手紙と賢人

「良い心持ちだ。力ある戦士になるために、研鑽は欠かせないからな。……だが、一つ気になることもある。ラピス」


 言って、王様はわたしの肩越しにラピスさんの方を見た。


「この子からこの希望が出るということは、君の教育方針に不満があるともとれるが――」

「あ、そ、そんなことはないです!」


 わたしはあわてて叫んだ。

 そのあとすぐに血の気が引いた。王様の言葉を遮るなんて、わたし、すごく無礼なことをしてしまった気が……する。


「あの、えと、すみません……でもラピスさん、は」


 しどろもどろになりながら、次の言葉を探す。でも、言った方がいいのか言っちゃだめなのか、それさえわからない。

 後ろから、ラピスさんの声がする。


「オレとしては手を抜いたつもりはないんだが、優先すべきは身体作りと戦闘技術だと思ってたからな。アリサ本人も、他にやりたいことがあるとは言ってなかったから、いま聞いてびっくりしてるところだ」

「今回の任務で、何か心境の変化があったのかもしれませんわよ」

「え、あ、……はい」


 顔をかっかと熱くしながら、わたしは小さな声で答えた。


「皆さんと……ちゃんとお話できるようになりたいんです。お手紙を読んだり書いたり、難しいお話についていったり」

「なるほど。確かに、我々の会話を理解するにはある程度の知識が必要だな。我が国の地理や歴史、兵法、法律、万象術の基礎理論……だがそれらの前に、最低限必要なことがあるな」


 言いながら、王様は紙を一枚手に取って、羽ペンで何かをさらさらと書きつけた。


「この手紙を、賢人会議の受付に持っていくといい。空きのある初学者向けの私塾を紹介してくれるだろう」


 黒いインクが乾ききらないままの手紙を、王様はわたしの前に掲げて見せた。


「アリサ。これに何が書いてあるか、わかるかな」

「これを持ってきた人に、お勉強を教えてあげてください。……ですか」


 王様はちょっだけ意地悪そうに、口の端を上げて笑った。


「いいや。この人物はあなたの召使だ、遠慮なくこき使ってやれ……と書いてある」

「え」


 どう答えていいかわからなくて固まっていると、王様は大声で笑い始めた。


「冗談だ。……だが今の君は、たとえ本当にそうであったとしても知る術がない」


 王様は手紙を机の上に戻すと、一番上の引き出しを開けた。


「すべては読み書きからだ、アリサ。文字が読めるようになれば、君の世界は何倍にも広がるだろう。書誌室への出入りも許可するから、字を覚えたらいつでも来るといい」


 引き出しから出てきたのは、開いた本の形をした鉄の飾り物チャームだった。細い鎖がついたチャームを、王様は金貨と一緒に、わたしの掌に握らせてくれた。




 ◆ ◇ ◆




 賢人会議の建物は、中央政庁の門から出てすぐのところにあった。

 建物自体は、ローザリアではおなじみの白漆喰と赤い木でできていて、他と変わったところはない。けれど中に入ってみると、ローブを着た賢そうな人たちが、広い廊下をせわしなく行き交っていた。静かな中で時々聞こえる話し声は、低くて落ち着いていてなんだか難しそうで、わたしはとても場違いな感じがしてしまう。

 わたし、本当にここに来てよかったんだろうか――

 思いかけて首を振る。

 だからやめよう、それ。今のわたしは馬鹿だけど、ちょっとでも馬鹿じゃなくなるためにここに来たんだから。

 ラピスさんに導かれて、わたしは入口にいちばん近いお部屋に入った。中ではローブ姿のおじいさんおばあさんたちが、羊皮紙とインクの匂いの中で静かに書き物をしていた。


「失礼します。私塾の案内はこちらでよろしいですか?」


 ラピスさんがめずらしく丁寧な言葉で話しかけると、一番手前の机にいたおばあさんが振り向いた。震える手で王様からの手紙を差し出すと、おばあさんは頬をしわくちゃにして微笑みながら受け取ってくれた。


「ヴィクター陛下直々のご用命ですか。これはおろそかにはできませんねえ……幸い、プロスパラス学舎に空きがございますが、いかがいたしますか」

「ああ、それはちょうどいいですね。紹介を頼んでよろしいでしょうか」


 ラピスさんが、勝手に話を決めてしまった。

 いつもなら黙ってそのとおりにするところだけれど……でも、今日だけはそんな気持ちになれない。

 だって、使うのはわたしのお金だから。わたしの大事な金貨を使うのに、ただ言われた通りにするだけなんて!


「……ラピスさん」

「ん、なんだ」

「本当に、そこで……大丈夫なんでしょうか」


 ラピスさんは首を傾げた。


「賢人会議とつながりのある私塾なら、教育の質も悪くはないはずだ。何かあったら会議の名誉にかかわるからな」

「あ……いえ、そういうことじゃなくて」

「ならなんだ」

「あの……えっと……」


 勝手に決められるのが嫌だった、なんて言えるわけもなくて、わたしは一生懸命に言うことを探した。


「そこ、わたしでもついていけますか……? 難しすぎてわからなかったりしませんか?」

「その心配はありませんよ」


 おばあさんが小さく頷きながら言う。


「プロスパラス学舎は、ローザリアで一番大きな私塾です。大商人アルフレッド・プロスパラス氏が、市井の子供たちに知識を広めるために設立した塾ですから、初学者にこそ手厚く教えてくれますよ。初歩の読み書きから、少し進んだ学問まで扱っていて、講師も何人もいます。あなたにやる気さえあれば、書誌室の書物の半分を読みこなせるくらいの知識は身につけられるでしょう……『スロノスの城壁の中にいる』つもりで大丈夫ですよ」


 よくわからない言い回しに首を傾げていると、ラピスさんが助け舟を出してくれた。


「スロノスってのは西方デュシス皇国の都だな。ものすごい高さの城壁で囲まれてるって話だ……オレも現地を見たことはないんだがな。その中、って例えは、要は安心していいってことだ」

「ローザリアの城壁よりもすごいんですか?」

「しょせん、東方アナトレー王国は西方の属国だからな。スロノスの大城壁は、大陸のどの都市も比べ物にならないほどにすごいって話だ。……とはいえ西方は長いこと内乱だからな、いまの安心というならローザリアの方が上かもしれねえ」

「そうなんですね。……すみません、ひとつ訊いてもいいですか」


 おばあさんの目をじっと見て、わたしは言った。


「プロスパラス学舎でお勉強したら……わたし、いまみたいなお話がちゃんとわかるようになりますか」


 おばあさんは大きく頷いた。長い白髪が、ローブの上で一房揺れた。


「地理学の講師もあそこにはいます。……わかるようになりますよ。がんばって学べば、必ず」

「そう、なんですね……わかりました」


 わたしは身体を大きく折って、わたしにできるかぎりのいちばん大きなお辞儀をした。


「プロスパラス学舎への紹介、お願いします。絶対……ぜったい、がんばってお勉強しますから」


 懐にしまってあった金貨を、わたしは服の上から握りしめた。

 布越しの固い感触を確かめながら、わたしは何度も何度もおばあさんに頭を下げた。

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