§ 生徒会総選挙

第12話 手芸の世界が


 ある日の放課後、玄武堂げんぶどうが私の席にだらけた姿勢で収まっていた。



「シャーリー、お茶終わった......?」


「茶道の補修のことでしたら終えた所です。それよりも、そこは私の席ですよ」


「......ん!」



 私に伸ばした両腕の先には大きな猫のいぐるみがぶらさがっている。



「どうされたのですか?」


「おねがい...」


「はい?」



 うるんだ目で私を見詰める玄武堂。放課後の私に何を課そうというのだ。



「......ううぅ...ぅぐっ...」


「え? ちょっと、誰か呼びましょうか」


「ふぐぅぅぅ...!」



 突然泣き始めたクライングキャット。


 当たり屋じみた迷惑さに一喝いっかつ入れて帰りたいのはやまやまだが、あろうことかスカートのすそを掴まれている。思わず辺りを見回すも、この時間帯の教室に救いの手は無い。熱心さを見せた茶道の指導員に呪詛を送る。



「――なるほど、縫いぐるみの製作依頼の件でしたか」


「ぼく......できなくて...」



 泣き止むまで放っておいてから話を聞いてみると、やはりというべきか、先日依頼のあった縫いぐるみの服についてだった。学内通信で送ったフォーマットを埋めることができずに泣いていたとのこと。


 実にくだらない理由に疲れが増加する。



「玄武堂様は校外から通われているのですから、採寸と数値の入力は御自宅の誰かに頼めばよろしいでしょう」


「かなでが......ひとりでやらないと...ダメって」



 短慮な発言にしぼり取られる私の労力。姫山の部屋の空調から異臭がただよえばいいと思った。



「泣くほど取り組んでもできなければ仕方ありません。よろしければ、私が明日にでも採寸致しましょう。私は姫山さんから特に何も言われていませんから」


「いいの…?」


「私はうけたまわります。服を作成する材料費さえいただければ」



 補足するまでも無いことだが、材料費は割増しで請求する。







*****







 翌日の放課後、私は玄武堂に拉致らちされた。



「シャーリー......やくそく...」



 などとのたまう怪猫に手首を握りこまれての連行。寝耳に水どころかダム決壊だ。


 奴の細腕は私の枯れ枝よりは力があったようで、私は氾濫はんらんした河川にのまれて滝に落ちた。なお、滝つぼは玄武堂家の送迎車に通ずる。


 下校時でにぎわう正門広場だというのに、事なかれ主義の指示待ち人間コースを爆走する群衆は問題行為を止めに入らない。幅を効かせる白リムジンから覗く私が呆然と見送られてゆく。



「シャーリーの......家までおねがい...」


「あの、何で私の家に? 採寸はどこでもできますよ。私は校内で済ませるつもりでしたし」



 この男は迷惑という概念を知らないのか。力技で連れ回す先が私の家とは到底受け入れられない。



「なんで......?」


「わざわざ移動するのは手間ですから。とりわけ私の自宅ともなれば駐車場も無いですし、運転手さんも困るでしょう」


「よっしー......そうなの...?」


「私は別の場所で待機して後ほどお迎えに上がりますので、問題はございません」



 老年の男も玄武堂性を有していた。お抱えの使用人なだけある。



「それと私の家庭の事情なのですが、親が来客を嫌がりまして。無許可では難しいですね、非常に」


「そうなんだ......じゃあよっしー...ぼくたちのうち...」


「それは、玄武堂様のご迷惑になるしょうし、学校に戻っていただいた方がよろしいのでは」


「だいじょうぶ...!」



 抱える縫いぐるみの腕を軽く上げながら答える玄武堂。重質化する私の心をものともせず、車は目的地へと進んでいく。







*****







 寮生活を営む能力を持たない玄武堂は、使用人と別荘べっそうに住んでいるとの話を聞いたことがある。一方、車から降りた私の眼前には、重厚な作りのお屋敷が構えていた。当校生徒の別荘の定義は広い。



「ここ...ぼくのへや」


はるか様、シャーリー様、後ほど飲み物をお持ち致しますので、どうぞごゆっくり」


「お構いなく。玄武堂様、さっそく始めましょう。早く採寸すれば、それだけ早く製作に取り掛かれます」



 両親は不在とのこと。茶が出てくる前に終わらせて見せよう。



「ここ...すわって」


「ベッドでは作業がしにくいので、私は床にします」



 自分の座る横を叩く玄武堂の提案を退しりぞける。平気な顔をして他人を連れ去る男の隣を避けるのは当然のリスク回避だ。



 あらためて見渡すと、玄武堂の部屋は世界観が奥側と手前側とで完全に分かれていた。


 奥のデスクには無機質な複数の画面が接続された重厚なコンピュータと、ノートや数式の書かれた紙束が散乱している。一方、手前側はメルヘンチックな空間で、右手前側のショーケースには多数の縫いぐるみが綺麗に飾られている。


 左手前にはサイドテーブル付きのファンシーなベッドが配置され、玄武堂はそこに座って私の手元をじっとみつめている。


 床で作業する私は、淡々とサイズを測定してノートにメモしていく。縫いぐるみ自体は服を着せるように設計されていないものの、くたっと柔らかい骨格なので合わせるのは簡単だ。



「サイズ感の確認のために、これを合わせてみてもよろしいですか」


「それ...! シャーリーすごい...!!」


「わっ、転びますよ!」



 身体ごと乗り出してきたので服を投げつけて姿勢を戻させる。距離をとって警戒していたのが役立った。人間の学習能力は高いのだ。



「もうつくってたの...?」


「以前作った余りの中からいくつかお試し品を持って来ました。腕の長さが全然違うので袖丈そでたけがあっていませんが、大体感覚は掴めましたよ」


「シャーリー......」


「これで採寸は終わりです。それでは、私はこのあたりでおいとま致します」


「ねえ...シャーリー......ちょっときて」



 猫の縫いぐるみをベッドに置いた玄武堂は、奥のデスクに移動しながら私を呼ぶ。



「まだ何かありますか」


「ふつうのarithmetic algebraic geometryのschemeより......もっと大きいわくぐみなら...globalにできるとおもうんだけど」


「――はい?」



 数秒の間に手芸の世界がほどけて消えた。玄武堂の見せる紙面に展開する記号は、どう見ても高等教育の扱う範囲にない。



「schemeのもっとうえのやつをcombinatoricsてきにみたいのに......みんなやってない......」


「全くもって理解が及ばない内容ですが、誰もやっていないということであれば、玄武堂様がやるしかないのでは?」


「こんないっぱいむり......シャーリー...てつだって」



 私にできるのは文房具の買い出ししかないが、それも先ほどの老年の男か姫山あたりにやらせればよかろう。



「そういうのは私ではなく、大学の教授などに依頼してください。あるいは、数学教員である岩見先生であれば力になってくださると思いますよ」


「.........んみゅぅ...」



 口をもにょもにょさせながら壁を見詰める玄武堂。集中しているようなので、会釈えしゃくだけして部屋の外に退散する。私の頭では彼の生きる世界についていくことは不可能だ。



「おや、もうお帰りですか」


「縫いぐるみの採寸は終えましたし、玄武堂様は何かの研究に没頭されているようでしたので」


「そうでしたか。はるか様はスイッチが入ると自分の世界へ入られますから」



 目的通り茶が来る前に退室することを達成した。後はなるべく早く我が家に帰るとしよう。この種の手芸は数少ない私の趣味であり、玄武堂家ほどのスポンサーがいれば材料の選択肢は無限大だ。久々に腕が鳴る。




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