§ 学園祭

第6話 学期末テスト


 かったるい学校行事も無事に終わり、高校生活二年目一学期をしめくくる学期末テストが近づいてきた。


 学費を払わず当校に在籍ざいせきする身分を死守するため、私は他のどの生徒よりも多くの時間をテスト対策にてている。今日も図書館(図書室とは呼べない)で分厚い問題集を数冊抱えて席に着く。辞典級のページ数を誇る重量物だ。


 しばらく勉強を進めた私は、一息入れようと脱力する。すると隣に、机上に置いた片腕を枕にしながらこちらを見ている生徒がいることに気付いた。



 驚くべきことに、それはクラスの名家四天王の一翼を担う男、玄武堂げんぶどうだった。



「......やっと、こっち向いた」


「ごきげんよう、玄武堂げんぶどう様。私に御用ですか?」



 長身で整った顔立ちの玄武堂は、当校でも随一の変人だ。デカい猫のぬいぐるみを肌身離さず持ち歩いている男が常人のわけがなかろう。


 玄武堂は歩きなれた校内で道に迷った挙句あげくその辺で寝ていたり、自分のロッカーが開けられずに立ち尽くしていたりと、この私以上に奇行が目立つ生徒だ。

 その反面、数学や物理学にかけては天才と言われており、高校生にして打ち出した理論が何かの雑誌に載っただとかの話を聞いたことがある。


 長身の男がぬいぐるみを抱える絵面は見るからにクレイジーだが、女子生徒の中には熱心なファンがいるらしい。



 机から上体を起こした玄武堂は、猫のぬいぐるみをひざに座らせたままで私に向き直る。



「シャーリー...ぼくにべんきょう...おしえて...」


「私などが玄武堂様に教えられることはないと思います。一体どのような風の吹き回しですか?」



 シャーリーというのは、今更ながら、れっきとした私の名前だ。漢字では思亜理と書く。名前に関する恨み節は次の機会に回すとして、今は玄武堂だ。この男は興味のないことはしないため、テストもほとんど寝るだけのはず。



「......テストでがんばったら、ごほうび...くれるって......」


「はあ、頑張ってください」


「がんばるって、なに...? シャーリーは......べんきょう...がんばってるって...きいた...」



 どうやら玄武堂に妙な息を吹き込んだやからがいるらしい。よもやそんな宇宙をつかむような芸当をこなす人間が存在するとは。



「私が思うに、具体的な目標を設定し、それに対して労力と時間をかけることが、頑張るということです」


「......ぼくの、もくひょう?」


「それを考えることも、頑張ることではないでしょうか」



 ここはちまた啓蒙書けいもうしょに書いてあるような話で煙に巻くとしよう。私にはこんなクレイジーキャットに構っている余裕はないのだ。


 玄武堂は、膝上の猫のぬいぐるみに視線を落として腕をぷらぷらと動かしたりした後、再び口を開いた。



「...ぼくのもくひょう、きめた」


「そうですか、ご褒美ほうびが貰えると良いですね」


「シャーリーより、すごい点とるから......!」



 眠そうな目で宣言した玄武堂は、図書館を立ち去って行った。


 長く息を吐く。誰の差し金か知らないにしても、学年一位にかじりつく私に強敵が出現したことになる。


 しかし、天才がやる気を出したところで校内の定期テストでは決定的な意味は成さない。私が全教科で満点を取りさえすれば、絶対に負けることは無いからだ。



 全教科で満点。そう、つまり、非常に厳しい事態になった。



 玄武堂に要らないことを吹き込んだやからが旅先で極めて猛烈な暴風雨に吹きさらされるよう呪う。







*****







「岩見先生、退学届けの用紙を頂きたいのですが……」


「何ですか、突然」



 全答案返却後の放課後、私は失意の面持ちで職員室に居た。自分の情けなさに涙が出そうなのを手で押さえてこらえ、デスクワーク中の岩見担任に告げる。



「今回の定期考査、私は全体で7点、失点しました」


「ええ、今回の得点で山中山さんの最高記録も更新ですね。立派なものだと思います」



 PCパソコンで作業しながら答える岩見担任。私の今後の人生など、どうとも思っていない素振りだ。まるで血が通っていない。



「しかし、学年一位の座を逃してしまいました。私の家に授業料を納入する資金は、」


「いったい誰と争っているんですか? 首席は今回も山中山さんですよ」


「はい? 今回は玄武堂が満点を取ったのでは?」



 岩見担任は手を止めて私に向き直り、わざとらしくため息をついた。



「山中山さん、確かに勉強は大切です。しかし、妄想を抱くほど根を詰めるのは明らかにやり過ぎです。仮にあなたが多少成績を落としても、いくつか救済措置が取られます。ほどほどに取り組むようにしてください」


「はあ」


「それと、他生徒の成績開示を私に求めないようお願いします」


「はい」


「要件が済んだのなら、退室してください」


「……失礼致しました」







*****







 追い出された。今にも泣きだしそうだった女子生徒への対応にしてはエッジが効いている。それは置いておくとして、玄武堂、答案返却の度にやたらとはしゃいでいたのはどういう了見だ?


 私の精神を強烈に圧搾あっさくした振る舞いが思い出される。



「やったぁ...!」


「よし...!」


「セット(ぬいぐるみの猫の名前だ)、みてこの点...」


「よかった...」


「......ごほうびまで...あと少しだね...セット」



 いつもの眠たそうな顔は何処どこへやら、満面の笑みで一人嬉しがっていた玄武堂。これでは不安をあおられるのも無理はないだろう。サイボーグの岩見担任と一緒にしてもらっては困る。


 ともかく、玄武堂が満点を集めていた事実はなく、私の思い込みであったらしい。




 安心した私が教室に戻る途中、中庭のベンチに座る玄武堂を発見した。菓子のたぐいで女子生徒に餌付えづけされている様子が伺える。



「......かなで、食べさせて」


「え? ええっと、あーん?」


「...ん.........おいしい...」


「よかったあ、作ってきたかいがあったよ!」



 その女生徒が姫山であっても、私は驚かなかった。あのクレイジーキャットを手懐てなずけるのは超人にしかできない。


 玄武堂はデカい猫のぬいぐるみを両手で抱えたまま、首だけ動かして菓子をねだっている。これが例のご褒美ほうびなのだろうか。天才の思考は私の理解できる範疇はんちゅうを超えている。



 邪魔する気はさらさらないのでさっさと教室に戻ろうと視線を外した私は、我が目を疑う光景を目の当たりにしてしまった。


 そこではなんと、池の鯉に餌をやっている青龍寺が、刺し殺さんばかりの視線をベンチの方に送っていたのだ。



「…………」



 私は今見たものを記憶から抹消まっしょうあるいは厳重に封印することにし、移動を急いだ。







*****







 終業式の日、帰り際に岩見担任に捕まり職員室に呼び出された。



「岩見先生、突然何の御用ですか」


「八月上旬に、当校後援会の定例会があることは知っていますね?」


「そんな告知が先日配布されましたね。確か在校生で出席するのは生徒会を中心とした若干名じゃっかんめいだとか」



 この私にその中に混ざれとでもいうのか。嫌な予感がする。確信めいた予感が。どうか思い過ごしであってくれ。



「今回は、彼らと一緒に参加しろという話ではありません」


「はぁ、よかった。思い過ごしでしたか。あまり脅かさないでください」


「山中山さんには、本校の特待生として十分10ぷん程度のスピーチをして頂きます」


「………」



 予想が外れたところで、嫌な案件が待っていることに変わりはなかった。ただ視点を変えると、特待生のスピーチは来期の一級特待が近づいている証拠ともとれる。まずは代読でしのぐ道がないか探ってみよう。



「花鳥祭の時もそうでしたが、私に話が来るのが遅すぎませんか? 夏休みは私にも予定があります」


「後援会会長の強い要望で急遽きゅうきょ決定されたことのようです。ぜひ山中山さんから直接話を聞きたいと」


「……どうしてまたそんな要望が出てきたんですか」



 私が低い声で聞くと、岩見担任は薬指で眼鏡のブリッジを上げて答えた。



「会長は、花鳥祭で山中山さんが楽しそうにダンスをする姿を見て興味を持たれていたようです。その上で今回のテストでのまれにみる高得点を知り、どのような学校生活を送っているのか聞きたくなった、との話だそうです」



 トルネード兄と来賓らいひんの眼前で踊ったせいで目を付けられていたらしい。まったくもって、あの貴族共の巻き込み力は厄介極まる。



「代読というわけにはいきませんか」


「先ほど言ったように、山中山さんから直接、話が聞きたいとの要望です。そして知っての通り、当校の奨学金の財源は後援会からの寄付です。出席することを勧めます」


「――うけたまわりました」



 来年度の特待生を狙う私が、出資者に悪印象を持たれてはならない。必死になって学年首席を墨守ぼくしゅし、学校行事の参加も達成したのは、学費全額免除を享受きょうじゅするためだ。



「岩見先生、お話が終わりであればこれで失礼致します。当日に夏風邪をひいてしまったら、その時はよろしくお願いしますね」


「皆勤を続ける山中山さんの頑健さを、十分に発揮してください」



 嫌味を言う私を淡々とあしらう岩見担任。後でたっぷりと原稿添削の雑務をプレゼントしようと思った。伝達役に過ぎない担任への八つ当たりは良くないとの見方もあるが、器の大きい岩見大先生ならきっと受け止めてくださる。




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