村人と宵闇

 お日様が山のてっぺんにくっつくかくっつかないかの頃、わたしたちは女の人を連れて、山のふもとの衛兵塔に着いた。ここの衛兵塔はとても大きくて、塔というよりはもう砦だと思う。四隅に四つの塔が建っていて、灰色の石壁がそれぞれを四角に繋いでいる。だからまるごとの形は、四角いテーブルをさかさまにひっくり返したような具合になっていて、テーブルの足のところがちょうど塔になってる感じだ。

 わたしたちは、東側の城壁の真ん中あたりから砦に入った。中は薄暗い廊下になっていたけれど、入ってすぐ正面の扉をくぐると、明るい庭に出た。庭には柔らかそうな赤い服を着たお爺さんと、兵隊さんが四人ばかり、わたしたちを待っていた。


「遠路はるばる、よくお越しくださった。私がこの国境地区守備隊を監督する――」


 お爺さんが口を開いた時だった。

 司令官さんと一緒にいた女の人が、突然お爺さんに飛びかかった。放り捨てられた木苺の籠が、地面に転がる。

 ちらっと見えた顔が、とっても恐ろしかった。目が吊り上がっていて、歯を食いしばっていて。

 けれど拳が届く前に、護衛の兵隊さんが間に入った。別の兵隊さんが手首をつかむ。

 簡単に捻り上げられて、女の人はその場で押さえつけられた。


「あなたさえ……あなたたちさえ、仕事してくれたら……痛っ!」


 取り押さえられながら、女の人はものすごい声で叫んだ。


「何度頼んだと思ってるの……村が危ないから守ってくださいって! でもあなたたちは、全然動こうともしなくて――」

「後手に回ったことは、謝ろう」


 女の人を見下ろしながら、お爺さんはくぐもった声で言った。


「だが今ようやく、王都から増援が来た。これで奴らに反攻ができる」

「もう遅いわ!!」


 肩と頭だけを上げた女の人は、すっかり涙声になっていた。


「いまさら動いても、もうリーアムは……あの人はいなくなってしまった。父さんも母さんもお婆様も。みんなみんな、西方デュシスに売られてしまった……みんな、みんな、もう!」


 そこから先はもう、聞き取れる言葉にならなかった。

 髪を振り乱し、女の人は泣きわめく。意味のわからないことを叫んでいる目の前に、ラピスさんが無言で歩み出た。

 ラピスさんは、右手をそっと女の人の後ろ頭へ当てた。首のあたりを包み込むように、金色の髪をゆっくり撫でる。それでも落ち着かないとみると、今度は左手で、肩や二の腕をゆっくりとさすり始めた。


「大丈夫だ」


 ラピスさんは、子供をあやすようなやさしい声で言った。


「さっきの今だ。まだ取り返せる……必ず取り返す。オレたちがな」


 女の人はまだ泣き止まない。けれど、わめき声はだんだん小さくなっていく。


「大丈夫だ。オレたちに任せな」


 ラピスさんに撫でられるうち、聞こえる声はだんだんすすり泣きになっていった。

 ああ、こんなの、わたしには絶対できない。

 任せな、って、ラピスさんは言える。

 強いから。自分が戦って勝てるって、わかってるから。

 村でわたしが言おうとして言えなかったのって、これなんだな、と思う。


 言えたら、どんなにいいだろう。


 でも言えない。任せてなんてとても言えない。

 わたしは、ラピスさんほど強くないから。

 約束なんて、できないから。


「大丈夫だ……大丈夫だ」


 何度も何度も、ラピスさんは同じ言葉を繰り返す。でも声の調子は高かったり低かったり、速かったり遅かったり、力強かったり柔らかかったりして、一度として同じ感じの言い方をしてない。

 女の人の震えが、少しずつ小さくなっていって……最後に、がっくりと肩が落ちた。

 女の人は床に押し付けられたまま、涙でぐしゃぐしゃの顔でお爺さんを見上げた。


「監督官様……ご無礼、申し訳ございません……」

「構わんよ。対策が遅れたのは我らの咎でもある」


 監督官と呼ばれたお爺さんは、屈み込んで女の人と目を合わせ、次にラピスさんを見た。女の人の首を撫でつつ、ラピスさんは戦士の顔でお爺さんを見返した。


「君たち二人は、王都付きの『万象の闘士』とお見受けするが」

「ああ、いかにも」

「では問うが。君たち、今すぐには動けるかね。状況を鑑みれば、作戦行動は急ぐべきと思うのだが」

「オレに指揮権はねえ。作戦行動の相談は司令官に頼む」

「これは意思決定ではなく、情報収集のための問いだ。我らの守備兵、王都の援軍、そして万象の闘士……今回の作戦に三者はいずれも不可欠だ。君たちが動けないなら、作戦は明朝まで延ばさざるを得ないが」


 言いつつ、監督官さんはちらりとわたしを見た。


「だ、……大丈夫です!」


 出た声が、ほんのちょっとうわずってしまった。

 正直、長旅でちょっと疲れてる。でも、わたしのせいで作戦が遅れて、村の人たちが助からなかったら……そう考えたら、休んでなんていられない。

 わたしはラピスさんみたいに強くないから。せめて邪魔にはなりたくない。


「本当かね」

「本当です! 今すぐ、どこだって行けます!!」

「どこだって……とは大きく出たね」


 監督官さんがラピスさんの方を見た。


「ふむ……君、名は」

「万象の闘士ラピス・パリセード。彼女は見習いのアリサだ」

「ではラピス君。君とアリサ君の二人は、今すぐに作戦行動をとれるかね?」

「オレは問題ない。アリサは……正直オレの目からは、少し疲れてるように見えるが」

「そ、そんなこと……ないです!」


 わたしはあわてて言った。

 早く村の人たちを助けないと。わたしのせいで遅れるなんて、みんなが売られてしまうなんて……絶対に、いやだ。


「わたしは大丈夫です! すぐ、村の人たちを助けに行きましょう」

「そうか」


 監督官さんは、しわに埋もれそうな目を細めて、大きく頷いた。


「彼女の意見は尊重すべきだろう。ではこの結果をもとに、司令官と話してこよう……すぐ出陣は決まるだろう、準備は迅速に頼むぞ」

「はい!」


 わたしは、地面につきそうなくらい、深々と頭を下げた。




 ◆ ◇ ◆




 わたしたちが砦を出た時、お日様はとうに西の空に沈んでしまっていた。代わりにまんまるなお月様が、わたしたちが元来た東の方にぽっかりと浮かんでいる。今日のお月様はとても明るくて、目が慣れてくると、うっすらとだけど道の様子は見えるようになった。わたしたちは敵に気付かれないよう、松明たいまつやランプは点けずに行くことになったのだけど、これなら山道もちゃんと歩けそうだった。

 乗ってきたお馬は厩舎につないで、兵隊さんたちもわたしたちも歩きになっていた。先頭は地元の守備兵さんたち、次に王都の兵隊さんたち、最後にわたしとラピスさん。道をよく知っている守備兵さんたちが、わたしたちみんなを案内してくれていた。

 街道を外れて、草の中を歩く。草はわたしたちの膝くらいまで育っていて、もとは緑だったはずの葉は、月の光の下で鈍く黒く光っている。育った草を踏み分けながら歩いていると、なんだか、暗い海をかきわけているみたいで不思議だった。

 と、不意に、先頭の守備兵さんが歩みを止めた。続くわたしたちもいっせいに止まる。


「ここからは二手に分かれます」


 潜めた声で、王都兵の部隊長さんが言う。部隊長さんは、司令官さんの次に偉い人だ。


「事前にお伝えしたとおり、砦には二つの出入口があります。その両方を同時に、敵の態勢が整う前に奇襲します。敵の退路を断ち、捕虜の移送も防ぎます」


 兵隊さんたちが一斉に、静かに頷く。


「言うまでもなくこの勝負は、敵の態勢が整う前に決着させねばなりません。奇襲し、混乱させ、我らの全貌を見抜かれる前に叩く――敵に、落ち着いて対応する隙を与えてはなりません。……諸君らの健闘を祈ります」


 背中に、力が入る。

 わたしは腰に手をやって、剣の柄がある場所を確かめた。出発前にラピスさんが選んでくれた、一番細くて軽い小剣スモールソードだ。小剣といっても、長さはわたしの片腕くらいある。刃もちゃんとついていて、斬ったり突いたりすれば人は死ぬ。


(オレも、守れる限りは守ってやる。だが行く先は戦場だ、保証はできねえ……自分の身は自分で守れ、アリサ)


 そう言って、渡してくれた。

 でも、できれば使いたくないな、と思う。長い槍や立派な弓を持った兵隊さんは、みんな強そうだ。そんな人たちが襲ってきたら、わたしの力とこの細い剣とじゃ――


「行くぞ」


 ラピスさんに、手を引かれた。


「手筈通り、オレたちは正面側からいく。万象兵器が出てくるまでは待機だ。万象兵器が出てきたら――」


 前の方にいる兵隊さんたちが半分、列から離れて違う方へ進んでいく。その後ろ姿を横目で見送りながら、ラピスさんは続けた。


「――オレたちで無力化する。忘れるな、後方奇襲部隊の命運は、オレたち正面部隊の戦果にかかってるんだからな」


 わたしたちが失敗すれば、あの兵隊さんたちも無事ではいられない。

 力が入ったままの背中が、ちいさく震える。

 黒い草の海を、わたしたちはまた進みはじめた。別の道へ進んだ兵隊さんたちの背中は、すぐに、夜の闇の向こうへ見えなくなった。

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