怒号と突入
黒い石の砦は、意外に小さかった。
夕方、村の焼け跡から遠目に見た時は、溶け残った雪に浮かびあがる黒い石組みはとても不気味で大きく見えた。けれど、こうして山のふもとまで近づいてみると、門も壁もわたしの背丈の倍もなさそうだ。ローザリアの城壁どころか、旅の途中に見た小さな街の壁よりも、だいぶ低くて簡単な造りだった。中の建物も、暗い中だから細かいところまでは見えないけれど、衛兵塔の兵舎や厩舎と同じくらいの大きさに見える。
そんなふうに、建物の大きさがだいたいわかるようになってきたところで、わたしたちは歩くのを止めた。
弓兵さんが五人ほど、前に進み出る。
「見張りを倒すと同時に、歩兵部隊が内部になだれ込む」
ラピスさんが、わたしの肩を抱き寄せながら
「そうすれば乱戦になる。敵味方入り乱れてるうちは、万象兵器は出てこないだろう」
弓兵さんたちが弓を構える。
大きく引かれた弓の上で、矢羽が月の光に白く浮かんだ。
「勝ちが見えてきたあたりが危ない。油断せずついてこいよ」
司令官さんが、静かに手を挙げた。
ぎりぎりと、弓弦のきしる音がする。兵隊さんたちが一斉に腰を落とした。
皆の気配が、痛いくらいに張り詰める。
さっきまでの緊張とはぜんぜん違っていた。さっきまでは氷の上で縮こまる
と、そこまで考えて、わたしは急に気がついた。
……思わず出かかった声を、飲み込む。
「放て!」
司令官さんの手が、振り下ろされた。
ひょう、と音を立てて、矢が飛んでいく。
一瞬遅れて、人のものすごい叫び声がした。
(……狩り、なんだ)
木や草まで震えだしそうな吠え声は、北国の狼たちよりも荒々しくて……背筋がひやりと震える。
「オレたちは皆、獣だ」……出かける前のラピスさんの言葉が、頭の中に響く。
(これは、狩りなんだ……わたしたちは、人を狩る猟師なんだ)
扉のない城門に、兵隊さんたちがどんどん吸い込まれていく。
獣のような喚き声に、剣のぶつかる音が混じりはじめる。
「何ぼさっとしてる!」
ラピスさんに、手を引っ張られた。
「早く中に入れ。分断されたら一巻の終わりだぞ!!」
わたしはあわてて走り出した。
門に群がる兵隊さんの一番後ろにくっついて、わたしとラピスさんは城壁の中へと入っていった。
◆ ◇ ◆
城門の中は開けた庭になっていた。庭の奥の方にはレンガ造りの建物がいくつも並んでいて、そのもっと奥には黒い大きな塔が建っている。
兵隊さんの半分くらいが、庭を抜けて奥の塔に向かっていった。残り半分は左右に分かれて、レンガ造りの建物へ散っていく。司令官さんと数人の兵隊さんだけが門の近くに残り、周りの様子を伺っていた。
前から横から、鬨の声と人の叫び声がたくさん聞こえてくる。暗い中、入り組んだ建物の中で何が起こっているのか、わたしにはわからなかった。
男の人たちのものすごい声に、わたしの足はすくんでしまった。
逃げたい。けど声は後ろからも聞こえて来ていて、引き返すなんてできそうになかった。
「おい」
ラピスさんの声が飛んでくる。
「なに突っ立ってる。行くぞ」
「あ、は、……はい……!」
声だけは元気に返したけれど、足はやっぱり動かない。
と、不意に、足元がふわっと軽くなった。
ラピスさんの顔を、見上げる形になって……ようやくわたしは、ラピスさんに抱きかかえられているのだと気がついた。
ラピスさんは無言で、早足で歩く。剣の音と叫び声とに包まれながら、わたしとラピスさんは庭の真ん中を進んでいった。
◆ ◇ ◆
黒い塔に入ると、中は外よりも少し明るかった。先に建物に入っていた兵士さんたちが、ランプを点けてくれていたみたいで、橙色の温かい光が黒い壁を照らし出していた。
冷たい石の部屋は思ったよりも広くて、人が三十人くらい入っても大丈夫そうだった。左側の壁沿いに石の階段があるけれど、上った先は闇に包まれていて見えない。
「誰もいないのか」
わたしを床に立たせながら、ラピスさんは言った。
「少なくともこの階には。上層部にいるのか、それとも既にここを捨てたか――」
ランプを持った兵士さんが、言いかけた時だった。
突然、目の前がぱっと明るくなった。
暗闇に慣れた目に、痛いくらいの光だ。
思わず目を閉じた。同時に、兵士さんのすさまじい叫び声があがった。
「ぐぁ、ぎゃぁぁぁあ……!!」
すくみあがりながら、細く目を開ける。
兵士さんが、燃えていた。身体中を赤い火に包まれて、もがいていた。
息が止まる。
ひどい。
こんな、こんなことって。
頭の中が真っ白になって、わたしは、ただ目の前を見つめているしかできなかった。
「おい! 大丈夫か……!!」
ラピスさんの声がした。
同時に、炎がなくなった。じゅうじゅういう音と共に、兵士さんが床に転がる。革鎧は真っ黒に焦げていた。
他の兵士さんが二人、倒れた兵士さんを担ぎ上げる。ラピスさんは周りを見回し、叫んだ。
「総員退去しろ! ここには、万象兵器の罠が――」
ラピスさんが言い終わらないうちだった。
目の前に、赤い筋がひらめいた。次の瞬間、兵士さんがもう一人燃えあがる。
ラピスさんは素早く水球を作り、炎へ向けて投げつけた。炎は素早く消えた、けれど、兵士さんの顔や身体には、薄暗い中でもわかるほどの火傷が残ってしまっている。
「あとはオレたちに任せろ。塔の出入口だけ、封鎖を頼む」
兵士さんたちが、火傷した二人を抱えて外に出ていく。うちの一人からランプを受け取ると、ラピスさんはそれを高く掲げた。
「見えるか、アリサ」
促されて、天井を見る。あ、と声が漏れた。
石の天井に、飾りがたくさんついた輪が何重にも描かれている。輪の中には、難しい字がいくつも描かれているみたいだった。ローザリアでよく見る共通文字とは、全然似ていない。そして輪も文字も、黒い石の上に血のような赤で浮かび上がっている。
「あれが万象兵器だよ」
赤い線が見る間に太くなっていく。いや、違う。これは線じゃない。線の上に浮いた、炎だ。
膨れ上がった炎は、輪の真ん中でまとまって、光の矢になってラピスさんに降り注いだ。
「ラピスさん……!」
思わず叫ぶ。
けれど炎の矢は、ラピスさんの白い肌に突き立ったとたん、消えてなくなってしまった。なにもかもが嘘だったみたいに。
「やるじゃねえか。万象の闘士に、万象兵器で挑もうなんてな」
天井をにらみつけながら、ラピスさんは笑った。口の端を引き上げて、目をぎらぎらさせて、とっても怖い顔で笑った。人里離れた山に住むという
「だが……身の程は知るべきだな!」
もういちど赤く光りはじめた輪に向けて、ラピスさんは両手を掲げた。
白い両掌が、ほのかに青く光って……次の瞬間、青い矢が放たれた。
じゅぅう、と音を立てて、輪が消えてなくなる。熱い湯気が辺りに立ちこめて、むき出しの肌がじんわり熱くなった。
それからはもう、輪と文字が赤く光り出すことはなかった。
「さあ、行くぞアリサ」
ラピスさんは、石の階段をにらみつけて、わたしの手を引いた。
「上にいる連中を叩き潰す。オレとおまえにしかできねえ仕事だ……おそらくこの中、万象兵器の罠だらけみてえだからな」
ラピスさんの目は、さっきよりは怖くない。
でもやっぱり、普段ローザリアで見たことはないような、険しくておそろしい笑いだった。
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