保護と宣誓
「知ってたなら……教えてください。このひとが……ティエラさんのお師匠さんだったなんて……」
クロエさんに手近な紐で魔導鎧を着け直してもらいながら、わたしはラピスさんをにらんだ。でも青い鎧と白い肌がぼんやり見えるだけで、目頭も熱いから、たぶん今のわたしは涙目だと思う。そんな顔でにらまれても、ラピスさんもクロエさんもちっとも怖くないと思う。
「言ったら相手にバレちまうだろうが。敵を欺くなら味方から、ってな」
「この子は新しい万象の闘士? ラピス、あなたのお弟子さん?」
クロエさんの声がする。とっても柔らかくてやさしそうで、さっきまでダフネさんと名乗っていた時の冷たさが嘘みたいだ。
「ああ、氷の『器』持ちで名はアリサ。オレとソフィー、ティエラが奪い返した奴隷たちの中にいたんだが、なんだかんだでオレが引き取ってる」
「そう。……アリサさん」
なにか白いものが、わたしの目の前をさえぎった。
「凄い力を持っているんですのね。手を封じられてなお、力を使えるなんて……潜在能力なら、王国の中でも一二を争いますね」
「潜在能力は確かにな。あとは本人の心構え次第だが」
やわらかいものが顔に当たる。
思わず目を閉じると、きめの細かい布が目のあたりを二、三度拭う。目を開けると、優しく目尻を下げた女神様がそこにいた。
「それは大丈夫。この子は、ちゃんと強い心も持っているわ」
「……え?」
涙を拭ってもらったばかりの目で、見上げる。
ほんとうだろうか。わたし、「器」のほかのことを褒めてもらったことなんて、ないのに。今がはじめてなのに。
女神様みたいなクロエさんは、絹糸みたいな銀髪をさらりと揺らしながら、わたしの頭をそっと撫でてくれた。
「あの状況であなたは諦めなかった。ラピスに頼れなくても、私が味方だと知らなくても、ひとりで戦い抜こうとした。その心があれば、あなたは大丈夫よ」
クロエさんが目を細めて、笑う。
見ているだけで心がとろけてきそうな、あたたかくてすてきな笑顔だった。ティエラさんは、この顔をいつも傍で見ているのかと思うと、ちょっとうらやましい。
「そうだな。確かに、それはそうかもしれねえ。……よくやった、アリサ」
クロエさんの肩越しに、ラピスさんが笑うのも見える。
ラピスさんの横には、灰色のローブ姿の「隊長」さんが、麻縄で縛られて転がされていた。
◆ ◇ ◆
「隊長」さんを引き連れて塔を出ると、戦いはもうあらかた終わっていた。
血の匂いが立ちこめる中、王都兵と地元の守備兵さんたちが整列している。全員が揃ってはいないけれど、二手に分かれて裏手に回ったはずの人たちもいたから、作戦は全部無事に成功したんだと思う。
兵隊さんたちの前には、麻の粗末な服を着た男の人や女の人が、何十人も地面にへたり込んでいた。みんな疲れ切った顔で、目の下に隈がある人たちも何人かいた。
わたしは、砦で待っているはずの女の人を思い出した。焼かれた村でたった一人だけ残った、あの人。
あの人の大事な人は、この中にいるんだろうか。
「あ、あの。……この中に、リーアムさんって人、いますか」
わたしは、あの人が叫んでいた名前を尋ねてみた。もういなくなってしまった、って言っていた名前だ。
みんなが黙った。松明がぱちぱち爆ぜる音だけが、響く。
一人のおじさんが、うとうとしていた若い男の人の背を叩く。二言三言の話の後、跳ね起きた男の人がわたしの方を見た。
「トリフィリ村のリーアムです。……俺が、どうかしましたか」
どきんと、心臓が跳ねる。トリフィリ村、たしかに、あの焼けた村の名前だ!
「あ、あのっ! お兄さんを、探してる人がいます……えっと、名前は」
そこまで言って、わたしは言葉に詰まってしまった。そういえばあの女の人の名前、聞いてない。
どうしてわたし、いつもいつもこうなんだろう――口をぱくぱくさせていると、ラピスさんが助けに入ってくれた。
「サラという名前に、心当たりはあるか」
リーアムさんの目に、光が戻る。
「サラ! サラは無事なんですか!!」
「襲撃から一人逃れて、今は衛兵塔で保護されている。……もうすぐ会えるぞ」
リーアムさんは大きく目を見開いた。
はらはらと涙を流して、肩を震わせながら、ラピスさんとわたしを交互に見た。
「ありがとうございます……ありがとうございます!!」
その声を皮切りに、麻服の人たちは一斉にわたしたちに頭を下げた。
ありがとうございます。
感謝しております。
あなたがたは命の恩人です。
涙まじりの声で口々に言いながら、みんながラピスさんを、わたしを、神様か何かのように見上げる。
そこで、ようやくわたしは気がついた。
この人たちみんな、奴隷にされるところだったんだ。
わたしたちがいなかったら、みんな荷馬車に押し込められて、西に売られていくところだったんだ。
この何十人の人たちの運命を、わたしたちが変えたんだ。
握りしめた拳に、汗が滲んでくるのがわかった。
この戦いで、わたしができたことなんてほとんどなかった。足を引っ張ってただけだった。
でも、わたしがもっとがんばれたなら……ラピスさんみたいに強かったなら。
もっとたくさんの人を、助けることができるんだ。
もっとたくさんの人が、わたしみたいな目に遭わなくてすむんだ。
「残敵の掃討が終わり次第、我々は衛兵塔に帰還する。諸君らはいったん衛兵塔にて保護され、今後については監督官と協議が行われるだろう。保護期間中、糧食と衣服は不足なく支給される予定だ」
司令官さんが、麻服の人たちみんなに話をしている。
意味のよくわからない言葉を聞きながら、わたしは隣に立つラピスさんの手を、ぎゅっと握り締めた。
「どうした」
小声が返ってくる。
「帰ったら……剣、教えてください」
笑われると思った。
剣のお稽古なんて毎日やってる。なにをいまさらって、呆れられるかと思った。
けどラピスさんは、わたしが握った手を握り返してくれた。ぎゅっと、強い力で。
「そうか。何からがいい」
ぜんぜん馬鹿にしてない、真剣な小声だった。
「ぜんぶ……全部です。敵に勝てる剣も、身を守る剣も」
「剣だけでいいか」
聞き返されて、あわててわたしは付け加えた。
「あ、それと、力の使い方も……身体を丈夫にする方法も。強くなれることなら、なんでも」
「そうか」
ラピスさんの手に、もっと力が籠もった。
「アリサ。……強くなりたいか」
わたしももっと強く、ラピスさんの手を握った。
「はい。……強く、なりたいです」
ラピスさんのもう一方の手が、上からわたしの手を包んだ。
わたしもその上から、手を重ねる。
「ならまずは身体造りからだな。割引で肉を買う約束、覚えてるか……あそこの婆さんの備蓄、二人で食い尽くすぞ」
「はい!」
重なった四つの手が、あたたかい。
帰ったら、剣の稽古をがんばるんだ。
力の使い方も、たくさん練習するんだ。
ラピスさんだけじゃなくて、ソフィーさんにもティエラさんにも、クロエさんにも、色々教えてもらうんだ。
わたしは強くなりたい。いや、強くなる。
強くなって、一人でも多くの人を助けるんだ。
わたしみたいな目に遭う人を、一人でも減らすんだ。
できるかどうかわからないけど、でも、ひとつ確かなことはある。
運命は決まったものじゃないんだって。強い人ががんばれば、変えられるものなんだって。
わたしは強くなりたい。いや、強くなる。
運命を変えられるくらい、強くなる。
だから、見てて。ラピスさん、ソフィーさん、ティエラさん、クロエさん、王様……もういない、母さん。
松明の爆ぜる音が、暗い砦の中に響く。
夜明けを待って出発すると、司令官さんが大きな声で言った。こんなに待ち遠しい夜明けって、今日までずっと生きてきて、はじめてのような気がした。
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