尻尾と兵糧

 お日様が少し西に傾き始めた頃、わたしたちの「小隊」は出発した。

 人数はわたしとラピスさんを抜いて三十人。だから全部で三十二人だ。みんな槍か弓を持ってお馬に乗り、わたしたちの前を縦三列に並んで行進している。身に着けた陣羽織サーコートは紺の無地で、ヴィクター陛下の「盾と双剣」の紋は入っていない。

 高そうな鎧と服が、お馬で並んで進んでいるとすごく立派な眺めだ。けれど王都を守っている兵隊さんは、西門の警備隊さんたちだけでももっといたように思う。ちょっと人数が少ないように思って、日が西に傾きかけた頃、わたしはこっそりラピスさんに訊いてみた。わたしは一人でお馬に乗れないから、ラピスさんに一緒に乗せてもらっている。


「今回の戦い、参戦する兵士の全員が王都から派遣されるわけじゃない」


 後ろで手綱を持っているラピスさんは、笑いながら答えてくれた。いまのわたしは魔導鎧に外套一枚羽織っただけだから、ラピスさんの感触が背中にぴったり伝わってくる。


「オレたちはまず、現地の国境警備隊と合流する。そのうえで作戦を立てて、分担して『人狩り』の拠点を攻めるんだ。王都から国境まで行軍すれば、兵士も疲れてしまうからな……現地の兵と協力するのが不可欠だ」

「現地の人たちだけじゃ、だめなんですか?」


 わたしの身体の下で、お馬の背中がゆさゆさ揺れる。


「国境警備隊は防御主体の戦力だからな。攻め込むための戦力には乏しいんだ。特に、相手に万象兵器の備えがあった場合、国境警備隊の戦力で対抗するのは難しい」

「ばんしょうへいき……?」

「万象術の火やら水やらで敵を倒す兵器だ。要はローザリアの『万象の種火』みたいなのを、敵に向けてると思えばいい」

「こわい、ですね」


 言うと、ラピスさんは急に笑いだした。


「え、わたしなにか……変なこと言いましたか?」

「万象兵器、別に怖くはねえだろ。万象の闘士は『万象の力』を吸って、自分の力に変えられる。だからオレたちさえいれば、万象兵器の脅威はほとんどない。というか、オレたちはもっぱらそのためについてきてるんだぞ?」

「そうだったんですか!?」


 ラピスさんはひとしきり笑った後、はあ、と大きな溜息をついた。


「ま、知らなかったものはしょうがねえ。その分は、作戦会議や司令官の指示をちゃんと聞いておけよ」

「は……はい!」


 居住まいを正して、私はあらためて目の前を見た。

 紺色の背中の列は、今もまだ全然乱れていなくて、硬そうな革鎧の肩当てや肘当てが夕日にてらてら光っている。お馬の尻尾も立派で、わたしの髪よりよほどつやつやしてる気がする。ゆらゆら揺れる茶色の房は、ラピスさんの一本にまとめた髪の毛に似てる気もする。

 ラピスさんの頭が、いっぱい列になってる……と思うと、なんだか急に可笑しくなってきた。思わず、吹き出してしまう。


「ん? アリサ、どうした」


 すぐ後ろから、ラピスさんの声がする。声が聞こえると、ますます目の前のお馬のお尻が、ラピスさんに見えてしまう。

 ずらっと並んだ、ラピスさんの後ろ頭。

 可笑しいのがどうしても抑えられなくて、わたしは大声をあげて笑ってしまった。すると一番後ろの兵隊さんが、不思議そうな顔でこっちを振り向いた。


「どうかされましたか?」

「あ、いえ、あの、……その」


 言いながらも、笑いが止まらない。


「おい、ほんとにどうした。急に」


 ラピスさんの声が、少しとまどっている。


「あ。……すみま、せん。お馬の……しっぽが、揺れるのが……おかしくって」


 笑いながら言えば、兵隊さんは首を傾げた。


「ラピスさん。どうしたんです? この子」

「ああ。こいつ、北国の出身でな……あまり馬を見たことがねえんだよ。馬がこれだけ並んでるところなんて、初めてなんだろう」

「はあ」


 首を傾げたまま、兵隊さんは正面へ向き直った。

 それからもしばらく、わたしは笑っていた。止め方がわからなかった。一度収まりかけても、たくさん並んで揺れているお馬のしっぽを見ると、また可笑しくなってしまった。

 お馬に揺られながら、お馬のしっぽでずっと笑ってしまう。

 ずいぶん経って、あごが疲れて、ようやくわたしは笑えなくなった。いちど止まってしまうと、どうしてあれだけのことがあんなに可笑しかったのか思い出せない。

 自分で自分がよくわからなくなっていると、ラピスさんが後ろから小声でささやきかけてくれた。


「収まったか」

「あ、はい……変なことで笑ってしまって、すみませんでした……」

「そうか。ま、あんまり気にすんな。いくさの前だ、辛気臭くしてるよりはいい」

「……はい」


 うつむくと、ラピスさんの手がぽんぽんと肩を叩いてくれた。


「さっきのおまえの顔、見られなかったのが惜しいぜ。……おまえが声出して笑ってるとこ、初めて聞いたからよ」


 そう言われてしまうと、さっきまでよりもずっと、恥ずかしかった。




 ◆ ◇ ◆




 街道を西へ、西へ、わたしたちは進んだ。

 進む先の正面にお日様がきて、遠くの山のてっぺんと重なった頃、わたしたちは衛兵塔に着いた。兵隊さんたちはお馬を柵につないで、重い鎧を脱いで、塔の脇の天幕へ列を作る。よくわからないまま、わたしもラピスさんと列に並んだ。

 列のいちばん前で、黒い鉄釜が二つ、ぐつぐつと湯気をあげている。流れてくるあたたかい湿り気に、麦の煮える香ばしい匂いが混じっていて、なんだか急にお腹がすいてきた。


「ラピスさん」

「なんだ」

「あれ、麦粥むぎがゆですよね……もらっちゃっていいんですか?」

「もちろんだ。兵を養うのも、軍隊の仕事のうちだからな」


 わたしとラピスさんの番が回ってきた。大釜の横には、古い麻のエプロンを着けたお婆さんがいて、大きなお玉じゃくしで中を一度大きくかき混ぜた。引き上げられたお玉の中身は、木のお椀にちょうど八分目。頭を下げてお礼をして、受け取る。

 お粥はだいぶどろっとしているけれど、かさの半分くらいはちゃんと麦だった。わたしが村で食べてたお粥はもっとずっと薄くて、お椀一杯に麦の粒が十個も見えないこともあったりしたから、すごくいいのをもらえてると思う。

 だのに、わたしは、思ってしまった。


(お肉……ないのかな)


 考えてしまったことに自分でびっくりして、息が止まりそうになる。

 修行の間ずっと、ラピスさんはわたしにたくさんお肉を食べさせてくれた。身体を作るのも修行のうちだって言って。だからこの一ヶ月くらい、毎日お肉を食べない日はなかった。

 こんな贅沢していいのかなって、ずっと思ってたけど……わたし、贅沢にすっかり慣れちゃったんだろうか。

 考えてみれば、塊のお肉もソーセージも、買う時はいつも銀貨だ。銅貨じゃない。それを毎日食べてるから……わたし、多分もう、銀貨二十枚分よりずっとたくさんお肉を食べてる。


「おい、何ぼーっとしてる」


 ラピスさんの声で、我に返る。


「ぼやぼやしてると冷めるぞ」

「え。あの……どこで、食べれば」


 ラピスさんは黙って辺りを見回した。目線の先では、兵隊さんたちが海辺の岩みたいにばらばらに座って、めいめいのお粥を食べている。

 あれ……けど、よく見ると、お粥だけじゃない人もいる。お粥に緑色のものが見えたり、膝に干肉を置いていたり。あの人たちは、自分で持ってきたんだろうか?

 首を傾げていると、ラピスさんは空いているところに腰を下ろして、わたしを手招きした。あわてて、隣に座る。

 すると不意に、誰かの声が後ろから聞こえた。


「万象の闘士さまがた。お肉はいかがでしょうか?」


 見るとさっき、釜の所にいたお婆さんだった。けど今は、古びたエプロンの前に大きな籠を持っていて、中には赤黒い干肉がこんもり山になっている。お肉の香りと一緒に香草の匂いが立ち上ってきて、思わず唾が出てしまう。


「近くの山で獲れた鹿肉と猪肉でございますよ。闘士様、どちらをご所望で?」


 ご所望、ってことは、食べちゃっていいんだろうか。

 手を伸ばして、山の一番上にあった大きな一枚を取ろうとすると――急に、手首を掴まれた。


「こら」


 ラピスさんだった。


「勝手に買い物すんじゃねえよ。そいつはまず俺に――」

「え、お金いるんですか!?」


 驚いて声をあげると、お婆さんの目つきは急に冷たくなった。馬鹿にするような目でわたしを睨んで、吐き捨てるように言う。


「何、あんたタダでこいつを持っていこうと思ってたのかい!?」

「すまん、だがまあ落ち着いてくれ。こいつは初陣だからな、従軍の作法も何も知らねえんだ」


 ラピスさんが、あわててお婆さんをなだめる。


「あなたさまがこの子の上官ですか」

「まあそんなところだ。あとでこいつにはよく言い聞かせとく。『別売』の食料は、糧食官の大事な食い扶持だってな……それで、だ。干肉一枚買いたいんだが、いくらになる」


 ふん、と鼻を一つ鳴らして、お婆さんは言った。


「銀一枚ですよ」

「高いな」

「高くないですか!?」


 わたしとラピスさんが、同時に言った。

 だってローザリアなら、銀貨一枚あればそこそこの肉の塊が買える。干肉だって一袋くらい買える。だのに、干肉一枚だけで銀一枚なんて!

 けれどお婆さんは、冷たい目でわたしたちをにらみつけながら言った。


「さっき、この子がタダで盗ろうとした迷惑料も込みですよ」

「なら、いらねえ」


 ラピスさんはぴしりと言った。


「変な値段を上乗せされるくらいなら、別の奴から買うだけだ。糧食官はあんた一人じゃねえんだし」

「……銅八枚でいいよ」


 あっさり値が下がった。でも、それでも高い。


「ローザリアだと高くても銅二、三枚くらいだがな」

「でしたらローザリアで買ってくればよろしいでしょう。ここはローザリアではございませんよ」

「……二枚で銅八枚。これでどうだ」

「二枚なら銀一枚はいただきたいですねえ」


 そこでラピスさんは少し考え、言った。


「よし、二枚で銀一枚。それで手を打とう。ただし条件がある」

「条件?」


 ラピスさんは、わたしの肩をぽんと叩いた。


「オレたちは復路もここを通る。もしオレとこいつが無事に戻ってきたら、祝いをしたい……その時は割引で肉を売ってくれ」


 お婆さんは、冷たい目つきでじろりと私を見た。

 そして、同じ目でラピスさんを見た。

 最後に、大声で笑った。


「はい、よろしいですよ。そのときはあるだけお売りいたしますよ。ただし、あなたがたお二人が揃って戻ってこられたらですがね……上官様だけではだめですよ?」


 にたにた笑うお婆さんと、ラピスさんの目が正面からぶつかる。ラピスさんが、大きく頷いた。


「よし、商談成立だな。じゃ、干肉二枚頼むぜ」


 背負い袋から銀貨を一枚取り出して、赤黒い肉と取り換える。お婆さんが渡してきた小ぶりの二枚を、ラピスさんはそのままわたしのお椀に入れた。


「え。あの……一枚はラピスさんのじゃ」

「別に俺はいらねえよ。おまえが欲しかったんだろ」


 言ってラピスさんは、手元のお椀に木の匙を入れた。


「早く食べねえと冷めちまうぞ」


 お粥に浸かった干肉を噛むと、香草と塩のきつい味がする。香りがつんと鼻に抜けるたび、お婆さんの馬鹿にしたような冷たい視線が思い起こされて、どうにも落ち着かなかった。

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