校のクラスメイトの兄を婚約者にどうか、という話の感想を、その両親から求められているのだ。しかも、その兄と妹が同席している中で。徒党を組んで私を馬鹿にしていると言ってもらった方が明快にさえ思える。



 不快、たまらなく不快だ。



 面識に乏しい女子生徒をこのような魔窟まくつに追い込むことは、責任ある大人の所業として到底考えられない。



「リックのどこが気に入らないの? こんなにカッコいいのに」


「人となりがどう以前に、この時代において、高等学校に通う生徒を婚約させる話が、そもそも不合理だと考えています」


「君の言うことは正しいだろう。だが、現実の個々のケースでは、一般論や常識が通用するとは限らないのだよ」


おっしゃるる通りです」



 話し合う気も失せているので、引き下がって話を合わせる。



「そうは言っても、すぐには受け入れがたいだろう。まずは当事者の間、君と陸とで良く話してみると良い」



 結局、応接室には私と陸上型トルネードのみが残された。







*****







「嫌な役を押し付けてしまった」


「………。いえ、私こそ失礼な言動をしてしまいました」



 合わせて失敬していた菓子を茶で押し込む私の返答に対し、トルネード兄は首を横に振った。



「いや、流石さすがだった。何も知らないままで、僕の両親から直々にあの話を聞いても動じないとは」


「大きく動揺する理由はありませんでしたので」



 もはや戸口を叩く宗教家を相手にする感覚に近い。無駄な免疫を発揮する私に陸上トルネードは苦笑しながら姿勢を崩す。



「聞いての通り僕は、誰かと婚約させられようとしている。複数の候補者を紹介されたが、そもそもの話が僕には受け入れがたい」


「当然だと思います。それであれば今回はどうして、私をご両親の前に?」


「今までは、僕との婚約を確実にノーと言える女性に心当たりがなかった」



 経験に裏打ちされた強い自信が口ぶりから感じられた。一般には肥大化した自己愛が懸念されるところでも、当校に限って言えば無理もない話だ。



「今から言うことは、山中山さんだけに頼むことだ」



 人望厚き元生徒会長は立ち上がると、何を思ったのか私の隣に座り直した。真剣そうな表情が近い距離で映り、思わず身じろぎする私の手がそっと握られる。



「僕が卒業するまで、僕と恋人のふりをしてくれないだろうか」


「辞退致します」



 握られた手をさっと振りほどき身震みぶるいする。いつぞやの社交ダンスを連想して嫌な気分にさせられた。


 気持ち以外の面ではダンス特訓で世話になった手前、内容次第では協力もやむなしとは考えていたものの、こんなことでは論外だ。



「婚約を回避するなら、そもそも他人との接触自体を断つべきであり、仮面交際は不適切な手段だと思います」


「婚約者候補の女性ともなると、関係を断つのも一筋縄ではいかない。受験もある中で、少し疲れてしまった」



 荘厳華麗たる朱雀宮の長兄が、こうもうれいを帯びた息を吐くとは。


 これはつまり、冷静な判断ができる状態にない、と自ら吐露しているのと同義である。異常を抱える者の提案を安請け合いするのは単なる愚行であり、双方にとって不利益になるのが常と言えよう。



「私は自分の感情を信頼していません。仮面交際の過程で私が朱雀宮様をおしたい申し上げることも、十分に考えられます」



 単純な喜怒哀楽を押しとどめることさえが難しいというのに、太古の昔からうたわれる恋愛感情を制御できるはずはない。


 ましてやトルネード兄は常時から周囲の女生徒を桃色の旋風に巻き込んでいくような男だ。近くにいれば何かしらの影響を受けるのは当然に想定される。



「あと三ヵ月と少しの間に私の気が変わる可能性が大いに考えられる以上、いかなる約束事も交わせません」


「それを聞いて、やはり山中山さんを招待すべきだったと確信が持てたよ」



 そう言うなりトルネード兄はくすくすと笑って自己完結している。貴重な時間をいた私だけがわりを食った形だ。


 異常な風と距離を取りつつ、腹いせに茶菓子でも食べるかと思ったところ、すでに私には小皿が差し出されていた。なおも手早くカップに茶を注ぐトルネード兄により、優雅なティータイムが供される。



「恋人のふりをする必要はない。そう、山中山さんは何もしなくてもいい」


「ありがとうございます」


「僕が一方的にアプローチするだけだ。婚約者候補の、山中山さんに」



 ティーカップを持つ手につい力が入る。聞いていなかったのか、先ほどの話を。


 私が何かをしなくても、陸上トルネードの貴風に精神を吹き飛ばされて、恋なる深淵へと飛躍あるいは転落するのは想像に難くない。

 二月に来年度の特待等級審査がある私にとって、期末テスト前の精神的な揺れ動きは避けたいリスクの一つだ。



「私がお慕い申し上げてしまう、あるいはすでにそうなっている可能性を考慮すべきではないでしょうか」


「数ある婚約者候補達の中で、君だけがそう言って僕を避けようとする。――君だけは、僕をこばんでくれるかもしれない」



 カップをソーサーに置いた私の手を取り、あらがう力をものともせずに引き寄せると、あろうことか、トルネード兄は手の甲に口づけをしてきた。



「シャーリー、僕の愛しき婚約者候補。君は、僕に何もしなくても良い」



 頭の煮えた発言が飛び出してきた。



 眼前の失策男が描きたい構図は『トルネード兄は婚約したかったが、相手が拒否するのでできなかった』といったものだろう。


 名家を翻弄する空話からばなしが小娘の意向ひとつで解決できるとするのはあまりにも楽観的思考だが、理解できる部分もある。すなわち、私なら仮に婚約する羽目になってしまったとしても、後から切り捨てるのは他の候補よりも容易たやすい。


 考えを改める気はなさそうだが、最後のあがきとして、他の手段を提示してみよう。このアプローチでは、トルネード兄が自ら婚約を選ぶようになる形で問題が解消される。



「一つ提案を申し上げますと、姫山さんも適任かと考えます」


「僕の行為は僕の意志で決めることだ」



 駄目か、第二策最善策は。


 どうやら既に、私に言い寄ろうという謎めく決意を固めていたようだ。そして私を家に招きその決意を表明したのであれば、あとは執行を待つのみ。


 竜巻の制御は非現実的であるから、自分の感情が意図しない変調をきたさないよう祈るしかない。



「不安はありますが、お話はわかりました」


「わざわざ呼び出して悪かったね。菓子の残りは包ませるから、もって返ると良い」


「貰えるものでしたら、ありがたく頂きます」



 その後、やたらと私の手を巻き取ろうとするトルネード貴族への対応に手を焼きつつ、私は高級車で帰宅した。


 この調子で来られるとなると、冬休みのカレンダーも先んじて塗りつぶしておいた方が良さそうだ。昨日投函とうかんされていた激安バスツアーのチラシを精読するところから始めよう。




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