第10話 学園祭一週間前に


 翌日の昼、私の席に影が差す。私は弁当箱の入ったかばんを掴んだ手を止めて目でその影を辿った。


 アイスマン、やはりこのタイミングで姿を現したか。



「山中山、多用の所悪いな」


「シャーリー......ごはんたべよ」


青龍寺せいりゅうじ様、玄武堂げんぶどう様、ごきげんよう。わざわざ御食事のお誘いをありがとうございます」



 昼休憩を雑務に費やすのを今日で最後とすべく私は立ち上がった。眠たげな顔つきの男の追加は誤差と考える。この程度の誤差は、伝播でんぱしたところで一人の超人を導くだけなので無視できる。







*****







「――それで、この昼食会は、何の目的で開かれたのでしょうか」


「昼食会!? あはは、大げさだよ山ちゃん」



 聴取を受けるべく再訪した尋問部屋にて導かれし超人が笑うが、仲良くお昼ごはんなどと表現できる居心地ではない。その主たる要因は、彼女の隣に鎮座ちんざする青龍寺様の両目から頂戴しているアイスビームにある。



「山中山、白虎院びゃっこいんとのサイクリングは楽しかったか?」


「え、そんなイベントあったの!?」


「昨日の帰り道で、学園祭の運営を担う生徒会庶務の白虎院様から直々に、ミュージカルに出ないよう勧められただけです」



 四天王にもなると、クラスメイトと自転車を走らせるだけでもよおし物呼ばわりされるらしい。難儀なことだ。



「シャーリーの役......だいほんに...かいてあるけど...」


「はい?」


「はるか君それ言っちゃいけないやつじゃない? いいの?」


「良いだろう。どちらにせよここで言う予定だった。しかし白虎院の奴、どういうつもりだ……?」



 狂い切った予定を立てている自分をまず問いただしたらどうだ。



「冷静に考えてください。学園祭は来週の金土日ですよ。私は歌劇の内容を全然、まったく、一切存じませんし、今から成功にたずさわることは不可能です」



 まだ先週であったら、正気を疑う練習を大前提とした成功への道筋もあったかもしれない。ただ私は先週末まで欠席するほどに調子が悪く、誠に残念ながらその道を選ぶことができなかった。



「これは理事長直々じきじきの命令でもある。できませんという答えはない」


「できません」


「や、山ちゃん。そこは言うとおりにしといた方がよくない?」



 いったい何が良いのか、超人ではない私の頭脳では理解できない。ここは人間的思考から繰り出される論理というものを示してやろう。



「まず理事長直々の命令というものに疑問が呈されます。学園の運営を担う理事が生徒個人単位に干渉してくる奇妙さを百歩譲って許したとしても、教育現場に直接介入するならば、それは会議などの形で理事会全体の承認を得るべきものです。それが何故、理事長直々の命令という独裁的な名目で降りてくるのか。そもそもそれ以前の話として、私は生徒であって教職員ではないので、当校の運営方針・・・・に従う義務はありません。むしろ、背景に疑惑のある難しい案件を安請け合いすることは、当校の求める生徒像からはかけ離れたものになると解釈できます。品行方正たる当校の生徒として、応じられません」



 人をにらんで要求をのませるヤクザ的手法には詭弁きべんをもって対抗する。青龍寺家の嫡男ちゃくなんといえどたかがクラスメイト。おびえを外に出すまでもない相手のはずだ。おそれを抱え込め。



「貴様、これまでどれ程の例外措置を受けてきたかも知らない身分で、生徒像を盾にできると思っているのか?」


「どのような例外措置においても、例外なく責任者の承認が得られているはずです。そうでないのなら、直ちに監査役員に投書する必要があります」


「あの、山ちゃん。今から台本変えるのはみんなに迷惑かかるし……」


「代役という現実的手段があると考えます」



 ため息も出ない鈍重たる空気の中で弁当を突く。


 岩見担任からの受け入れがたい電話では私の役まわりは衣装係だったはずが、何やら私の配役が台本に記載されているらしい。わずかな情報すら錯綜さくそうしているこの状況で、誰が成功像を描けるというのだ。結像されるのは悲劇でしかない。



「シャーリーは、ぼくたちのこと......きらい?」


「え? あ、いや、その、今は玄武堂様方に対する好き嫌いではなく、参加命令に対する不信感を述べています」



 眠たい仕草でフォークを遊ばせる玄武堂に図星を突かれて面をくらった。人間の機微きびうとそうなこの男が、アイスマン単独に募らせている私の嫌悪に気を及ばせてくるとは。



「だって、シャーリーなら......うまくできるのに」


「はい?」


「しらばっくれるな。有り余る能力を持ちながら、何故それを活かそうとしない」



 片手で机を叩くアイスマン。幻覚を生じているのか?


 私のどこに、ミュージカルの役を務めるに適した能力があるというのだ。



「外部生の身で主席に居続ける才能がありながら、定期試験以外の気の向かない事柄では手を抜くなど俺は認めん」


「特に、手を抜いているつもりは」


「ふん、今までは見向きもしなかった花鳥祭がいい例だろう」


「山ちゃんダンスしたことないって言ってたのに、綺麗に踊れてたでしょ。すっごいなーって思ってたの!」



 精神が吹き飛びかねない酷烈な指導を受けた結果なのだ、あれは。



「さらに花鳥祭の練習に時間を割いた上でも、貴様は試験で主席の座をゆずることはなかった。裏を返せば、本来貴様は大した時間もかけずに当校トップの成績を維持できるというわけだ」


「ぼくもがんばったけど......シャーリーより高い点...とれなかった」



 睡眠を含む休憩時間を削ってテスト対策にあてたのだ、こっちは。



「あのですね、ペーパーテストで求められる能力は、」


「貴様が手芸の技術で金を稼いでいる証拠も押さえてある。学業以外における才能も合わせ持っていることは明らかだ」


「すごくよかった......!」



 十年も針と糸を扱っていれば小遣い程度稼げるだろう、それは。



「山中山、貴様には能力があるはずだ。様々な事柄を短時間で習得できるという、他人にうらやまれ、ねたまれさえする程の才能が」


「山ちゃんは目立たないように隠してたんだろうけど、山ちゃんの力が必要なんだよ」


「ぼくもこういうの...にがてだけど......いっしょにやろ」



 私を受け入れるかのような温和な空気がただよっているが、こいつらの言い分が曲解とこじつけの終着点にひねり出された珍解釈であることは論をまたない。


 よくもここまで捻じ曲がったおかど違いのアイディアを露呈するに至ったものだ。私は彼らの不毛さに対して哀れみを禁じ得ない。



「誤解があるようですね。私は、それ相応の時間と労力をかけて物事に取り組んでいます。それは岩見先生か、あるいは花鳥祭については朱雀宮すざくみや様に聞いて頂ければ確認できると思いますよ」


「山中山、一体いつまで逃げているつもりだ」


「私は前に進んでいるつもりです。私の言葉では信用が足りないでしょうから、岩見先生か朱雀宮様にお聞きになってください。私に一週間でミュージカルの役回りを完成する才能があるかどうかを。私からは以上です、ごきげんよう」



 怒りのボイルマンは、横で唖然としている超人が冷却してくれるはずだ。







*****







 震える後ろ手でドアを閉め、ため息をひとつ。


 ボイルマン、あれは生徒のする表情ではない。午後の授業に用いるべき精神力を相当削られた。


 ひとまず、岩見担任とトルネード貴族を緩衝材かんしょうざいにしたことで乗り切れるだろう。楽曲すら知らないド素人がミュージカルの演技を一週間で習得できるとは誰も思うまい。


 仮に嫌がらせを目的に実行指示ゴーサインが出たとして、また仮病でも何でも使えば良いことだ。




 脱出した足で渡り廊下を進み職員室に向かう。岩見担任に素早く根回しをせねば。



「ねぇ...」


「ひゃっ」



 中庭から校舎に入った所、すぐ後ろに玄武堂がいたことで変な声が出た。いつのまについてきたのだこのクレイジーキャットは。



「玄武堂様、お二人を置いてきてよかったんですか?」


「ぼく...もうたべちゃったから」


「そうですか」


「シャーリーはぼくのこと...きらい...?」



 前の期末テストでこの男に追い込まれたことは記憶に新しいが、フリマで金を落としてくれた客でもある。青龍の刺客と比較すれば無害な人物だ。


 それにしても、先刻さっきから他人からの評価を気にしているのは飼い主の影響なのだろうか。人間関係に興味を示すような男とは認識していなかった。



「普通ですよ。特別、嫌いというわけではありません」


「この子の服...つくって」


「それは、学園祭と関係なく?」


「......? うん...シャーリーはミュージカル...でないんでしょ...?」



 不思議そうに首をかしげながら、いつもの猫を両手で前に出す玄武堂。



 どうやらミュージカルと独立した経緯のもうけ話のようだ。このタイミングで依頼してくる思考回路は読み解けないものの、金を得られる可能性を見送る手はない。



「満足が行くか保証はできませんが、費用を頂ければ作成致します。それと、何か希望のデザイン画などあればご教示願います」


「ぼく、この前の子が着てたやつがいい...!」


「わかりました。サイズ等は学内通信でフォーマットを送るので、入力して返信してください。製作にかかる費用と時間はその後に相談致します」


「うん......よかったね...セット」



 抱きしめた大きな猫の縫いぐるみと会話を繰り広げ続けるファンタスティック・メルヘンは放置し、職員室へ向かう。







*****







「岩見先生、少しお話が」


「どうしましたか」



 食後の紅茶をたしなみながら感情無き対応をする岩見担任に、一連の出来事を報告する。



「なるほど、そうでしたか」


「私に対する暴力としか解釈できません」


「青龍寺さんにも事情があるのかもしれません。私から話を聞いておきます。何か問題があればまた報告してください」


「ありがとうございます」



 学園祭一週間前にこの話をされてまゆひとつ動かさない淡白さは驚愕の一言。



「先生、今回の件、私のことで何か問題が起きているのでしょうか」


「少なくとも私に話は来ていませんから、問題はないでしょう」


「そうですか」



 降りかからない火の粉に無視を決め込むスタンスは、これからも積極的に学びとっていきたい。




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