第15話 吹き荒れる空模様


 当校生徒寮にある文字通りの大浴場にて長湯する私の隣に、朱雀宮すざくみやが入って来た。



「お隣よろしくて?」


「どうぞ。玄武堂げんぶどう様は落ち着かれましたか?」


「ええ、姫山さんがおだやかに取りなされて。級友の私よりもよほど心を通わせていらっしゃいましたわ」


「傑出した能力だと思います。玄武堂様の思考には私も追いつけません」



 何度も評するように、超人である。コミュニケーションに関してまともな比較を得ようというのが烏滸おこがましい。


 花鳥祭で当校の綺麗どころを制覇し、生徒会絡みの学園祭ミュージカルを手伝い、生徒会選挙に立候補する一年生の外人とも交流を深めているらしい超越者とでは。



「あら、玄武堂さんとは、山中山さんも選挙活動でご一緒されているでしょう?」


「むしろ、意思の疎通コミュニケーションが図れていない事実を如実に表すものです。打合せの一つすら無い状態でしたし」



 ただし今回の玄武堂は、私の想定をくつがえす目覚ましい活躍を見せた。具体的には、干渉かんしょうを全くしないことで作業の円滑化に大きく貢献した面で。



「それでしたらなおのこと、必要な役割を担われている山中山さんは素晴らしいですわ」


「私なりに進めただけですから、まだ不安もありますよ。私自身の評価にも直結するとの話もあり、先生方に結果をどう捉えられるか」



 朱雀宮は片手で湯をすくい、指の間からこぼれるのを見ながら息を吐いた。



「山中山さんの能力は誰しもが認めるところです。それに引き換え、私はいつまでも期待に応えることができず――」


「それは、難しいですよね。いくら朱雀宮様に能力があっても、成功の可否が他人の期待で判断されるというのでは」


「いえ、私は所詮しょせん、女の身でありながら兄を真似るだけの模造品に過ぎないのです」



 朱雀宮までも気が沈んでいるのはどういうことだ。台風接近で低下する気圧でもあるまいし。



「ようやく与えられた私だけの役割さえ、私にとっては、あまりにも、あまりにも…!」


「何があるかは良く存じませんが、想いを話すだけでも楽になると聞きますよ」


「……ありがとう、山中山さん」



 花鳥祭で手を借りた恩義がある手前、話を聞くくらいはしてもいいだろう。苦悩する朱雀宮に対し、普段より広い風呂にひたる私は気分に優れる。



「これは、ずっと以前から私達の家に伝わる話なのです――」



 今夜は狂信の風さえも吹き荒れる空模様だ。







*****







 哀れな民話を日に二回聞くことなど、そうはない経験だろう。



「女性の朱雀宮様には関係ないでしょう。天女を仮定したとして、結婚するには現時点で行政上の困難が存在します」


「ええ。むしろ、私に与えられた役割は、他家が天女と結ばれるのを邪魔することにあるのですわ」



 人生を空費するだけの、積極的に唾棄だきしてしかるべき役割である。



「悪役ですか。おびえるまでに非生産的な行為を強いるとは、随分ずいぶんと思いきった方がいらっしゃるものですね」


「何かを生むものではなくとも、兄の妹としての私ではなく、私自身に初めて与えられた役割なのです」



 うつむき水面を見詰める朱雀宮。揺れる蒸気が彼女の表情を隠した。



「しかし、これではあまりにも、あまりにも私が滑稽でしょう…!」


僭越せんえつながら、それだけ真剣に考えていらっしゃるだけでも、朱雀宮様は御立派であると思います」


「……お優しいこと」


「もし私だったら、手を引くか抜くかするでしょう」



 自嘲気味なつぶやきから一転、こちらを向いてぽかんと口を開ける朱雀宮。


 驚くことがどこにある。誰でも回避をまず考えるだろう。さい河原かわらに準ずる無益な苦行や、朽ち果てた民間信仰による火炙りの生贄いけにえからは。



「意外ですわ。常に全力の火を灯す山中山さんでも、そんなことをおっしゃるのね」


「いつも火達磨ひだるまでは湯船にも浸かれません」



 確かに私は、日々の生活で爪に火をともしている分、当校生徒の誰よりも火事場に慣れている自負はある。ただし、当校生徒の私があらん限りの全力を振り絞る先は、勉学をおいて他にない。



「他人から見た自分は、自分が考える自分と違う。“四つの窓”ですわね」


「朱雀宮様も、役割とやらを与えた方に勝手に思われているのかもしれませんよ。他人の仲を平然と引き裂ける人物だと」



 一説によると、自己は四つの領域に区分できるという。


 自分と他人の両方が知る、オープン。

 自分のみが知る、ヒドゥン。

 他人のみが知る、ブラインド。

 誰も知らない、アンノウン。


 私のように自分のヒドゥンと他人に対するブラインドの比率が大きい者は、会話に不都合が出やすい。今時珍しい熱血女と評されたのも、オープン領域が狭いためだと解釈できる。



「山中山さんも、私をそうご覧になる?」


「いいえ。逆に仲を取り持つことについては、当校で最良だと考えておりますが」


「あら、それは…私の兄よりも?」


「私から見ればそうです。そもそも私と生徒会長が会話するまでに至ったのは、朱雀宮様のご紹介あってこそです」



 猛威をもって私を巻き込む竜巻が何を言っているのだ。このトルネード貴族はコミュニケーションの場に私を引きずり込む点で、自発的に人脈を築く姫山などよりも厄介である。


 仮に朱雀宮を伝説再現に組み込むなら、トルネード兄と姫山の距離を縮める仕事をきつけた方が賢明だと私は考える。



 中空を見据える朱雀宮はまだ風呂が長そうなので、私は入浴を切り上げることにした。



「それでは朱雀宮様、私は先に上がらせていただきます」


「ええ、ごきげんよう。山中山さんとお話できてよかったですわ」



 一般に、コミュニケーションにおいて自己のオープン領域を広げるのは大切である。一方、他人の評価を問題としない私の場合、最低限で対話を切り上げても良いと考えた。


 ましてや台風が迫っているのだから、窓は閉めておくのが常識である。







*****







 大浴場から部屋に戻る途中、廊下に濡れた跡が続いていることに気付いた。


 誰かが嵐から帰ってきたのだろうか。



 廊下の角を曲がった先、全身ずぶ濡れの玄武堂がリュックサックを胸に抱えて仰向けに倒れていた。



「!?」



 私は声を抑えることに奇跡的に成功し、一歩下がって角に隠れた。


 玄武堂? 何だあれは。ここは女子棟だぞ。


 ひとまず、寮監に一報入れるべく引き返すとしよう。



「どこいくの...」


「っ! 女子棟に男子生徒がたおれていると連絡に」



 曲がり角から上半身だけを出して、逃げ行く私を呼び止める玄武堂。雷鳴が鳴り響き、窓の外が明滅した。



「ぼくも行く......」


「分かりました。私についてきてください」



 どうせ理解できないならここに居る理由は後だ。寮の責任者に全てを押し付ければ済む話である。



「シャーリー.....おこして」


「置いていきますよ」


「うぇぇ...」



 腕を伸ばす玄武堂は捨て置き足を進める。私の移動目的は報告であり、不審者を連行することではない。



 正面玄関エントランス近くの寮監室に出向いたものの、インターホンを鳴らしても誰も出てこなかった。この部屋におびただしくカビが生えるよう呪う。



「連絡がつかないので、私は帰ります。玄武堂様もお気をつけて部屋にお戻りください」


「こんなとこ知らない......ぼくの家...どこ...?」



 さっきまでお泊り会がどうだのと息巻いていた男が、今やリュックサックを抱いて震えている。大浴場に放り込みにいけば大問題だ。どうするか。



「......さむい...さむいよ」


「それだけ濡れていれば無理もありませんね。何か拭くものを借りてきます」


「...うん」



 きびすを返した瞬間、私の肩に掛けてあったバスタオルの感覚がなくなった。



「ちょ、ちょっとそれ私の!」


「うん...たおる」


「はぁぁ、……」



 雑巾を口に入れる乳児を見るような気分で私は目をおおった。この生命体にどう対応すればいいのか、皆目見当がつかない。







*****







 未使用のタオルを追加で何枚か拝借はいしゃくしてきたところ、寝巻に着替えて縫いぐるみを抱く玄武堂と、濡れた服がはみ出たリュックサックが床に転がっていた。


 問題は無い。状況にまったく問題はない。


 今回は私が至らなかっただけだろう。玄武堂のリュックに入浴セットが入っていた可能性に。



「解決されたようで何よりです。ごきげんよう」


「そうだん...」


「相談?」


「さがしてた...シャーリー...」



 相談窓口なら他を当たった方がよい。相談とは、ほとんど塗り固められている私の窓枠を通して行うべきものではないからだ。しかし玄武堂は立ち上がって私を見下ろし、言葉を続けた。



「へーい...そこのかのじょ......おちゃでも...のも?」


「飲みません。ええ、ですから玄武堂様、女子棟についてこないで貰えますか」



 去り行く私に追従する玄武堂は、この寮がエントランスを境に左右に分かれている理由など何処どこ吹く風だ。


 部屋まで追跡されかねないと判断した私は、玄関横の寮監室前から正面の大階段を上がって再度ラウンジスペースにおもむいた。



「私に相談とのこと、端的に内容をお聞かせください」


「ぼく...シャーリーとけっこん...するの?」


「しません。玄武堂様も力強く拒否してください」



 ぬいぐるみの服を作っただけで、よくもまあここまで発展したものだ。玄武堂は机に乗せた猫のぬいぐるみと一緒に、ゆっくりと首をかたむけた。



「てんにょのはなし...しってる?」


「概要でしたら、今日聞いた所です」


「シャーリー......おしえて」


「玄武堂様もご存知ですよね?」



 名家の一族に連綿と受け継がれているとのうたい文句だったはずだ。



「あのはなし......ぜんぜんわかんない」


「伝説の天女の生まれ変わりと結婚した者に、莫大な富が約束される。そう記憶しています」


「てんにょで......うまれかわりって...なに」


「定義がなく分かりません。私は古人の空想と解釈しました」



 どうしたことか、玄武堂の指摘が至極まともである。



「シャーリーがてんにょだったら......けっこん...なんでしょ」


「私が亡霊に取りつかれているかどうかを、判定する方法は存在しません」


「ぼくも...いったけど......きいてくれない...よ...」


「問題を解決しましょう。彼らが前提とする妄信が崩せないのなら、私以外の人間、例えば姫山さんを天女としてください」



 今、民話の天女一人に対して、生まれ変わりの候補として姫山と私の二人が存在する。姫山が天女の生まれ変わりであることを示せば、消去法で私は部外者となり、私と玄武堂の間に敷かれた仮設線は切断される。



「ふじゅうぶん、てんにょ...ひとりじゃないかも」


「一人の人物が二人にはならないでしょう」


「たとえば...ふくそかんすうw = √z...ひとつのzに......へんかく...Argumentはふたつ...だよ」


「なるほど。一人の天女を二人に対応させることは、十分に考えられる話であると」



 論理的だ。例えが妥当かは私の知識では判断できないが、玄武堂の言い分は非常に論理的だ。論理があれば話が通じる。惜しむらくは推論の前提が狂っていることか。



「では、ここは天女以外の人物、非天女を導入しましょう。私は非天女の生まれ変わりです」


「自由なはっそう......でも...てんにょ...ひてんにょ...りょうほうの...うまれかわり...かも」


「それはもはや天女の生まれ変わりではなく拡張になるため、結婚する条件から外れるとやや強引に解釈します」



 玄武堂は猫の縫いぐるみに拍手させた。


 あとは、私が非天女の生まれ変わりであることを示せばよい。天女の生まれ変わりは、予言書の記述により特定されるらしいので、新しい予言をでっちあげて解決する。



「私の知る予言Bの伝承から、私が非天女の生まれ変わりであることを主張します」


「ぼく...シャーリーとけっこん...しない?」


「絶対にしてはいけません」



 私がほがらかに答えると、玄武堂はのそりと席から立ちあがった。



「......ばいばい」


「お気をつけてお帰りください」



 デカい猫の縫いぐるみに手を振らせてから、玄武堂は階段を下っていった。




 私は玄武堂に十分な距離を歩かせるため時間をずらしてから部屋に戻った。




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