第16話 演説の技量


 嵐の翌日、朝一で寮の食堂を堪能した私は、ラウンジスペースで食後のカフェオレをたしなんでいた。



「山中山、貴様には聞きたいことがある」


「ごきげんよう、青龍寺せいりゅうじ様。聞きたいこととはなんでしょうか」



 台風は過ぎたのに四天王日和びよりが終わらない。


 青龍寺は仁王立ちして私を見下ろす。



「貴様はどういう意図で行動している?」


「質問の趣旨が分かりません。私の何が気に食わないのか、具体的に説明してください」


「くそ、こっちへ来い!」



 破壊的な力で腕を引っ張られて立たされる。どうしたのだアイスマン。よもや人の腕を脱臼させるような教育を受けてはいないだろう。


 そのまま階下の食堂の前まで連れてこられ、中を見るようにうながされる。



白虎院びゃっこいん様、朱雀宮すざくみや様、それに姫山さんですね」


かなでとあの二人はほとんど面識が無かったはずだ。それが何故今日になって食事など…!」


「単に昨晩の食事の延長では。とにかくここに居ると、他の利用者の迷惑になると思います」



 青龍寺は食堂をひとにらみすると、肩で風を切り空気をなぎ倒すかのごとくラウンジに向かっていった。



「おい、何をしている。早く来い」


「……承知致しました」



 話の早さがその歩く速度に匹敵することを切に願う。







*****







 再び二階のソファにもたれ、荒れ模様の青龍寺とあいまみえる。



「姫山さんが誰かと交流を深めると、青龍寺様に不都合があるという理解で宜しいでしょうか」


「不都合、不都合か」



 脅威の眼力を保ったまま口を歪ませてわらうアイスマン。台風一過の朝に見るには、いささか寒気が強い光景である。



「俺に、不都合はない――が、気に入らんな。あいつらが行動に出るとは、裏で糸を引いていた者がいたとしか思えん」


「それが私だというわけですか。確かに昨晩、白虎院様方のお話を伺う機会はありましたが」



 糸が絡んだ人形風情では、少し動いただけでもこんがらがった先が引かれてしまうらしい。



「やはりか。しかし、あいつらを動かして貴様に何のメリットがある」


「私が動かしたかはともかくとして、前提から意味の理解できない話だったので、損得は判断しかねます。私はただ話を聞き、その時に思ったことを口にしたまでです」


「そうか。ならば俺からも貴様に話をしよう」


「分かりました。理事長関連の概要は把握しているので、本題からで結構です」



 不可解な寓話が私の休日に侵入するのは勘弁願いたいので口をはさむ。青龍寺は表情を軽くほぐし、組んでいた腕を解いた。



「理事長の天女は山中山だ」


「駄目です」



 百歩ゆずっても私は非天女、謎の昔話とは独立な存在である。



「天女とやらの再誕を誰にするかは他人の勝手ですが、最低限、迷惑のないようにすべきだと考えます」


「うまく運べば校内の誰かに嫁ぐことになる。貴様にとっても悪い話ではあるまい」


「その爆弾ゲーム、負けるのは青龍寺様かもしれませんよ」


「理事長の戯言ざれごとなど、俺には関係のない話だ」



 私にも一切関係のない話だ。


 部外者の女生徒を生贄いけにえに捧げるのが氷の部族の文化か?



「俺は肩書しか見ない他の連中とは違う」


「そうでしょうとも。その上で、私をどうご覧になるのですか?」


「…いいか、山中山。俺は、貴様にしかできないことだと思う」



 得意の鋭利な眼光で私を突き刺すアイスマン。



「後ろ盾一つ持たずに数々の予想をくつがえし、なおも舞台に留まる山中山にしか、天門を出し抜くことはできん」


「出し抜くも何も、一般生徒と理事が関与する機会は無いのですから、放置でいいでしょう」



 虚妄の執念にとらわれた熱狂集団の予想する的外れな未来など最初から論外であり、常識を逸した天女伝説を共有する理由もどこにもない。



「貴様のようなタフネスの塊と同じ基準で考えるな。天門のてのひらで踊るには、かなでは純粋で、そしてもろい」


「私はむしろ豪胆な印象を姫山さんに持っていますが……」


「俺は以前から奏を知っている、――貴様らよりもだ。表面しか見ていないのでは、奏を理解できんだろうな」



 もちろん理解が及ぶはずがなく、脆弱な精神という割には豪壮な人脈を築く超人だと感心するほかない。


 言葉の氷柱を刺すアイスマンは、その先端から水滴を垂らすように呟く。



「今度こそ俺が、俺が守ってやらないと…!」



 複雑な思い出は当事者の心の内に秘めておくといいだろう。私の関心は青龍寺の過去などにはなく、「俺が守る」とのたまかたわらで、私を人柱として利用しようとする青龍寺の魂胆にある。



「姫山さんが面倒事に巻き込まれるのを心配されているものと見受けました。ただ、私を盾に仕立てるのはご遠慮願いたいですね」


「そう言うのなら、俺の邪魔をするな」


「どのような行動が邪魔に相当するのか教えて頂ければ。おそらく、私の観点のみではご意向に沿えません。

 私からすれば、白虎院様や朱雀宮様が姫山さんと親交を深めるのは、彼女の味方が増えるという意味で悪いことではないと考えられますし」



 飲みかけのカフェオレを空にする。


 カップを戻して目線を上げた私は、飲み干す最中に青龍寺を直視しなかった自分に感謝した。



 極度の低体温症におちいった人間は、体温調節を担う脳の視床下部の異常から、むしろ暑さをその身に感じるという。


 幻汗が伝う私の眼前には、暴狂の表情で敵を焼き尽くす化物が座っていた。



 ボイルマン、再臨。



「味方か…。かなでの味方は俺だけで十分だ。今になって奏の理解者になろうとは、虫が良すぎるな…!」


「そ、そうでしたか…」



 人間離れした執着だ。矛先が超人でなければ身が危ぶまれる。


 編入して一年も経っていない姫山との関係に遅れも何もないと思ったが、あの顔を見ると言い出せない。



「いいか、奏に余計な奴らを近づけるなよ」


「心に留めておきます」



 留めておけば良いだろう。大体、私が青龍寺を唸らせる人心掌握能力を有するのであれば、休日の朝をもっと有意義に過ごしているというのだ。内心でため息を吐いていると、独裁ボイルマンがソファから身を乗り出してきた。



「最後にもう一度聞くが、山中山。貴様はどういう意図で行動している?」


「私は無事に進級、卒業することを目標にしています」


「天門の意向を無視した貴様の行動の数々が、無事に繋がるとは思えんが?」


「それは来年度、結果で示します」



 学力特待生として当校に籍を置いている私が思うに、学力は学習により養成され、学習は自分の頭で物を考えることから始まる。


 もし、頭脳の劣化が加速する老人のうわごとを妄信的に追従する学力特待生がいれば、その生徒は既に退学への第一歩を踏み出している。



「ふん、金の亡者かと思えば、婚姻の機会を避けて目指すのが単なる卒業とはな。相変わらず読めない奴だ」


「実に明快ではありませんか。聞けば、伝説では“曇りなき愛”が重要だとか。それを――この私が?」



 私の心たるや、うごめく粘性である。



「…くくっ、ははは!! そう卑下ひげするな山中山、まったく面白い奴だ」


「結婚生活を維持するのも大変そうですし、それは手堅い方へ流れるというものでしょう」



 理事長の財宝を手にしたのなら、私など息をする間もなく切り捨てられて終わりだ。残りの人生の長さを考えれば、生活基盤を他人に求めるのはリスクでしかない。



「分かった分かった。時間を取らせて悪かったな」


「とんでもありません。ごきげんよう、青龍寺様」



 謎の無邪気な笑顔で鎮静化した青龍寺は、そのまま階下へ降りて行った。



 ようやく私にも台風一過が来るようだ。私は窓から覗く晴天を見やり、今度こそ大きくため息を吐いた。







*****







 生徒会選挙の投票日、私は投票直前の立候補者演説を、関係者席で聞いていた。


 玄武堂の代理人として活動していたため、ご丁寧にも現生徒会役員や立候補者と同じ最前に席が用意されていたのだ。クラスが違う連中とはほぼ馴染みが無く、一年の候補に至ってはまともに会話した機会すら怪しいにもかかわらず。



 さて、当校生徒会の役職と人数は以下のように定められている。生徒会長と副会長、加えて補佐以外の役職は、原則として一年生と二年生の二人が担う形だ。



生徒会長:一人

副会長:一人

会計:二人(各学年一人)

書記:二人(各学年一人)

庶務:二人(各学年一人)

補佐:一人



 今回の選挙では以下の生徒が出馬している。



生徒会長:トルネード妹

副会長: 猿芝居眼鏡(続投)

会計:御所車ごしょぐるま(続投)、一年の双子の片割れ

書記:渡殿わたどの(続投)、一年の双子の片割れ

庶務:アイスマン、一年の芸能人

補佐:クレイジーキャット、一年の外人



 例外的役職である補佐を除き、示し合わせたように定員通り。学園祭のミュージカルが毎年行われることから分かるように、立候補者が定員と同数なのは恒例である。


 私に言わせれば生徒会選挙など、あらかじめ計画された人員への信任投票に過ぎない。当校に染みついた病弊びょうへいの一つといえるが、今年度は玄武堂の出馬が電撃的であったためか、例外的に選挙の形式を成していた。



 しかしながら、一年の補佐立候補者の演説を聞く限り、当選は玄武堂とみて間違いはないだろう。



“ ―――, ―――. ――――――――”



 全編外国語でのスピーチとは一体何を血迷ったのか。



 当校生徒は全員が英才教育を受けているエリートではないので、彼の話す内容を理解できている生徒は半分いるかも怪しい。


 当校初の外国人役員として新しい力を云々うんぬん、といったことを一生懸命に喋っているものの、力を入れてもがくほどに深く沈み行く様相を呈している。


 演説を終え、反応の薄さから表情を硬くした彼に、伝統破壊者の先人として惜しみない拍手を送る。異国人には当校の水は合わなかろうが、溺れずに来年も頑張ってくれ。



「それでは次の立候補者は、玄武堂 はるかさんです。どうぞ」



 さて、玄武堂である。対抗の男が迷走のあげくに自沈したため、普通に原稿を読めば当選は確実。


 特に今回の玄武堂は、私に原稿のチェックを依頼するという機転を利かせてきた。意外にも意味の通じる日本語で構成されており、私はそのままでも演説にたえうるとして返却していた。



「ぼくは前まで......生徒会にきょうみ...なかったけど...行事とかでるようになって...いろいろ......気づくことがあって...」



 しっかりと聴衆を見据える玄武堂。口調はいつも通りでも、私達の知るクレイジーキャットとは違う、威風堂々とした態度に仕上げてきている。



 まったく驚かされる。休んでいる間に何か転機があったのか? 補佐が必要なのは玄武堂なのでは、という私の疑念をも見事に解消する名演説に膝を打つしかない。



「ぼくも...みんなと学校を......たのしくしたいから...!」



 いや、違う。


 冷静に比較すると、演説の技量でいえば先の一年生の方が段違いに上だ。


 なまじクレイジーキャットと接していた分、私の基準が甘くなっているのだ。理解可能な日本語を喋るだけで評価が上方修正される程度には。



 どう考えるにせよ、知名度で勝る玄武堂の当選は揺るがないとする私の予想もまた、揺るぐことはない。







*****







 予想に違わない結果の生徒会選挙の開票が終了した帰り道、私は公園に自転車を止めた。



 陽が落ちつつある深い青に暮れた空、雲が秋風に棚引たなびいて流れる。街と空の境界に描かれた鮮やかなオレンジと薄い紫のグラデーションの上、夜の青に染まる空には、半分欠けた夕月がぽっかりと浮かんでいた。


 古びた木製のベンチはひんやりとしていて、身体の熱がゆっくりと放たれていく。


 天板から垂れ下がるへちまはもう茶色く、周囲の木々から落ちる葉が風に巻かれて乾いた音を立てている。


 私はベンチに深く腰掛け、両手足を身体の前に大きく伸ばして深く息を吐いた。そして過ぎゆく季節のなか、今晩の献立こんだてなんかに思いを巡らせたりするのだ。




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