第11話 幕が下りる


 学園祭初日の午後、生徒会出演のミュージカルを観劇し終えた私は、幕が下りるのを盛大な拍手で見送る。


 岩見担任が雑務をこなしたのか、特に事もなく逃げ切ることができた。欠席してまで駄々をこねた甲斐かいがあったというもの。

 そして、夏休み中からアイスマンがほざいていた参加命令とやらを回避し終えたことで、私はようやく憎しみを捨てることができたのだった。



 さて、ミュージカルの感想を言えば、見応えのある出し物だったと思う。



 学内で人気を誇る生徒が一堂に会する豪華キャスティングが特徴の本演目。穿うがって見れば素人の大所帯という破滅的不確定要素とも取れるが、出演者の歌唱・演技力は生徒の心を大きく動かす域に達していた。


 絶妙な存在感で舞台を創り上げる名優達が、生徒の眼前にどれだけ輝いて見えたことか。とりわけ最終楽曲フィナーレでは衝動と繊細さを両立させた完璧な仕上がりを観せ、大講堂に鳴り響く拍手は未だ鳴りやんでいない。



 ひるがえって、劇の内容については例年からストーリーが改編され、実績ある脚本からの脱却が志向された。伝統の中で最適化されてきた脚本、当校の生徒が代々にわたり捧げた時間の集積に挑んだ大作家は、一体何者なのか。



 私はパンフレットに目を落とす。



『脚本:天門 藤二』



 失笑がこぼれる当校理事長の名前である。



 理事長ファンの方には大変申し訳ないが、私は今回の脚本には何ひとつ魅力を感じていない。最悪の学芸会に特徴的な、破綻はたんを極めた独善的ストーリーの一方的押し付けを、この上なく愚かな形で表現した脚本だ。


 私の理解できた範囲であらすじを整理すると次のようになる。



 ――正体不明の宝石箱の行方と共に進行する、国家の未来を脅かす大いなる陰謀を巡るファンタジー作品。中世風の王国にて、成人を控える王女が不可解な異変に遭遇する。

 パーティーの最中に謎の魔術師から呪いをかけられたユリアナは、異世界からやってきたパン職人のジュウベイに助けを求めるが――。



 前半だけみればどこかにありそうな童話的ファンタジー作品だ。正体不明の宝石箱が、物語の鍵を握っていると推測できる。


 ところが後半、異世界からやってきたパン職人、という香ばしい役回りにより話が妙な方向に膨らんでくる。


 ここらで焦げ臭い雰囲気が漂うが、なんとこの作品では、パン職人のコンクールなるものがあり、異世界の技術で優勝を目指して、という話まで練り込まれているのだ。


 その上舞台に名乗りを上げてくるのは、王国騎士団だの流浪の詩人だのといった、およそ小麦やライ麦を主原料とする食品のコンクールと関係の無い異物ばかり。


 こんなものに学園祭の時間枠で収拾をつけられるはずがない。炭化あるいは腐敗の予想は現実と化し、ストーリーは完璧に破綻した悲惨な形のまま幕を迎える。


 そもそもの話の主題が定まっていないため、序盤のパーティー会場で勢揃せいぞろいする登場人物がほとんど生きてこない。


 結局は中盤以降、彼らに白けた駄弁だべりで尺を浪費させたあげく、全く脈絡なく挿入される、物語と何の関係もない歌唱パートで切断的に場面を転換して退場させるチカラの構成が続く。


 序盤で時間をかけて仕込まれた宝石箱や呪いの伏線を消化する余力などありはしない。当然の帰結として、脚本の杜撰ずさんさのみが明るみに出ていく無様な謎解きが展開されることとなった。


 こうなると、脚本家の計画性が圧倒的に欠落しているとしか思えない。その点を踏まえて推察すると、理事長の薄ら寒い執筆アイディアが浮かび上がってくる。



 パンドラの箱。



 すなわち、パンドラの箱という慣用句、好奇心で開けた箱から災厄が振りまかれたという神話のエピソードに、食品のパンを掛けただけという幼稚な思いつきだ。


 この哀れな材料のみで独自の味を出そうと書き進めたものの、人数や時間が決まっている中で話が焦げ付いてしまい、何とかコンクールの話だけ焼き上げようとしたと考えれば一応の説明がつく。


 もちろん、理事長という責任ある立場の人物が、このようなどぎつい無能を露出してくることは考えにくい。


 しかし、話が進む毎に作者の底の浅さが露呈されていく脚本の性質から、私は当ストーリーが焼きの回った老人の能天気な道楽から吐き出された代物しろものだと結論した。



 さあそして、この災厄の詰まった毒性ステージのどこに、私が関与する余地を探しだすことができよう。


 一説には、開かれたパンドラの箱に最後に残ったのは希望だったという。


 当演目に残された希望、それは豪華絢爛なキャストの名演に他ならない。その輝かしいラインナップに、生焼けもはなはだしい私を陳列することは、最後の希望さえも絶望に帰す最悪の試みと言わざるを得ない。


 要は大作家様がキナ臭い息をかけなければ、事前に面倒な連中の対処に気を揉む必要もなかったはずなのだ。


 これまでも特待生の評価基準を突如改定するといった働きをしてきた理事会に、より一層の不信感が募る。まずは理事長家の庭に大麻草が自生すればいいと思った。







*****







 学園祭最終日の午後、私は人気ひとけの無いクラス展示の受付を漫然まんぜんと務めていた。


 花の高校生が日曜日に登校することはまず考えられないが、目下もっかのところ学園祭である。咲くにも時と場所を違えると草刈りの対象になりかねない。



「山中山、ここにいたか。クラス展示に協力とはご苦労なことだな」


青龍寺せいりゅうじ様、ごきげんよう。これは当クラスの一員としてすべきことですので」



 首狩り族が出現。閑散とした教室にやいばの緊張が走る。



百虎院びゃっこいんは一緒じゃないのか」


「学園祭の運営を担う白虎院様が、わざわざ私に構う理由も時間もないでしょう」


「ふん、今回はあいつと貴様にしてやられたからな。また何かをたくらんでいないかと様子を見に来ただけだ」



 他人の幻の企みよりも、自分の脳の仕組みに斬り込むべきだと思う。私と白虎院をまとめて考える思考回路を切断してくれ。



「私は白虎院様の深いお考えは聞いておりませんし、何かを企てたという事実はありません。ただ、青龍寺様がそうおっしゃるのであれば、疑念を持たれないよう気を付けます」


「口ではそういうが、どうだかな」



 閉ざされた氷の部族長と根暗な高校生に意思の疎通など望めはしない。彼はいつも何かと戦うことしか考えていないのだ。



「ならば、次の生徒会選挙はどうする」


「選挙? もちろん、私の関与は投票のみとお考えください。他の生徒と同じことです」


「何だ、聞いていないのか?」



 眼光を緩めて意外そうにつぶやくアイスマン。


 私は情報社会では氷の大地より末端に位置する。だから、私に話が来る頃には事態はすでにややこしくなっているのだ。面倒な話ではこの傾向は顕著けんちょに表れる。



「貴様にも立候補権が与えられている。だからこそ歌劇へ参加するよう命令があった」


「――何ですかその話は。誰ですかそんな頓珍漢とんちんかんな案を出したのは。もう嫌ですよ、私ばっかり」


「ふっ、貴様の眉間のしわも取れることがあるんだな」



 氷河のクレバスみたいな眉間でにらんでくるアイスマンが何を言い出すのだ。ミュージカルに対して意地を突き通したことで私の気は晴れているものの、くつくつとわらう青龍寺の態度には苛立いらだつ。



「はぁ、今年度は気が重くなることばかりですね。まあ、私の退学などが絡まない限り選挙に出る気は特に無いので、ご心配はいらないと思います」


「実際に貴様がどう動くかは良く見させてもらおう。しかし、人並みに動揺するとは、少しは人間らしい所があるじゃないか」


「青龍寺様は、私のことをかなり誤解されているように思います」


「そうだな、誤解していた。貴様はなかなか面白い奴だ」



 邪魔したな、と教室を後にするアイスマン。先日の会話でボイルマンを爆誕させたこともあって緊張していたが、意外にも平和に事が済んでよかった。


 被選挙権については無視だ。義務ではなく権利であることに注目すれば、何の強制力も無いことは自明である。







*****







 後夜祭なる日曜日を最後まで吸い取らんとする儀式は無視して帰路についた。



 道中の公園に自転車を止め、古びたベンチに腰掛けて深呼吸をする。



 ほの暗い青空に金色が差している。長く入ってくる光の束が昼と夜の隙間に作る、夕暮れだった。


 園内の木から伸びた影が砂場に深い陰影をつけている。頭上を見上げれば、格子状の天板には夏に茂っていたへちまが実をらせており、まだ温度の残る風に身を任せてゆったりと揺れている。


 蜂蜜はちみつ色の夕日の中で、私は腕を左右に広げて背もたれに乗せながら、しばらく移り行く季節を感じた。




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