第2話 出欠用紙


 帰りのホームルームにて、来月のダンスパーティーの出欠用紙が配られた。


 私は忘れないように、欠席の文字を大きく丸で囲んでからかばんに仕舞った。もちろん社交ダンスなどおどれないし、そもそも心がおどらなかった。



青龍寺せいりゅうじ様は誰と踊られるのかしら」


「ああ、お相手の方がうらやましいわ」



 放課後の廊下で、どこぞの生徒が話しているのが聞こえる。青龍寺せいりゅうじ様というのは私のクラスの男子生徒で、名家四天王(と私が呼んでいる諸生徒)の筆頭ひっとうとして君臨している。


 それはもう、お話にでてきそうな具合の大人気生徒だ。顔が良く、頭が良く、家柄が良く、運動もできて芸術センスも光る。そんな訳だから女子生徒からの憧憬どうけいもひとしおである。


 ただし私自身はあの鋭利な眼光が苦手だ。先ほどの音楽の時間でも、私が情けない音を出したら冷酷極まりない形相ぎょうそうにらまれて震えた。もちろん怖かったとも。



 それはそうと、私は苦手科目である茶道の練習のために茶室へ向かう。当校ではご丁寧にも茶道と華道の選択授業が女生徒のみ必修であり、私はノートの余白に作成したあみだくじで茶道に決めた。


 日本庭園風の旧棟の中庭を通る。美景を進んで行くと、優雅に池の鯉に餌をやっている人物を発見した。池を泳ぐのは高級な錦鯉。私は濁った用水路を泳ぐ魚類しかなじみがなく、餌やりすらおこがましいことだ。お疲れ様です。


 後姿を見ると、なんとくだんの青龍寺のようである。前述の通り苦手なクラスメイトの代表なので、こっそり素通りを試みよう。



「そこの貴様、何をしている」


「ごきげんよう青龍寺様。所要で茶室に向かう途中です」



 駄目だ、見つかった。振り返る青龍寺。

 同級生であるのに身が凍るような圧力を感じる。



「ふん、山中山か。ご苦労なことだな」



 私と気付くやいなや興味なさげに再び池に向き直ってしまった。なんなんだ一体。自由な時間の邪魔をしてはいけないし、というか好き好んで居座ろうとは絶対に思えないので、私は速やかにこの場を去る。







*****







 茶道の指導員にはそれなりにしぼられた。その後は図書室にて日課の自習を済ませると、ようやく息の詰まる学校を脱して帰路につく。


 当校ではほとんどの生徒が寮生活を送っているが、私はもちろん実家からだ。さらに言えば当校では異例の自転車通学である。


 入学前のオリエンテーションで生徒寮の見学をした際、赤絨毯あかじゅうたんのエントランスに大きな彫刻や名画が飾ってあるのを見て実家通学を即断した。


 生徒用グランドホテルの話はともかく、私はセルフサービスの愛車で大々的に風を切って帰ってきた。


 帰宅の挨拶あいさつもそこそこに、あとは楽しい自由時間だ。ここでは学校生活のストレスを如何いかに発散するかが鍵となる。私は没頭できる趣味を持っているので、残りの時間を最大限活用していきたい。




 その後私が何をしたかというと、リボンにゴージャスな刺繍ししゅうを入れる内職だった。かなりげんなりした。


 しかし納期に間に合わないと母に泣き付かれてしまっては、嫌々ながらもやるしかない。手芸内職の手伝い歴十年の知見を活かし、どうにか日が昇る前に仕上げられたものの、登校を考えると気は沈んだ。







*****







 不屈の魂でなんとか学校に来た。くじけぬ心でどうにか授業をこなした。疲れた身体でようやく迎えた帰り際、職員室に呼び出された。


 お願いだから職員室にかざってある花は全部枯れろ。



「岩見先生、何の御用でしょうか」


「山中山さん、用というのはこれのことです」



 岩見担任の小綺麗な机の上には、ダンスパーティーの出欠用紙が置いてあった。欠席の文字がボールペンで大きく囲われていて、山中山の署名がなされている。私が提出したものだ。


 ふるって御参加くださいとのことだったが、あいにく奮わなかった。



「出席してください」


「え? ちょ、ちょっと待ってください」



 どうして私が参加しないとならないのか。泳げない人間を遠泳大会に送り込むような暴挙だ。まともな指導ではない。



「理由をお聞きしても?」


「来年二月に特待生の判定会議があることは知っていますね」


「はい。今年度も遅刻や欠席をすることなく、精力的に学業にはげんでいるつもりです」



 当校の学力特待生には等級が存在する。これにより学費が全額免除になったり、半額、あるいは一部免除になったりするのだ。等級は二月に開かれる会議によって毎年判定され、基準に満たなければ容赦ようしゃなく降格されるらしい。



「まさか、一級特待の学力基準に達していないということですか?」


「成績については全く問題ありませんし、授業態度も申し分ないでしょう。本日も必死の表情で授業に参加していたと聞いていますから」


「生活態度の悪さは学業でカバーするしかありません」



 学費全額免除を勝ち取るためならば、休み時間に便所で仮眠をとるといったみじめで涙ぐましい努力も辞さないのだ。



「その山中山さんの戦略は、今年度から使えなくなります」


「はい?」



 銀縁眼鏡を薬指で押し上げる岩見担任。強くまゆひそめる私を無視して、手元の電子メモパッドに文字を書き込んでいく。



「昨年までは成績、生活態度、課外活動などを総合的に評価して特待等級を判定していました。既往の判定法では、いずれかが悪くても、他の項目が良ければ挽回ばんかいできます」


「はい」


「山中山さんのような学業への勉励べんれい、あるいは部活動での表彰といった当校への貢献が評価されてきました」



 成績、生活、課外と書かれた文字が、まとめて一つの円で囲まれる。一点突破が許される、全てをごった返した評価法が、私を救ってきた従来の制度である。



「今年度からは、項目毎に別個の判定を行った後に、総合判定に移行します。ここで重要になるのが、始めの項目判定の段階で極端に悪い評価となった場合です」



 成績、生活、課外と書かれた文字が、三つの円でそれぞれ囲まれた後、さらに大きな円で全体が囲まれ、ようとした所で、課外の文字を囲う小円に×印がつけられる。



「極端に悪い項目があった場合、総合評価に移行することなく即時に落選します」


「……嫌がらせのような制度ですね、私にとっては」



 学費全額免除を逃せば、我が家を破滅に追い込む額の請求書が届くことになる。私には一級特待を維持する道しか許されていないのだ。


 制度を改定した奴らの家に不快害虫が繁殖するよう呪う。



「山中山さんの場合は、学校行事への不参加が問題となっています」


「はあ、日頃の生活態度ではなく?」


「そちらに関しては昨年同時期との比較より、山中山さんの努力により改善されつつあると評価されていますから、心配はありません」



 それは私自身というよりも、この岩見担任の努力の成果だと思われる。入学して右も左も分からない、性根しょうねのねじ曲がった私を根気よく指導したのは岩見担任だった。もはや恩師といっても過言ではないかもしれない。



 しかし、学校行事。



「それで、この社交ダンスの行事に出ろということですか」


「その通りです」



 イベントというよりアクシデントと表現したい案件にため息を吐く。まぶたが重い上に気分まで重いが仕方がない。どれだけ場を乱そうとも、どれだけ醜態しゅうたいさらそうとも、参加することに意味があるのだ。



「どう転ぶかわかりませんが、頑張ってみます」


「転ばぬよう、頑張ってください。来賓らいひんもいらっしゃる場ですから、くれぐれも気を付けるようにお願いします」



 いたいけな女子生徒に掛けるには随分ずいぶんな言い草だ。担任の雑務が増えるよう呪う。恩師を呪うのはいたいけな女子生徒としてどうなのか、という意見ももっともだが、尊敬する岩見大先生なら許してくださるはずだ。






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