小盾と長衣

 ラピスさんが言ったとおり、塔の中は万象兵器でいっぱいだった。

 天井や壁のあちこちに、光る輪と文字とがたくさん描いてあった。ほとんどは火だったけれど、時々は水や氷もあって、ひとつだけ雷を出すものもあった。

 ラピスさんとわたしはその全部を吸い込みながら、逆に力をぶつけて、光の輪を潰していった。……もしわたしが「器」のないただの人だったら、何回殺されていたかわからない。


「おそらく、そろそろ最上階だ。足は大丈夫か?」


 ラピスさんが訊いてくる。


「はい。これでも足腰は丈夫ですから……遠くの山に薪を取りに行ったりとか、よくやってました」

「そうか、そうだな。身体が丈夫なのは助かる」


 目の前の階段は、これまでと少し様子が違っていた。造りは変わらず黒い石組なのだけれど、上に何かの気配がある。きっと、人がいるんだと思う。

 ラピスさんも気付いたようで、腰に提げた剣の柄に手をかけ、軽く腰を落とす。わたしも同じようにしながら、階段を上がるラピスさんの後ろをついていった。




 ◆ ◇ ◆




 階段を上った先には、淡い橙の光が満ちていた。

 壁一面にずらりとランプが並んでいて、床には赤い絨毯が敷かれている。その先に兵士さんたちが並んでいた。数は四人、みんな鎧は着ていなくて、無地の麻の上下だ。寝ているところを起こされたんだろう、けど手には小剣スモールソード小盾バックラーをきちんと持っていて、腰を落とした構えでこちらを睨んでいる。

 そして小盾には、どれも山と鷲の紋章が描かれていた。


「……グレモスの紋章、か」


 低い声で、ラピスさんがつぶやいた。


「この件にグレモスが絡んでいるというのは、どうやら本当だったようだな……」

「賢い女は嫌いではないよ」


 兵士さんたちの後ろから、しわがれた声がした。


「そして、賢い女なら分かるはずだ。我らを妨害することが、グレモスと東方アナトレー王国にとって、どんな結果をもたらすのか」


 兵士さんたちの後ろに、白髪のお爺さんがいた。皺だらけのお顔にぎらぎらした笑いを張り付かせ、ゆったりした灰色のローブを引きずっている。あのローブは、めくったらやっぱり寝間着なんだろうか。

 お爺さんの隣にはもうひとり、揃いのローブを着た人がいた。フードを深くかぶっていて、どんな人なのかはわからない。

 だから、今この階にいるのは全部で八人だ。私とラピスさん、お爺さんと誰か。二つの二人組が、兵士さんたちの壁で仕切られながら向かい合っている。


「さあ、わからねえな」


 ラピスさんは自分の長剣ロングソードを抜いて、中腰で構えた。


「先に手を出してきたのはそっちだ。お前たちがオレたちの民に手を出したりしなきゃ、こんなことにはなんねえんだよ」

「在るべき者は、在るべき場所へ。帰るべき者は帰るべき場所へ」


 突然女の人の声がして、わたしはちょっとびっくりした。同時にお爺さんの隣の人が、フードを後ろにはね上げる。

 銀色の滝みたいな髪の毛が、フードの下からあふれ出た。ソフィーさんの黒髪にも劣らないくらい、まっすぐで長い銀髪が、背中の方へさらりと流れていった。

 ラピスさんが、隣で息を呑むのがわかった。


「わたくしたちはただ、在るべきものを在るべきところへ導いているだけのこと。われらを止めるならば、それはすなわち、世の道理に異を唱えるということです」


 言って、女の人は微笑んだ。

 びっくりするくらい、綺麗な人だった。

 もちろん、ラピスさんもソフィーさんもティエラさんも、みんな綺麗な人だ。けどこの人は、皆さんとはなんだか全然違っていて……降りたての雪で一面銀色の野原のような、清らかで冷たい気配をまとっていた。

 わたしなんかが触っちゃいけないような、うっかり触れば汚い足あとを付けてしまいそうな……怖いくらいの美人さんだった。


「あるべきところ? 何の罪もない民を捕らえ、私欲のために売り払うことがか?」

「もとより東方アナトレーは皇国の天領。東方の民は――いや草木の一本、水の一滴に至るまですべて、天命を受けし西方デュシス皇帝のものです」

「今いねえだろ、西方に皇帝は」

「主の不在は、義務の不在を意味しません」


 ラピスさんが、長剣の切っ先をローブの二人へ向けた。それでも二人は眉ひとつ動かさず、薄い笑いを浮かべたままだ。


「相互理解は不可能のようだな。賢い女と思ったが、どうやら見込み違いだったようだ……ダフネよ」

「はい、隊長」


 女の人は小さく頷いて、ローブに通した右手を上げた。

 同時に、天井と左右の壁が輝き始めた。一面に書かれたたくさんの輪や文字が、見る間に光を溜め込んでいく。


「アリサ、気をつけろ!」


 ラピスさんが、わたしに背を向けたまま叫ぶ。

 え、でも、どういうこと?

 ラピスさんもわたしも万象の闘士で、万象兵器が当たっても何ともないはず――

 思いかけたわたしの目の前で、稲光が弾けた。


「きゃ……!」


 思わず目を閉じたと同時に、きぃん、と高い音が響いた。

 あわてて目を開けると、目の前に剣の切っ先がある。

 兵士さんの手から伸びた剣を、ラピスさんの長剣が、目の前ぎりぎりで防いでいた。


「気をつけろと言っただろう!」


 剣を受け流し、ラピスさんが態勢を整える。その間にもまた、壁の模様は輝きを増していく。

 また、剣の音がした。今度は肩のすぐ近くだ。ラピスさんの剣が、今度も私を守ってくれた……みたいだ。

 兵士さんが後ろに飛びのいたのと同時に、私の肩を稲光が打った。


「……ぁ、あ!」


 身体中に、しびれる何かが走り抜ける。

 同時に、ラピスさんの苛立った声が飛んできた。


「万象兵器に気を取られるな! こいつら、その隙を狙ってやがるぞ!」


 背筋が、冷えた。

 あわてて周りを見回す。いつのまにか、兵士さんはわたしたちを取り巻いていた。左に一人、右に一人、正面に二人。みんな上手に、壁の模様が途切れたあたりを選んで立っている。

 赤い炎が、今度はラピスさんめがけて飛んできた。

 同時に、左の一人がラピスさんに斬りかかる。

 ラピスさんは息一つ乱さず、剣の一撃を弾いた。身体を捻って炎に向きなおると、炎は、ラピスさんの形よい胸に吸い込まれていった。


「さすがはラピス・パリセード、万象の闘士」


 ダフネと呼ばれた女の人が、上げた右手をゆっくりと揺らしながら、言った。

 ダフネさんが手を振ると、今度はかまいたちがラピスさんへと飛んでいく。

 そこで、ようやく、わたしは気がついた。


 万象兵器は、目くらましなんだ。


 わたしたち万象の闘士は、兵器の力を浴びてもなんともない。けど炎や稲妻が光れば、どうしてもそっちに気を取られてしまう。そこを狙う気なんだ。

 ようやくわかった。ラピスさんの「気をつけろ」の意味が。

 わたし、なんて馬鹿だったんだろう。こんな簡単なことにも気がつかないなんて!

 わたしはあわてて、周りの様子を確かめようとした。

 正面を――ローブの二人がいるほうを、振り向く。


「うりゃぁぁぁあぁ!」


 目の前に、剣が迫っていた。

 息が止まりそうになりながら、手元の小剣スモールソードで受ける。

 肩に当たる手前のところで、どうにか剣が止まった。鍔迫り合いになって、ぎしぎしと鉄のきしる音がする。


 重い。

 剣が……いや、剣を押してくる力が、重い。

 兵士さんの力は強かった。大きな男の人だから当たり前なのだけれど……支えている手が、がくがく震える。もう少し力を入れられたら、取り落してしまいそうだ。

 もう、だめ。

 そう思いかけた瞬間、不意に剣が離れていった。ほっと息を吐いて、剣を構え直そうと思ったその時――目の前で光がひらめいた。


「きゃあ!」


 思わず、目を押さえてしまう。

 わたしは何をしてしまったのか――気がついたのは一瞬あと。きぃん、という高い音を聞いた時だった。小剣が床に落ちた音だった。

 しまった、と思う間もなく、首に冷たいものが押し当てられた。

 身体中から血の気が引く。


「動くなよ」


 両手を掴まれ、後ろに回された。

 耳の後ろに、男の人の荒い息がかかる。


「投降せよ、ラピス・パリセード。そこの娘の命が惜しいのならな」


 わたしはゆっくりと屈ませられ、引き倒され、冷たい石の床の上に押し付けられた。

 しばらくたって、かぁん、と、剣が床に落ちる音が聞こえた。

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