第14話 高額な宿泊施設


 気象の台風が迫りつつある金曜日午前の終盤、私を嵐に招いた濡れ猫が教室の敷居しきいをまたいだ。唐突な玄武堂げんぶどうに、さしもの当クラスと言えど多少のざわめきが生じる。



「イワぁン......おくれちゃった」


「わかりました。着席してください」



 岩見数学教員は、噴飯もののニックネームさえ意にも介さず授業を続けた。


 授業が終わると心無い教育機械が無言で教壇を後にする反面、心ある人間の何人かが玄武堂の席に集っていく。私は心無い人間なので、弁当を取り出すことすらも後に回して教室を脱した。



「あら、山中山さんはどちらに行かれたのでしょう?」


「教科書も片していないなんて、よっぽど急いでたんだろうね」


「逃げ足の速い奴だ」


「......ん」



 視界の外から聞こえてくる猛烈な勢力を尻目に、便所シェルターに逃れる。そう何度も巻き込まれてたまるか。腰を落ち着けつつ指を組んで時を待っていると、校内放送が流れ始めた。



 ――外部通学の生徒に連絡します、至急職員室まで来てください。繰り返します、外部通学の生徒は――



 シェルターでは防げない戦略攻撃を受け、私は非常に重い腰を上げねばならなくなった。







*****







 呼び出しの後、朱雀宮すざくみや玄武堂げんぶどうに召し取られて校内レストランへ。個室にはすでに白虎院びゃっこいん青龍寺せいりゅうじが控えており、渦巻く名家四天王を見た私は心象の嵐にも注意報を出した。



「みんな早かったね。ああ、山中山さんも一緒なんだ」


「どんな話だったんだ?」


「......おとまり会」


「夕方から台風が近づくでしょう? 万一に備えて、私達も寮に泊まるようにとのことですわ」



 窓を叩く風雨は帰宅を諦めるものではあるまいに、過保護なことだ。大した理由もなく外部通学の生徒を寮に泊めようとするのは当校の因習の一つである。



「ほう、やはり山中山は無視したのか?」


「いえ、今回は例外的に寮費を日割りで請求されないということで、」


「隠さなくてもいいですわ。玄武堂さんがいらっしゃった折、来週の本投票に向けて活動を引き継がれるのでしょう?」


「ちがう...」



 玄武堂が椅子に座って猫の縫いぐるみを抱きながらつぶやく。



「おとまり会......だよ」


「そうなんだ。山中山さん、そのお泊り会では何をするのかな?」


「存じません。私は生徒寮を利用するのは初めてなものでして」


「おかしたべながら......おしゃべりする」



 交流という概念に最も遠かった男の吐く台詞せりふではない。眼前のアイスマンも目を見開く驚きぶりである。



「変わったな玄武堂。貴様が俺たちと話をしたいと言う日が来るとは」


「そういう青龍寺だって、前よりも話しやすくなったよ」


「山中山さんも変わられましたわ。花鳥祭への参加をはじめ、玄武堂さんの選挙活動の代理を任されるまでになられましたもの」



 変化は私自身ではなく周囲に見られている。具体的には私を巻き取る四天王に。



「朱雀宮さん、玄武堂、それに山中山さんは寮生じゃないから、みんなと親睦しんぼくを深める良い機会だね」


「たのしみ......」




 生徒用グランドホテルとも言うべき高額な宿泊施設を無料で利用できる観点においてのみ、私も楽しみである。







*****







 その日の夜、夕食を共にすることで親睦しんぼくを深めたと思われる私たちは、そのまま解散する流れとなった。なお、生徒寮の一室に夜かしのため集う、などといった無謀な案は当然許可されていない。



生憎あいにくのお天気ですけれど、皆さんとゆっくり話すことができて良かったですわ」


「れいか......おとまり会...」


「それでは名残なごり惜しいですが、私はこれにて」


「シャーリー......おとまり会...」


「大人しく諦めるんだな」


「...うぅ」


「はるか君、そ、そんなに落ち込まないで」



 青龍寺が連れてきた姫山が世話係として良く機能している。ごね回る玄武堂は彼女らに任せ、食堂から出て二階へ上がるところ、白虎院がついてきた。



「山中山さん、ラウンジに行くの?」


「利用できる設備は一通り見ておこうかと」


「意外だなあ。山中山さんはすぐ部屋に戻るものだとばっかり」


「なかなか生徒寮に来る機会はありませんからね」



 無償でコーヒーや紅茶が供されるとあれば行かねばなるまい。特に飲みたいわけではないが、せっかく無料の恩恵があるのだから享受しないと損だろう。



「僕も一緒に行っていいかな」


「私にお話が?」


「相談が、ね」



 白虎院の眼鏡がシャンデリアの明かりで怪しげに光る。一方階下では机に突っ伏す玄武堂を三人がかりで引き起こす様子が展開されていた。



「私でよろしければ、御一緒しましょう」


「よかった、ありがとう」



 短時間で済むという予想のもと、白虎院と茶を飲むことを選択した。







*****







 ラウンジはセルフサービスらしく、パックの麦茶しか扱えない私に代わって白虎院が紅茶を入れた。



「砂糖はいくつ?」


「三つお願いします」



 ソファに沈み込む私の前にティーカップが置かれた。他の生徒たちに遠巻きに見物される中、白虎院に話をうながす。



「私にご相談があるとのことでしたが」


「うん、でも、複雑な話でさ。どこから話せばいいかな…」


「白虎院様が話しやすいようにして頂ければ」


「そう?」



 白虎院は一口だけ紅茶を飲み、カップをソーサーに戻す。



 ふぅ、と息を吐くと、ゆったりとした口調で静かに語り始めた。



「これは、この学校ができるよりも前から、僕たち四家に伝わる話なんだ――」



――

――――


 その昔、天門という男がいた。


 ある日、天門は薄汚れた物乞いの女が迫害を受けるのを見つけた。お人よしの天門はその物乞いを家に招き入れ、甲斐甲斐かいがいしく世話をやいたそうだ。


 やがて天門はその女を娶ったが、周囲の反対を押し切った駆け落ち同然の暮らしは厳しいものであった。


 ある日、女は天門に聞いた。自分と結婚しなければもっといい暮らしができたはずなのに、どうして汚れた物乞いの女を選んだのか。


 天門は迷わずこう返した。僕は君を愛している。綺麗に澄んだ心を持っている君は、汚れてなんていない。


 曇りなき愛を注がれた女は、実は神が遣わした天女であった。


 天門の心に感動した神の御力により、二人はみるみるうちに莫大な財を築きあげ、生涯を幸せに暮らした。そして彼らの子孫は長い時代の中で今日こんにちまで繁栄を誇っている。


――――

――



 白虎院がおごそかに民間伝承を語り始めたのには危うく茶を吹く所だった。



「天門と言えば、理事長の苗字ですよね。皆さんの一族には、そういう口伝があるわけですか」



 完成度としては子どもが自製した紙芝居を聞く感覚に近いが、息の長い家ではこのような御伽話おとぎばなしの一つや二つあってもおかしくはないのであろう。



「そしてさらに、天女の記した予言の書っていうのがあるんだ。予言書によれば、うちの学校に天女の生まれ変わりがやってきて、その子と結婚した者に莫大な富が約束されるってね」


「夢のある話ではあると思います」



 すすけた予言に応じて金を生む天女がよみがえるとは、生物学についての致命的な誤解の産物である。精神主義の外においては荒唐無稽こうとうむけいな言説としか言いようがない。



「その夢を追う人がいるんだよ」


「そういった夢遊病者は、医療の力に任せるのが良いかと」


「ふふ、それがそうもいかない。なんたって、この学校の理事長だからね」


「はあ…」



 両手を広げて妄言を吐く白虎院。いかに耄碌もうろくして棺桶かんおけに片足を突っ込んでいる理事長とはいえ、そんな脳のしおれた方法で墓穴を掘りにいくはずはないだろう。



「まあ、こういっても信じられないだろうけど」


「当然ながら信じがたい話です」


「ただ事実として、天女をめとった家から天門家の財宝を受け渡すって誓約書まで出しているんだよ。ほら、理事長って正式な後継者いないから」


「その夢遊びに付き合って、皆さん探していらっしゃるわけですか? いるかどうかもわからない天女の生まれ変わりとやらを」



 天女の生まれ変わり自体が異常であるから、何をしようにも無意味な空騒ぎとなる。信じられた話ではないものの、ひとまずは健全な思考を冒涜ぼうとくする当校のカルトとして流すことにした。



「天女の候補は、姫山さんか山中山さんかで予言書の解釈が分かれているよ」


「私で無い事を祈ります」



 天女の候補、そんなものは誰でも同じである。


 生まれ変わりであると確かめるには、結婚して富が得られなければならない。しかし結婚するには、天女の生まれ変わりであることを確かめなければならない。


 理事長の誓約が循環を逃れられない浅薄な出来であることは明白で、論理性の欠落を誤魔化すために、解釈によって変わり得る笑止な予言にすがりつくしかないのだ。



「それはそれとして、そろそろ本題に入りましょう。お茶が冷めきらないうちに」


「察しが良くて助かるよ」



 白虎院は下を向きながらローテーブルのガラスを手のひらで撫でた。







*****







「天女を、姫山さんを手に入れるのに必要なものを、僕はもっていない」


「必要なもの、とは?」


「愛――、愛だよ、くもりなき愛」



 どうしてこう耳がかゆくなる話ばかりなのか。



「曇りなき愛という概念が意味する所を私は存じませんが、そんな茫漠ぼうばくとしたものは無くとも良いのでは?」


「僕もそう思っていたんだけど、姫山さんも夕食の時に言ってたじゃないか。結婚は絶対に好きな人同士と、って」


「ああ、確かにそうでしたね」


「でも、僕には人の好き嫌いってないんだ。分からないんだよ。僕にとっては、全部同じだ」



 自嘲するように乾いた笑いをこぼす白虎院。嫡男ちゃくなんが人間不信に陥っているようでは、理事長の児戯に付き合うまでも無く白虎院家に未来はないだろう。



「だから、山中山さんが僕と結婚してくれない?」


「は? わたし?」


「協力してくれれば、それ相応の対価を払うよ。僕自身にも、それなりの稼ぎがあるんだ」


「っ……」



 払われる金額を聞きたいのをこらえ、紅茶を一口。


 惑わされるな。風化した漫談に基づいた儲け話などあるわけがない。嫌がらせ、もしくは新手の詐欺の手口とみるべきだ。



「地方怪談の儀式じみた話を受け入れることは、到底できません。少し、冷静になられた方がいいと思いますよ」


「冷静だって…? 冷静だとも! もう、これしか無いんだよ!!」


「わ、落ち着いてください。大きな声を出されると皆さんの迷惑になります」



 立ち上がって声を上げる白虎院をなだめる。周囲の注目を浴びるような真似をするとは何を考えているのだ。



「ごめん……」


「いえ。しかし、あのような白虎院様は見たことがなかったので驚きました」


「僕の中身なんてこんなもんさ。ずっと自分を押し殺して生きてきて、気付いたら、自分の気持ちさえ分からない欠陥品になってた。人を踊らせる策略家みたいに思われることもあるけれど、雰囲気を取り繕っているだけなんだよ」



 今も浮かべるその笑顔は、虚無を隠す処世術だったという。



「人を好きになれる気なんかしないのに、理事長の話は動きだしてしまった。誤魔化すのも先延ばしにするのも、もう限界だ。だから、そういうの気にしない山中山さんに、行くしか、無いんだ……」



 右手で顔半分をおおって自虐気味に項垂うなだれる反面、鉄面皮てつめんぴの私を苦し紛れの非常手段であると見下す根性を見せる。この男、どこから本気なのかさっぱり分からない。



「ねえ山中山さん。僕を、助けてよ」


「諦める必要はどこにもないと思います」



 妄想老人の短慮な誓約ごときに弱気を見せる白虎院の心中を察することはできない。しかしながら、このコケ脅し眼鏡が垂れ流した嘘くさい悩みは、ほぼ確実に杞憂きゆうであると言える。



「今からでも姫山さんと交流を深めていけば大丈夫でしょう」


「誓約の期限は来年の三月で、時間はないんだ。それに言っただろ? たとえ交流を深めたとしても、人を好きになれない僕を、好きになる人なんて」


「残り四か月でこれから解決しましょう。私たちはまだまだ成長できます。彼女は魅力的ですから、好きな所をたくさんみつけることができると思います」



 姫山は転入して二ヵ月強で永久凍土のアイスマンを解凍し、常軌の外に生息する宇宙猫を手懐てなづけた超人である。


 独演猿芝居眼鏡の心がどれだけ深い虚無の地にあっても、全く問題とせずに恋の種を育て上げるだろう。早ければ年内にでも、白虎院が背景に幻花を咲かす姿が期待される。



「姫山さんのような方と交流するのは、白虎院様も初めての経験でしょう? 人間関係には多くの可能性があります」


「山中山さんみたいな人も僕は経験なかったけど」


「私は勉強に時間を注ぎ込む必要があり、他人の事情に尽力する余裕がありません」



 特に、空虚な思いつきで自滅の道をひた走る理事長に付き合う時間はない。



「相変わらずだね。……今日はありがとう」


「ごきげんよう、白虎院様」



 茶番、白虎院の相談はこの二文字に集約された。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る