第5話 季節は夏へと


 午後の部では希望者を対象に社交ダンスのコンテストが行われ、トルネード貴族共が優勝して終わった。青龍寺・姫山ペアは入賞できずに終わった。


 私はにぎやかし要員の一人として、立食形式で飲み食いしながら見ているだけで終わった。



 終わったのだ。



「以上を持ちまして、第百三十四回、花鳥祭を閉宴します」



 実に胸を打つ宣言だ。周囲の生徒が余韻よいんひたる中、私は颯爽さっそうと出口に向かうところで腕を捕まれた。何事なにごとだ。



「山ちゃん、ちょっとこっち来て。お願い」


「……。十分程度でよければ。それ以上になるのであれば、私もこの後予定があるので」


「すぐ終わるから、ね?」



 面倒ごとの権化ごんげとも言える姫山だった。私は馬鹿か。閉会直後、特に気がたるむことは予想できたはずだ。十全に対策しておけば避けられたものを。


 挙動不審な姫山に連れられてホールの端に寄る。幸いアイスマンはいなかった。



「あのね、秋に学園祭があるでしょ?それで生徒会が劇をやるらしいんだけど……」


「毎年多くの生徒が心待ちにしている演目ですね」



 生徒会、および彼らに選出された人員が演じる、大人気のミュージカルである。選出される生徒はほとんどが次期生徒会役員の候補であり、学園祭後に控える選挙に向けての事前活動の意義もあるらしい。



「私も出ないかって言われちゃって」


「転入して早々にお声がかかるなんて、素晴らしい話ではないですか」


「あのね、それでね、私一人じゃ心細いから、山ちゃんも一緒ならって言ったら、連れて来いって話になっちゃって…」


「は?」



 姫山はバツが悪そうにほおをかきながら「あはは…」と笑っている。笑い事ではない。どういう寝ぼけた問答をしていたらそんな展開になるのだ。



「ちょっと顔出すだけでいいから、お願い!」


「今から? さっき言ったように、これから予定があるから」



 両手を合わせておがまれても嫌なものは嫌なのだ。私には、これから帰ってリフレッシュするという大切な予定がある。



「すぐ済むから、ね?」


「何も今日じゃなくても」


「山中山、ここにいたのか」



 背筋を凍らせる声がした。私は凍結したままでぎこちなく振り返る。



「ごきげんよう、青龍寺様」


「相変わらず元気そうだな。これから五分、十分程度時間をとれるか? 生徒会の面々が話をしたいそうだ。俺とかなでも同席するが」


「ええ、そのくらいの短い時間でしたら」


「山ちゃん、ありがとう!」



 さしたる会話ではないはずなのに、表現しにくい圧力を感じる。断るには理由が弱すぎて大人しく従うしかない。それと、まったく関係ないが、アイスマンが他人を下の名前で呼んだことに軽く恐怖する。



 私は気落ちして二人の後ろを歩いた。







*****







 大講堂内の小部屋では、レストランで見かけた会計、書記、庶務の生徒会二年トリオが待っていた。



かなでが言ってた山ちゃんって、やっぱ一組の貧乏人のことだったのか」


「ご、御所車ごしょぐるまくん、失礼だよ。あの、山中山さん、ごめんね?」


「私のことは自由に呼んで頂いて結構です」



 態度と図体がデカくうざったい男が、会計の御所車ごしょぐるまだ。

 御所車は当校においてもある程度の自由な振る舞いが黙認されており、立場を活用して遊んでいるといううわさを時折耳にする。顔が整っていることに加えて引っ張ってくれるタイプに映るのか、当校での女性人気は高い。


 御所車をとがめる、気が弱そうでナヨい男は書記の渡殿わたどの

 意外にも、同年代では御所車の暴走を止められる唯一の男であるらしい。顔が良く、誰に対しても優しいとの評価もあるらしく、当校での女性人気は高い。



 そして、もう一人。



「それで、百虎院びゃっこいん様。私にどういったお話でしょうか」


「うん、隣の姫山さんから聞いているかもしれないけれど、学園祭の劇に彼女と一緒に参加しないかって思ってね」



 私のクラスの名家四天王の一人、百虎院びゃっこいん


 にこやかに応対するこのメガネは、四天王で最も謎に包まれた男である。名家の生徒、ましてや生徒会役員ともなれば、ある程度の個人情報、人間関係のうわさ話が校内に広まるものだ。真偽はともかく。


 しかし奇怪なことに、百虎院という眼鏡に関しては、まったくと言っていいほど風聞がない。


 主観で言えば、性格は悪い方だと思っている。私が問題を起こして呼び出されるのを楽しそうに笑ってながめていた姿からそう解釈した。客観的には、そのいつも浮かべているにこやかな表情が好評であろうと思われる。



「百虎院、劇に参加するかなんて、そんなの聞くまでもないんじゃねーの?」


「ご、御所車くん!」



 御所車、なかなかどうして観察力のある男だ。



「御所車様のおっしゃる通りです。参加は致しません」


「うぅ、山ちゃん、どうしてもダメかな?」


「はい。それに、花鳥祭で立派に踊られた姫山さんなら、学園祭のミュージカルでも大丈夫ですよ。皆様方からの御支援もあるでしょうし」


「そうかなあ」



 うつむきながら横目で私を見る姫山。頼るならワラ束ではなく、氷のいばらにしてくれ。頼むから。



「そうですよね、青龍寺様?」


「無論、できる限りの支援はするつもりだ」


「ありがとう、青龍寺君!」



 三文芝居を終えて前に向き直ると、御所車と渡殿がほうけた顔をしていた。やはりアイスマンらしからぬ態度を見ればこうなるのだろう。ただ白虎院だけはやはり、にこやかな表情を崩さずにいた。



「というわけですので、私は学園祭のミュージカルには参加致しません。これで要件はお済みですか?」


「うん、貴重な時間をいてもらって悪かったね」


「いえ。では、失礼致します」


「……ちょ、ちょっと待てよ!」



 御所車に呼び止められた。何の真似まねだ。



「まだ何か?」


「何かってお前、なんだ、ほら、その」


「理由、聞かせて欲しいんだけど…」



 要領を得ない御所車の代わりに渡殿が出てきた。渡殿は私のことを良く知らない素振りだったが、こんな話を受けるとでも予想していたのだろうか。


 そして御所車、先ほど聞くまでもないとのたまったのは、無いとは思うがまさか、聞くまでもなく快諾かいだくするという意味だったのか? そんな馬鹿な。



「理由は学業に集中するためです。私は学力特待生としてそれなりの結果を残す必要があります。そして、私の能力では学業と課外活動の両立は不可能です。今回花鳥祭へ参加したことによる遅れも取り戻さなくてはなりませんし、歌劇への参加は致しません」


「べ、勉強するためなんだ」


「貧乏人の考えることは分かんねえな…」



 スーパーで捨てられているキャベツの外葉の味など分からない方がよかろう。それに例え学力特待生でなくとも、私は辞退したと思う。ミュージカルの何たるかも胡乱うろんな私など、劣化ウラン製の足枷あしかせと同義と言える。



 質問に答えたので帰ろうとすると、百虎院が妙なことを言い出した。



「そういえば、山中山さんの花鳥祭のペアはどなたなのかな?」


「……? ご覧の通り、私はひとりでの参加です。ペアでなくとも花鳥祭には参加できます」



 そのあたりの事情は多少の悶着もんちゃくがあったから、同じクラスの生徒は知っているはずだ。白々しく聞いてくる意図が読めない。



「あはは、凄いね。確かに規則上は可能だけど、そんな前例は聞いたことがないよ」


「ひとりでも楽しめることは、私が今日実証しました。これもひとえに花鳥祭の運営が素晴らしかったからでしょう。学園祭も心待ちにしていますね。それでは失礼します」



 ここでいう「楽しむ」は、定義を大幅に拡張した概念なので注意したい。具体的には、「重大な理由があればそのために時間を割こうと思う」を意味する。


 最後に付け足すように挨拶あいさつすると、私は小さく開けたドアの隙間にすべり込むようにして退室した。







*****







 帰り道、私は道中の公園に寄った。ここのベンチは大きいコタツみたいな屋根の下にあって、格子状の天板に植物を絡ませることで日差しをさえぎっている。


 某高等学校の中庭にある藤棚ふじだなに近いものだが、雰囲気は全くおもむきが異なる。なにせ、ベンチの他には砂場とバネの動物しかないような公園なのだ。



 私は古びたベンチにバッグを置いて、その隣に腰掛けた。太陽の光が頭上に茂るへちまに切り取られて、私の身体に白い斑点を浮かべる。


 光の白は風がそよぐ度にゆったりと伸びたり縮んだりし、ほおでていく空気は土や草のにおいがして、草のれる音の向こうからは気の早い虫が鳴くのが小さく聞こえる。遠くの空には大きくなった雲の島がいくつも浮かんでいる。



 いつのまにか、季節は夏へと移ろうとしていた。



 私は梅雨明けのきざしを肌で感じながら、座ったまま腕をめいっぱい上げて伸びをし、大きくあくびをした。




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