第3話 当校の伝統行事


 ある雨の日の放課後、私は馬鹿でかい割に利用者の少ない図書館でPCパソコンブースの一角に陣取じんどっていた。


 来月のダンスパーティーに向けて、社交ダンスがどういうものか動画で見ておこうという目論見もくろみだ。基礎知識を自主的に押さえるくらいの意欲は見せなければ、誰かに教えを乞う際にもいい顔をされないだろう。私には愛想あいそなどない。


 基本の動きをリプレイで確認していると、突然後ろから肩を叩かれた。私は背中に氷を入れられたような動きで滑稽こっけいに反応した。突然の不躾ぶしつけな行為に苛立つ。



「へへ、山ちゃんは良い反応するね」


「…姫山さん、素行そこうが悪いと先生方に叱責しっせきされたくなければ、こういったことは控えた方がよろしいかと」


「誰も見てないから大丈夫だよ」



 転入生の姫山は笑いながら私の両肩に手を置き、後ろからモニターをのぞき込んできた。



「あれ、山ちゃんも来月のやつ出るの?」


「学校行事へ参加するよう言われまして、不本意ながら」


「そうなんだ。私も出るんだけどダンスとかできないから、これから友達に教えてもらうんだ」


「それは良い話ですね」



 当校に来たばかりだというのに、姫山には社交ダンスを教えてくれる友人がいる。この事実に私は驚愕きょうがくした。


 私など一年以上同じ面子に囲まれているというのに、気心きごころの知れた友人ひとりさえ作れていないていたらく。姫山と比較すれば、まるで花畑と干ばつ地帯だ。草一本生えていない。



「そうだ、よかったら一緒に練習しようよ! 山ちゃんと同じクラスの人だし、私頼んでみるよ?」



 姫山は小さく両手を合わせて、いかにも名案という表情。対する私には疑問符が浮かんだ。



「私と同じクラス?」


青龍寺せいりゅうじ君っていうんだけど」


「はい? 青龍寺君?」


「うん、テストの日に中庭を歩いてて会ったんだ」



 私はおびえた。強く。この姫山という女子生徒、どこかおかしいとしか思えない。


 青龍寺はこれまで浮いたうわさが一つもないことでも有名だったし、いつも冷徹な表情を崩さないことから、アイスマンの異名を(私の心の中で)とっていたのだ。


 そんな男と初対面で友達になり、あまつさえダンスを教えて貰う約束を取り付けるとは、まともな人間では考えられないことだ。超人の所業といってよい。



「それで、山ちゃんどうする?」


「私は遠慮しておく。もう練習の予定は組んであるから」


「そっか、お互い頑張ろうね」



 軽く手を振って姫山を見送る。練習の予定は完全なる白紙だったが、地獄と書き込む蛮勇ばんゆうは私にはなかった。







*****







 図書館を出た足で体育教師の前までおもむいてダンスの指導を頼んでみた。しかし、残念ながら失敗に終わった。棄却ききゃくされた主因は以下の通り。



『課外活動に関して、特定の生徒一人のみに時間をかけて指導することは当校の指導規則に反する』



 規則の文書まで持ち出されては言葉が出ない。さすがに当校の教育者だ。化石のような頭脳を誇った中学の体育教師とは説得力が違う。



 代案を考えつつ教室に戻るところ、期せずして朱雀宮すざくみやに出くわした。当クラスの名家四天王の一角を占める絢爛華麗けんらんかれいな女性徒である。



 朱雀宮が私の前で足を止めると、異国の血統を持つ金髪の縦ロールが揺れ動いた。



「あら山中山さん、ごきげんよう。このような時間まで学びにいるなんて、どうされたのですか?」


「ごきげんよう、朱雀宮様。ダンスの練習をと思っていたのですが、先生に断られてしまいまして」


「まあ! 山中山さんも花鳥祭に参加なさるの」



 大きい目をさらに見開く朱雀宮。ことごとく学校行事をサボってきた貧民が参加する理由に思い当たらないのだろう。


 ちなみに、花鳥祭というのはダンスパーティーの正式名称だ。みやびやかな名称は結構だが、虫けらの立場には物々しい字面じづらである。



「ええ。今回はですね、」


おっしゃらずとも分かりますわ。山中山さんも一年を過ごされて、当校の生徒としての自覚を持ち始めたというところでしょう? その気品は発展途上といえども、その向上心が素晴らしく感じられます」



 私の気品なんてものは、発展途上どころか後進と表現しても差し支えない。この女は私のことを買いかぶりすぎだ。おかげで金の絡んだ泥臭い背景を説明しにくくなった。



「そんな、褒められるようなことではな」


「そうですわ! 私と私の兄は少々社交ダンスに覚えがあります。僭越せんえつながら、山中山さんの努力の一助を致しましょう。事情を話せば、兄もきっと手を貸してくれますわ。どうぞ、遠慮なさらないで」



 言うまでもなく、名家四天王に世話になるのは気が引ける。


 一方、気が引けた程度で引き下がるわけにはいかない切迫感もあった。なぜなら、現在浮かんでいる代案が、青龍寺・姫山ペアの練習に割り込むことだからだ。いくらなんでもこれは避けたい。


 朱雀宮は拒否されることを考えていない口ぶりであるし、私はお辞儀じぎをして言葉に甘えた。



「ぜひ、お願い致します。私は放課後であれば時間が取れますので、朱雀宮様がよろしい時にお声がけいただければ」


「それでしたら、これから・・・・我が家に参りましょう。花鳥祭までの時間は多くありません。ああ、心配なさらなくても、この期間で美しく踊れるようレッスンを組ませていただきますわ。山中山さんの意欲を無駄にしないことを約束致します」


「……ありがとうございます」



 恐るべきトレーニングメニューを匂わせて満足げに微笑む朱雀宮。話への巻き込み方がまるで竜巻だ。安直ながら、揺れる巻き髪を見てそう思った。







*****







 トルネード貴族共は私の体力をあらかた巻き上げていった。



 何が悲しくて学校行事なんぞに熱心に打ち込まなくてはならないんだ。親睦しんぼくを深める気など微塵みじんも持ち合わせていないこの私が。


 家の布団に打ちひしがれているのに赤熱した脳内が眠りを拒む。


 あの後、朱雀宮が自宅と称した巨大建築物の内部にてつらい時間を過ごさせていただいた。レッスン中にあのから拝聴はいちょうえいさずかった言葉の端々はしばしが思い出される。



「今のようなみにくいい動きでは花鳥祭に参加させられないよ。さあ、もう一度」


「姿勢に気品の欠片もありませんわね。まるで妖怪ですわ。鏡をご覧になりながら、今の動きをいま一度なさって」


「いかに君が卑俗ひぞくと言えど、ひとつひとつの動作を理想に近付ければ優雅に踊ることができる。僕に合わせて動くんだ。いいね?」


「表情が見るにえませんわ。誇りある花鳥祭参加者として、笑みを絶やしてはなりません」


「それでは山にいる猿と変わらないね。君の持つこころざしに足るダンスはこんな低劣なものではないはずだ」


「山中山さんの情けない体力では、今日はもうレッスンをしても無駄ですわね」


「想定していたよりもにぶいね。明日からの内容は工夫した方がよさそうだ」



 トルネード貴族(兄)は当校の生徒会長を務める。


 異国の血が混じった金髪碧眼へきがんと柔和な顔立ち、持ち前のリーダーシップから全校的に親しまれている人材で、貴公子の愛称をつける生徒もいたほどだ。その愛称は先ほどトルネード兄へと更新されたが。


 実際に接してみて、親しみを感じる余地のないことが明らかになった。



 とにかく滅入めいる。



 明日から一ヵ月近くはダメ出しの暴風にさらされるのだ。私の技量不足に起因する暴言だとしても、つのる苛立ちを誰が止められるものか。


 胸中で怒りが重質に渦巻くのを感じる。しかしながら時間を割いて教えて貰っている手前、トルネード貴族共は呪い難い。


 考えると、そもそもの元凶は特待生制度の改定を発案、決議した奴らである。さしあたって連中が横領おうりょうや脱税のたぐいで社会から消え去るよう願うことにしたものの、気分はそう簡単に晴れない。


 家の外でも雨が飽きもせずにトタンを鳴らしており、予報では明日も雨だ。







*****







 花鳥祭なる狂ったもよおしは当校の伝統行事だ。長く続いているだけに、時代錯誤もはなはだしい病的な制度が残存している。


 ダンスのペアを組んで参加する場合に、女子生徒が男子生徒にエスコートされるというものだ。これは当日の朝から帰宅まで続き、道中の移動や食事の時間をも含むという。


 このエスコート制度は生徒間では異常なまでに重視されており、水面下では年度の始めからペア探しの動きがあるらしい。

 なおも馬鹿げたことには、事前に相手を見つけられなかった生徒は自ら参加を見送るため、当日は全員がペアを組んでいる構図になるとのこと。



「しかし岩見先生、一人で参加してはならない、なんてどこにも書いてありませんよ」


「暗黙の了解という言葉を知っているでしょう。山中山さんが針のむしろの上で踊ることになりそうなので、担任として助言したまでです。そして、」



 職員室のデスクにて、岩見担任は薬指で眼鏡のブリッジを上げて語る。



「山中山さんが頼むのであれば、今からでも私の方で男子生徒に打診することは可能です」


「お気遣いなく。針のむしろか槍のむしろか知りませんが、私は別段気にしないので」



 常日頃から悪目立ちしている私だ。そこらの弱心生徒じゃくしんせいととは気の持ちようが違う。逆にエスコートなどされてしまうと余計なストレスになりかねない。どうせ女側にも私の知らない作法があるに決まっているのだ。



「そうですか。一人では助けになってくれる人はいませんが、くれぐれも問題を起こさないようにお願いします」


「もっとこう、失敗しても楽しむことが大切です、くらいは言ってくださっても良いのでは?」


「失敗することなく、楽しんでください」



 私は黙って職員室を後にした。担任が寝ている時に執拗しつようなまでに蚊が寄ってくるよう呪う。




*****




 ペアについてはトルネード貴族共にも詰問きつもんされ、もちろん雑言ぞうごんをくらった。



「考えられませんわ! 花鳥祭の名を落とすつもりですの?」


「痛々しい自分に自信が持てないのも分かるよ。でも諦めては駄目だ」


「もちろん、私にも考えがあってのことです」



 精神論の火災旋風に見舞われる前にさえぎる。



「花鳥祭の規模は年々減少する傾向だと聞いています。生徒がペアに固執することで、花鳥祭の敷居が高くなっているのではないでしょうか。私が個人で参加する道を示すことで、ペアを組めないばかりに本心を押し殺して欠席する生徒を鼓舞する効果を期待しています。花鳥祭の更なる可能性を模索する意味でも、生徒が自ら革新を目指す一歩を踏み出すべきだと考えています」



 担任の話を聞いてからねていた屁理屈をよどみなく披露ひろうする。実際のところを言えば、欠席する奴は勝手にすれば良いし、花鳥祭の可能性など知ったことではない。単にペアで参加したくないのだ、私は。


 そしてうまいことに、私の建前は眼前の兄妹を渋々しぶしぶながらも納得させることができたらしい。



「私達のレッスンを受けてペア候補の一人もいないのでは恰好かっこうがつきません。しかし、そこまでおっしゃるのであれば山中山さんの意思を尊重しましょう」


「革新の一歩というのは君が言うほど簡単ではない。だが、思うままにやってみるといいよ。自主性と挑戦心を持つ君のような生徒なら、何らかの成果が得られるだろう」



 この日をさかいにして、心なしかレッスンの過酷さが増した。解放されるまであと二週間余り。私の心中では、当校経営陣の家は害虫園と化した上に地盤沈下で傾く程度には呪われている。




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