王国と皇国

「ではまず……君は、これを見たことはあるかね」


 王様は、壁に張ってある大きな布を指した。

 布には……入り組んだ形がいくつも描いてある。真ん中にある大きなのは、細長い丸に近い形なのだけれど、縁はぎざぎざで、あちこちが出たり引っ込んだりしている。右上と左下には、小さな丸っこい形がいくつも連なっている。そして全体に、細かな字がたくさん散りばめられていた。


「いえ……見覚えは、ないです」

「そうか。これはな、私たちが住んでいる『大陸』の地図だ。山や海、川や都市などの場所を、図面にして書き記したものだよ」

「そう、なんですね」


 わたしは、ただ溜息をつくことしかできなかった。

 大陸、といわれてもよくわからない。けれどたぶん、ローザリアから見えるかぎりの平原よりもずっと広いのだろうとは思う。ローザリアから、川は見えても海は見えないから。


「ローザリアはどのあたりだと思うかね?」

「ええと……このあたりですか?」


 よくわからないまま真ん中あたりを指差すと、王様は目尻を下げてやさしそうに笑った。


「そこは、西方デュシス皇国の都があるあたりだな。とはいえ都に変わりはない、君はいい目をしている」


 本当は何も考えていなかったんだけど、褒められてちょっと照れくさい。

 頭を掻いていると王様は、わたしが指差したところよりずっと右のほうを指差した。

 この横長の丸には、真ん中から少し右寄りの所に、大きな三角がたくさん――たぶん山だと思う――描いてある。王様が指差したのは、山で区切られた右側の部分の、だいたい真ん中あたりだった。


「ここがローザリアだ。……大陸の中央から少し東に寄ったあたりに、中央ケントロン山脈が見えるだろう? この山脈を境に、西が西方デュシス皇国、東が私たちの住む東方アナトレー王国だ。そして、中央ケントロン山脈には小さな国がいくつもある」

西方デュシス皇国って……西方デュシス金貨とか西方デュシス銀貨とかの、あのデュシスですか?」


 王様は少しだけ目を丸くして、そして笑った。


「よく気がついたな。西方デュシス皇国は大陸で最も歴史があり、そして最も大きな国だ。むしろ大陸の他の国々は、実質的に西方デュシス皇国の属国と言っていい。中央ケントロン山脈の小国はもとより、南方ノトス群島も――」


 言いながら、王様は左下の細かい丸が集まっている辺りを指した。


「――我々の東方アナトレー王国も、西方デュシス皇国の配下なのだ」


 ローザリアのあたりを指しながら、王様は難しい顔をした。


「君が住んでいた北方ボレアス三島は、距離が離れているから直接の交流はなかったかもしれないな。だが人の文明は、すべて西方デュシスからもたらされると――そう、人々は信じてきたのだ。我々が使う共通語や貨幣は西方デュシスのものであり、万象術を含む各種学問も、もとは西方デュシスからきたものだ」

西方デュシス皇国って、そんなにすごい国なんですね……だとすると、きっとローザリアよりもずっと、立派で綺麗な国なんでしょうね」


 わたしが言うと、王様は大きく首を振った。


「三十年ほど前までなら、確かにその通りだったろう。だが今、西方デュシス皇国は荒れ果てている。内乱が……皇子たちの後継者争いが、もう二十年以上も続いているのだ」


 王様の眉間に、少し皺がよる。


「長い戦乱の間に、西方デュシス皇国の都はもとより、街も国土も荒れ果てた。それでも、皇子たちは戦をやめようとはしない……戦いを続けるために、皇子たちは色々な物を属国から吸い上げている。ところで」


 王様は、急にわたしの目を見つめた。


「戦を続けるには、いろいろな物が必要だ。どんなものが要るか、君にはわかるかな」

「あ……ええと」


 わたしは思いつくかぎりのものを、順番に挙げてみた。


「剣とか槍とか鎧とか、ですか? あっあとお馬とか、お馬に乗るなら鞍や手綱もいりますね。万象術を使うなら、魔法陣とか秘薬とかもあった方がいいですか?」

「たしかにそれも大事だね。だが、もっと大事な物がある」


 わたしは首をひねった。


「大きなお城とか、丈夫な門とか……」

「うむ、大事だ。だが、城だけあっても戦はできないぞ?」


 お城だけ、と言われて、わたしははっと気がついた。


「兵隊さん、ですか? お城だけあっても、兵隊さんがいなかったら戦えないですよね……?」

「そのとおり。城や兵器があったとしても、それを使う兵士が……人がいなければ何の役にも立たない。戦に最も大切なのは、人だ。それは間違いがない。そして――」


 王様はそこで、とても鋭い目になった。


「――西方デュシスの者たちは、人を……奴隷を、周辺の国々から競って集めているのだ」


 あ、と、思わず声が出た。


「男は兵士や人足に。女は下働きに、美しい者は娼館に……君もおそらくは、西方デュシスへ売られる途中だったのだろう」

「そう……だったんですね……」


 王様は、わたしの肩をぽんと叩いた。


「だが本当に幸いだった。君のような『器』の持ち主が、西方デュシスの戦乱の中で奴隷として果てるなど、あってはならないことだ……いや、我が国民の誰一人として、西方デュシスの我欲の餌食になるべき者はいない」


 王様の声に、だんだん熱がこもってきた。


「それゆえ私は、我が王国内での人身売買を禁じた。だがそれでも人狩りは横行し、奴隷商人は宵闇に紛れて荷馬車を走らせている……だが、それはあってはならないことだ」


 言って王様は、壁に貼られた地図をにらみつけた。王様が見ている先は、最初にわたしが指を差したところ――西方デュシス皇国の都のあたり――だった。


「私は、私の国民を、西方デュシスに食い潰させはしない。少なくとも、私の目の黒いうちは決してな」

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