山脈と山国

 王様はしばらく壁の地図を――真ん中の、西方デュシス皇国の都のあたりをにらみつけていた。けれどしばらくして、王様はわたしの方へ向き直った。


「我が国がどんな状況にあるか、だいたい理解はできたかね」

「は……はい。王様は、西方デュシス皇国の人さらいから、この国の人たちを守るために戦っているんですね?」

「うむ。今のところは、その理解で大丈夫だ。そこでクロエの手紙の件に戻るが――」


 王様は、たくさん並ぶ三角形――中央ケントロン山脈と言われていたあたり――を指差した。上下で言うと真ん中あたり、左右で言うと右――東方アナトレー王国寄りのところだ。


「このあたりに、グレモス王国という小国がある。昔から、我々東方アナトレー王国とは友好関係にあったのだが、近頃は西方デュシス皇国から圧力を受けていたようだ。……正確には、皇国の東側を領土とする皇子の一人から、だが」


 王様は少しうつむいた。少し、眉の間に皺がよっている。


「クロエの手紙が本当だとすれば、グレモス王国は皇国についた。そして皇国の手先として、我々の民を奪い去っている、ということになるな」

「それじゃ……わたしたち、その国と戦争をするんですか?」


 王様は、静かに首を横に振った。


「グレモス王国が絡んでいるという決定的な証拠がない以上、表立って動くわけにはいかない。今やるべきはあくまで、我々東方アナトレー王国の国内に侵入した賊を――実行部隊を壊滅させるところまでだ。そして」


 王様は、ラピスさん・ソフィーさん・ティエラさんをぐるりと見た。


「可能であれば、背後にいるのが何者かを突き止めてほしい」

「……できれば、グレモス王国だとは思いたくないがな」


 ラピスさんが深く溜息をついた。こんなに落ち込んだ様子のラピスさん、見るのは初めてかもしれない。


「いずれにせよ、調べてみないことにはわかりませんわ。……陛下、この任務はわたくしに任せていただけませんこと?」

「勇ましい申し出、主君としてはありがたいかぎりだがな。戦術上、君を行かせるべき理由は?」

「グレモス王国が絡んでいるかもしれないこの任務、ラピスに任せるのは酷ですわ。そして敵の拠点を襲撃するのなら、『炎』は何かと便利ですわよ」

「ほう。……だが、他の二人も何か言いたげだぞ?」


 王様がちらりとティエラさんを見る。ティエラさんは大きな身体を折って、深々とお辞儀をした。


「この手紙が来たということは、現地には師クロエがいるかもしれません。でしたら、連携をとるには弟子である私が適任でしょう」

「要するに、クロエに会いたくてたまらないんだろ、ティエラは」

「な! ち、違うぞラピス、私は――」


 抗弁しようとしたティエラさんを、ラピスさんは手で制した。


「陛下、ここはオレに行かせてほしい。グレモスが絡んでいるとしたら、この件はオレの手で片をつけたい」

「ラピス、今回は『片をつける』のが目的ではありませんのよ? あなた、冷静でいられるんですの?」

「言葉のあやだ。そもそもこれは任務だろ……オレが任務ひとつ冷静に遂行できねえって、ソフィーはそう言いたいんだな?」


 空気がぴりぴりしてきた。大丈夫かな、と思いながらラピスさんとソフィーさんを見ていると、王様が急に笑いだした。


「本当に君たちは火と水のようだな……だが、すまないなソフィー。今回はラピスに任せることにしたい」


 意外にも、ソフィーさんは抗議しなかった。さっきまで鋭かった目が柔らかくなって、薄い笑いを浮かべてラピスさんと……わたしの方を見た。


「ご随意のままに。陛下ならそう言うと思いましたわ、これはラピスの試練だとね」

「どういう意味だソフィー。それはつまり、オレが――」

「君の出自についても、考慮はしている」


 少しいらいらした感じのラピスさんへ、王様はあくまで静かに言った。


「グレモスが本当に関与しているかどうか、君なら正しく見極められるだろう。だがそれ以上に――」


 そこで急に、王様は私を見た。太い眉の下、ものすごい力のこもった目が私をじっと見つめる。

 王様のこの目に見つめられると、わたしは逃げることもできず固まってしまう。……きっと、みんなそうだと思う。


「――ラピスよ、君はこの子の師匠だ」


 王様の大きな右手が、私の肩を掴んだ。


「この子の初陣を見守るのに、君以外の適任者はいないだろう。この子の門出は任せたぞ、ラピス」


 ばん、ばんと、少し痛いくらいの力で、王様は私の肩を叩いた。

 王様の肩越しに、ラピスさんが、深々と頭を下げているのが見えた。

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