黒煙と陶片

 次の日も、わたしたちは西へ向かった。

 朝日が昇ったら、兵隊さんたちは鎧を着て、お馬に乗って、三列になって西へ進んでいく。わたしたちが最後からついていくのも、昨日と同じだ。

 日が高くなっても、わたしたちはお馬に揺られていた。ときどきは高い城壁の脇を通ったりもしたけれど、わたしたちが中に入ることはなかった。あの中は、たぶん街だったんだろうな。ローザリアより低くて古そうな壁だったから、きっともっと小さな街だったんだろうけれど。

 最初の城門の側を通る時、ラピスさんはわたしに声をかけてくれた。


「行ってみたいか?」


 頷くと、ラピスさんはやさしい声で言った。


「万象の闘士として一人前になれば、任務で色々な街へ行ける。だからまずは目の前のことに集中しろ」

「はい」


 それからはずっと黙ったまま、わたしとラピスさんは城壁の側を通り過ぎた。次の城門からは、わたしとラピスさんは、特にお話はしなかった。




 ◆ ◇ ◆




 日が傾き始めたころ、道はゆるやかな上り坂になりはじめた。王様に見せてもらった地図を思い出すと、わたしたちの行き先は山のすぐそばだったから、だんだん目的地に近づいてきているんだと思う。

 昼の日差しに、わたしはお馬の上で少しうとうとしてしまった。

 と、その瞬間。

 ぱぁん――と音がして、ほっぺたがじんじん痛くなった。


「寝るな。落馬すれば命にかかわるぞ」


 ラピスさんの厳しい声が飛んでくる。


「は、はい……すみません」


 それでも五月の陽気はうららかで、少し気を抜くとまた眠ってしまいそうになる。手の甲をつねったりしながら、わたしはなんとか眠気に耐えていた。

 でもそれも限界にきて、また気が遠くなってしまいそう――と思ったとき、急に、列の前の方が騒がしくなった。

 なんだろう、と、寝ぼけながら思ったわたしは、次の瞬間飛び起きた。


(なにか……焦げてる……!?)


 吹いてくる風が焦げ臭い。前を見てみると、青い山を背にして黒い煙が何筋も立ち上っているのが見えた。


「斥候兵!」

「はい!!」


 兵隊さんが一人、お馬に乗って列を離れた。しばらくして戻ってきた兵隊さんは、列の先頭で大きな房飾りの兜をかぶっている人――司令官さんと、何事かを話していた。

 やがて司令官さんが、わたしたちに向き直った。


「この先、トリフィリ村に敵襲の形跡があるとのこと。敵兵の存在は現在確認できないとのことだが、焼き討ちされたと思われる建物はいまだ鎮火しておらず、残党がまだ近くにいる可能性がある。警戒態勢に入れ」


 槍の兵隊さんたちが、槍を構えた。

 弓の兵隊さんたちが、矢筒の帯を締め直す。


「アリサ」


 ラピスさんの手が、わたしの外套の紐を解いた。外套の前が開いて、風がすこし入ってくる。


「戦う準備をしておけ。敵が、近くにいるかもしれねえからな」


 後ろで、ラピスさんの紐も、解ける音がした。

 列の進みがゆっくりになる。ぴりぴりした緊張の中で、わたしたちもゆっくりゆっくり、息を詰めながら進んでいった。




 ◆ ◇ ◆




 真っ黒な柱の残骸が、いくつも煙を上げている。

 人の住んでいた場所だとは思えないくらい、そこには動くものが何もなかった。黒く染まった地面ではあちこちで煙がくすぶっていて、それなのに、お日様の下にむき出しのかまど――というより、かまどだったもの――には、どれも火が入っていない。木の柵から家々まで、なにもかもが焼かれていた。


「……ひどい」


 焼け跡のひとつに、陶器のお鍋が砕けていた。石組みのかまどの側で割れていて、中には真っ黒になった何かが入ったままだ。

 きっと、ご飯だったんだろうな。

 見ていたくなくて後ろを振り向くと、こっちにはお椀のかけらが散らばっていた。粉々に壊れていて、元がいくつあったのかももうわからないけど……ふと、昨日の夜のご飯を思い出してしまった。あったかい麦粥をお椀に入れてもらって、ラピスさんと食べて……このお家の人も、そんなふうにご飯食べてたんだろうな、と思うと、なんだかとてもぞっとした。

 さっきまでご飯を作ってた人たちが……今は、こんなふうになっちゃったんだ。


 なんだか、すごく怖くなった。

 けど、はじめての怖さじゃない気がした。たぶんきっとこれって、あの日とちょっと似てるのかもしれない。

 水汲みから帰ってきたら、急に知らない男の人たちに捕まって……銀貨二十枚と引き換えに馬車に押し込められた、あの日。

 きょうの続きに、あしたがない……あの、感じ。

 ああ、やだ……やだ。ずっと、忘れてたのに。


 土色のかけらに、目が吸いつけられて離れない。動けないままぼうっと立っていると、ラピスさんに肩を抱かれた。


「気がついてるか、アリサ」

「え。……なにが、ですか?」


 ラピスさんは、真っ黒に染まった四角――たぶん家があったところの隅を指差した。次に、違う所の隅を。そうして四隅を指差し終えて、わたしの目を見た。


「わかるか。どこにも、人の骨がない」

「あ」


 胸の中に、ぱっと灯りがともった気がする。


「他の場所も手分けして見てるが、どこにも人骨はないそうだ。おそらく、ここで人は死んでいない」

「だったら、ここにいた人たちは無事なんですか!?」

「……そんなわけがあるかよ」


 どこか呆れたように、ラピスさんが息を吐いた。


「思い出してみな、オレたちが何しに行くところなのか。そしてここは、もう目的地のすぐ近くだ」

「『人狩り』ですか……?」


 ラピスさんは大きく頷いた。

 そのとき、遠くから兵隊さんたちのどよめきが聞こえた。振り向いてみると、兵隊さんたちの前に若い女の人がひとり、木苺で一杯の籠を抱えてうずくまっていた。




 ◆ ◇ ◆




「朝、いつものように……木の実を集めに山へ入ったんです。そのときは……なにも変わったことはありませんでした」


 女の人は司令官さんを見上げて、震える声で話し始めた。


「けど、実を採り終えて帰ろうとすると……村の方に火の手が上がっていて。消さないと、と思ったのですが……出てきたんです。あいつらが」


 女の人は、目に涙をいっぱい溜めていた。綺麗な金色の髪が、すこし震えている。

 兵隊さんたちも司令官さんも、誰も口を開かずに、女の人の言うことを静かに聞いていた。


「鎧を着て剣を持った連中が、村の皆を追い立てて……馬車に乗せていました。そして、どんどん火が強くなって……火の勢いが一番強くなった時、馬車は行ってしまいました。まるで……村中が火に包まれるのを……見張っていたみたい、でした」


 そこでようやく、司令官さんが口を開いた。


「その馬車がどちらへ行ったか、覚えてはいるかな」

「はい。……あちらです」


 女の人が指差した先に、高い山がいくつもそびえている。

 遠くからだと青くおぼろに見えていた山は、今はもう、溶け残った雪の模様が見えるくらいに近い。

 そのふもとに、黒い石で組まれたお城か砦のようなものが見えた。女の人の指は、そこを指しているようだった。


「もういくつも、村がなくなっています……村ごと黒い城へ連れていかれたんだと、みんな、そう言って……ます」


 そこまで言うと女の人は、木苺の籠を抱いて泣き出した。そこから先は、言葉にできないみたいだった。


(ああ。……いっしょだ)


 一緒だ、と思った。

 馬車に押し込められて、どこかわからない土地へ連れていかれて、ただ泣くしかできなかったわたしと。

 なにか言おうと思った。けれど何を言えばいいのか、どうすればいいのか、いまのわたしには、ぜんぜん、わからなかった。

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