第9話 頼むから


 予定通り登校した月曜日の昼休み、私は学内レストランの個室スペースにて弁当を食べていた。大きな窓からは中庭の風景と忌々いまいましく晴れた空が覗いていて、休み明けを痛く照り付ける日差しを室内に取り込んでいる。


 純白のクロスが敷かれた円卓には、百虎院びゃっこいん御所車ごしょぐるま渡殿わたどのの生徒会三人衆がそろって料理を待っており、私はにぶいアルミの弁当箱と口の間で緩慢かんまんに箸を動かしていた。



 先の一学期、花鳥祭の後に会った面子めんつと同じだ。ただ、季節が変わった今日は空調の駆動音がやけに耳につく。



「えっと、山中山さん、身体の方は大丈夫なの?」


「はい。コンディションを整えるのに少し時間はかかりましたが、今はなんとか」



 気配りの男、渡殿わたどのにより絡みつくような空白が解かれた。



「本日は、病み上がりの私に何の御用ですか?」


「よく言うぜ、どうせ仮病だろ」


御所車ごしょぐるまくん!」


「山中山さんを呼んだのは、ミュージカルの衣装係のことなんだ」



 普段通りに得体の知れない笑顔を浮かべる百虎院びゃっこいん



「すでに岩見先生に辞退すると伝えております」


「まあまあそう言わずに、話だけでも聞いてくれないかな」


「私などに構うよりも有意義な時間の使い方があると存じますが、聞くだけでしたら」


「チッ、いちいち気に入らねえな……痛っ、おい何すんだよ飛鳥あすか


「御所車くん、静かにね」



 仲良し二人組のじゃれ合いを一瞥いちべつした百虎院はこちらに向き直り、紙を一枚机に出した。



「これについてどう思う?」


「これは、写真ですか。そうですね、肖像権に関して懸念があると思います」



 映っているのは先日のフリーマーケットに出没した縫いぐるみ売りだった。言うまでも無く私だ。はたから改めて見ると滑稽こっけいな表情も相まって、正視に耐える代物ではない。



「おいおい今更強がるなよ。全校に知れ渡ってもいいのか? 普段勉強しかしてねーガリ勉ちゃんが、休日にはかわいい縫いぐるみ屋さんに大変身してるってよ」


「本当はこんなことしたくはないんだけど、どうしても山中山さんにも手伝って貰いたいから――ごめんね?」



 息を荒げこちらを見下ろす御所車、上目遣いに視線を送る渡殿、かわらずほほ笑む百虎院、そして仏頂面の私。



「どれだけバラ撒いて頂いても結構です。何でしたら加工もお好きに」



 この格好で外を闊歩かっぽしていた時点で完全に手遅れだ。


 そもそも、私に恥や外聞がいぶんで意志を変えるような繊細さがあれば当校にしぶとく在学していない。そんなことは少なくとも同じクラスの白虎院は知っているはずだ。それが何故こうも無益な行為に時間を費やすのか。



「話が終わったのなら、私は戻ります」


「話は終わりだけど、せっかくだから一緒に食べない? ちょうど僕たちの食事も来るみたいだし」


「お気持ちだけ頂戴いたします。ごきげんよう」



 私は白虎院の誘いを謝絶すると、食べかけの弁当箱をまとめにかかる。



「ね、ねえ山中山さん。どうしてそこまでかたくななのかな?」


渡殿わたどの様、辞退する理由は以前も申し上げました通り、私にとって荷が重い役回りだからです」


「重いかどうかなんてやってみなくちゃ分かんねーよ。それに、そんな重圧なんか跳ねのけられないようじゃ駄目だろ」



 ブルドーザーは頼むから現場に帰ってくれ。



「駄目な私を説得するよりも、他に適任をあたることを強くお勧めします。皆様、ごきげんよう」



 私は台詞を捨てながら、二度と入ることはないであろう個室から退いた。


 内心では「二度と話すことは無いであろう生徒会役員の皆様」にごきげんようと言いたかったが、クラスメイトの白虎院がいては難しい。二度は入らないだろうレストランの御部屋おへや様というのが、昼下がりの落としどころだ。







*****







 時代を感じる二人の女子生徒に捕まったのは学内レストランを出てすぐのことだ。


 二人は他クラスの生徒で、選択科目のグループワーク以外で会話するのはこれが初となる。しかし貴重な昼休みを無益に割く奇特な生徒が多いこと。お疲れ様ですとしか言いようがない。どうせ今後の機会には恵まれないというのに。



「――いったい貴女どういうつもり?」


「生徒会の方々のせっかくのご提案をお受けにならないなんて」


「いま申し上げた通り、個人的な事情を抱えております。その点ご理解頂ければ幸いです。それでは」


「ちょっと!」



 話を手早く切り上げて彼女達の横を過ぎると、威勢の良い方に呼び止められる。しつこい奴らだ。



「まだ何かございますか?」


「山中山さん、貴方はおかしいと思わないの?」



 そうこぼしながら歩く彼女は、渡り廊下の欄干らんかんに片手を置く。うって変わって寂し気な横顔で、つい、と目線をやった先、中庭の向こうにはさっきまでいた尋問部屋の窓が見える。



「さして今まで交流の無かった方々が、どうして貴女に興味を持っているのか」


「本当に興味を持たれているかは別として、私はあの姫山さんと同じように公立中学の出ですから、それが関係しているかもしれませんね」



 もう一人も、ゆっくりと欄干らんかんに向かっていく。床材を鳴らさない程の滑るような歩調で、ほんの数歩。たおやかな彼女は同じく渡り廊下のへりに手を置きながら、振り返らずにぽつり、ぽつりと声を出した。



「それだけで、あの方々が直々にお誘いするでしょうか?」


「はあ」



 屋外の渡りにいると、ひさしの陰でも汗ばむのを感じる。まだまだ厳しい残暑だ。彼女たちの背景には濃い緑の広がる中庭がレストランの窓まで広がっている。風が草木を揺らしながら吹き抜けて来る。



 生暖かい空気が私の頬を撫でて、後ろに消えていった。



「ねえ山中山さん、貴女は何にも御存知ないでしょう?」


「――確かにその通りです」


「お聞きになりたいことがあれば、放課後にカフェテリアにいらっしゃって?」


「私が知る必要はありません。ごきげんよう」



 興味は無かった。







*****







 放課後、当校裏門に停めてある自転車のカゴにかばんを放り込む私。



随分ずいぶんと早い帰りだな」



 背後からの害声にハンドルを握る手が力む。今日は特にアクシデントが多い。



「ごきげんよう青龍寺せいりゅうじ様。本日は所用のために急いでいる次第です」


「そうか、車を手配してやろう」


「自転車がありますので」


「後で届けさせよう。そうすれば時間が取れるな?」



 大股で踏み込んでくるアイスマンに精神的にも物理的にも詰められる。隙をついて逃走するには私の運動能力が足りない。奇声を発して混乱の境地に持ち込む手もあるが、ここは腹をくくるべきか。



「あ、いたいた。青龍寺、ちょっと待ってくれる?」


「――白虎院、その自転車はどうした」



 なぜか、生徒会庶務のご登場。白く輝くスポーツサイクルを押して参った白虎院はそのまま私の横に車体を並べる。見事に精錬されたデザインだ。これと比較すると私の愛機は河川敷に不法投棄された粗大ゴミに近い。



「山中山さんは僕とサイクリングに行く約束をしているんだよ」


「何だと?」



 そんな約束を取り付けるわけがないことなど、私をにらむまでも無く明らかだと思う。


 しかし、私にとっては渡りに船といったところ。実態はただの不審船でも、どこぞの監獄船に乗るよりも遥かにマシといえよう。粗大ゴミみたいな救命ボートも積んでいける。



「それでは失礼致します」


「じゃあね青龍寺、また明日」



 私たちは凍てつく視線を無視して裏門を出た。




*****




 回転する車輪の音と残暑が気にさわる帰り道。白虎院は後ろにぴったり追従しており、私は話を聞くために寄り道を提案した。



「少し休憩してもよろしいでしょうか」


「もちろん。近くにお店はあったかな」



 その眼鏡は飾りか? 眼前の案内表示が示す自然公園がなぜ選択肢に上がらないのだ。たかが休憩に金を払ってたまるものか。



「自転車で来ていることですから、この先の公園に参りましょう。学校関係者はいないでしょうし、一応は話ができる場所もあります」


「へえ、良く知っているね」



 私はフリーマーケットの出店で来たことがある。この自然公園は里山の保護を目的としているとかでやたらと広く、やや薄汚いものの休憩施設も用意されており、しかも無料で利用できる。


 当校生徒がまず来ない優れた施設に向かうべく、私たちはペダルを漕いだ。



「学校の近くにこんな場所があったんだね。静かで落ち着けるよ」


「それは良かったです。それで、あのサイクリングは一体何だったのでしょうか」



 社交辞令を流し、話を促す。



「ちょっと二人で話をしたくて。校内ではさっきみたいに邪魔が入ることもあるし」


「聞かれて困る話があるとは思えませんが、何のお話でしょう」



 ロッジ風な休憩室にて笑顔のままの眼鏡と相対する。私といえば疲れて崩れた姿勢の上、水で冷やしたタオルを首に巻く暑苦しさだ。


 白虎院は切り出しのウッドテーブルを手のひらで軽くなでながら続ける。



「夏休みの終わり頃から、僕たちの家や生徒会に、学園の理事が変に口出ししてくるのに困っていてね。山中山さんに、あるお願いをしたいんだ」


生憎あいにく、私にできることはないかと存じます」


「そんな大層なことじゃないよ。山中山さんには、学園祭のミュージカルに参加しないで欲しいのさ」


「そうでしたか。本日申し上げた通り、出ることはありません」



 貴重な昼休みに人を呼び出しておいて何を聞いていたのか。私は断固として参加を拒絶する決意を表明している。



「このような場でなく、昼食時におっしゃって頂いても良かったのですが」


「僕にもいちおう、白虎院家としての立場があるんだよ。僕たちに関わる信じられないくらい面妖な背景、山中山さんにも教えておこうか?」


「いいえ、結構です。お話が終わりならこれで解散と致しましょう」



 当校理事と四天王家をとりまく陰謀を知る意義はない。私はミュージカルを避け、来年二月の特待判定に向けて学力向上に注力するだけだ。



「ああそれと、姫山さんについて何か気付いたことがあったら教えて欲しいな。仲が良いみたいだしね」


「仲がいいかどうかは。白虎院様も彼女に興味が?」



 立ち上がり際に姫山に言及する白虎院。当クラスが誇る名家四天王も続々と人脈に組み込まれている。さすがは超人であるな、と納得していると、笑みを維持する百虎院の目が異様に細まっており、拳が握られていることに気付く。


 珍しい笑顔を目撃したと同時に、私は虎の尾を踏んだ可能性に焦った。



「――まあね。なんでだと思う?」


「好奇心は猫を殺すという言葉もございます。今の質問は無かったことに」


「山中山さんが猫か。それは可愛らしい」


「ね、猫のひたいのような部屋に住んでいるもので」



 本命は姫山についてだったか。あまりにも迂闊うかつだった。青龍寺から逃れて安心している場合ではなかったのだ。


 この男は昼休みに遭遇した生徒会役員や女生徒達とは違う、クラスで最も底の見えない、底の無い男なのだ。その深淵から繰り出される問題の厄介さは聞くに及ばずだ。



「情報の管理には責任が伴います。もし重大な秘密であるならば、外部には漏らさない方がよろしいでしょう」


「驚かせちゃったかな。別に何でもないんだ。本当に、大したことじゃない」


「小心者をいじめないで欲しいですね」


「あはは、小心者か。何にしても姫山さんのことは頼むよ。彼女は僕たちの大問題の、中心的な存在になるかもしれないから」


「……」



 九死に一生を得たのか、単に手のひらで転がされたのか。いずれにしても、私の活力は下降の一途を辿った。家まで送るとの親切心に対しては首を横に振って帰った。




 その後落ち着いた頭で考えた結果、百虎院は無視しておけばよいと気づいた。超人姫山の秘密が何であれ、まさか犯罪の片棒を担がされるわけでもあるまい。


 姫山には私からは関与せず、とにかく学園祭ミュージカルの衣装係という悪ふざけの過ぎたポストを回避することに専念するべきとの方針を改めて決定した。



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