四章 戦場で開くは氷の花弁

氷菓と蜂蜜

 五月の太陽を背に受けて、ソフィーさんが立っている。

 訓練用の革鎧と、動きやすい白の上下を身に着けて、棒を構えて立っている。


「さあ、どこからでもいらっしゃいな」


 微笑むソフィーさんの腕も足も、ぴくりとも動かない。

 わたしの背丈の半分くらいの棒を、両手で握って、わたしに向けて構えている。


(どこから、打ち込めばいいんだろうな……)


 隙が見えた所に突きを入れればいい、ってラピスさんは言うけれど。

 わたしの目じゃ、どこにもそんなの見えない。

 訓練用の細剣フルーレを握りながら、わたしはただ考えるばかりだった。


「こないなら……こちらからいきますわよ!」


 ソフィーさんが棒を振り上げて、わたしに打ち下ろしてくる。

 とっさに、わたしは剣の根元で受けた。びぃん、と、強い力が伝わってくる。


「やりますわね」


 少し押し合った後、棒が離れていく。

 と思ったら、今度は胴に、横薙ぎの攻撃が来た。


(きゃ……!)


 あわてて、今度も剣で受ける。

 衝撃が伝わって、ほんの少し指が緩んだ。


「まだまだですわね!」


 棒が離れた。

 と思った次の瞬間――ぱぁん、と音がした。

 手の甲が、痛い。

 指が開いて、細剣が地面に落ちる。からん、と音がする。

 それと、ほとんど同時に――


「はい、おしまい」


 ――わたしの肩を、棒が軽く叩いた。




 ◆ ◇ ◆




「まいりました、ソフィーさん」


 地面に膝をつきながら、わたしは頭を下げた。上から、息ひとつ乱れていない澄んだ声が降ってくる。


「でもアリサ、この一ヶ月での上達ぶりは大したものですわよ。一ヶ月前なんて、一番軽い訓練用の細剣フルーレを振るのがやっとでしたのに」

「本当にね。万象の力も、だいぶコントロールできるようになってきた」


 顔を上げると、訓練場の脇で観戦していたティエラさんが、こちらへ歩いてきていた。手に、木の大皿のようなものを持っている。


「どうだい、次は万象の力の訓練をやってみないかい。この大皿を、君の氷でいっぱいにしてみるんだ」

「なるほど、力を制御する訓練ですのね。お皿の上に標的を絞って、かつ、皿を壊さない程度の力に抑えて……これは難しいですわよ。アリサ、さっきの今で大丈夫ですの?」

「私は、今の君ならできると思うけどね。昨日は、弓術用の的を五つ正確に射抜くのにも成功しただろう?」

「……やってみます」


 わたしの目の前に大皿を置いて、ティエラさんとソフィーさんは訓練場の脇に退いた。広い土の地面の上に、木の皿だけがぽつんとたたずんでいる。


(お皿……壊さない程度に)


 陶器ほど脆くはないにしても、お皿はお皿だ。一ヶ月前、ラピスさんに怪我をさせたり火事を鎮火させたりしたような……あんな力をそのままぶつけたら、壊れてしまう。

 でも、今は、あの頃のわたしじゃない。

 わたしは、上着を脱いで胸当てブラジャーだけになった。目を閉じて、降り注いでくる日の光に集中する。


(……あったかい)


 暖かい五月の日差しが、肌を抜けて身体の中に入ってくる。身体が火照って、お腹の奥が疼いて……心臓の鼓動が早くなってくる感じにも、もう慣れた。

 身体が熱いもので溢れて、高みに達してしまう前に……少し集中を解く。肌を通ってくるあたたかい何かを、意識して遮る。

 わたしは目を開けた。

 目の前に、木のお皿がある。その少し上あたりに、掌を向ける。


「はぁ……っ!」


 息とともに、掌から力を吐き出す。

 目の前に白い光が走った。

 一瞬で、辺りが白いもやに包まれる。

 ぴしぴしと、空気が凍る音が聞こえる。

 唾を呑みながら、もやが晴れるのを待つ。


「やりましたわね!」

「すごいぞ、アリサ!!」


 ソフィーさんとティエラさんが、嬉しそうに叫ぶ。

 もやが晴れるとお皿の上には、白い細かな氷がこんもりと山盛りになっていた。


「これができるのでしたら、もう力の制御は完璧ですわね、アリサ!」

「はい! ソフィーさんやティエラさん、それとラピス師匠のおかげです!!」

「私たちは大したことはしていないさ。君の素質と努力があったからだよ。というところで――」


 急にティエラさんは、小皿を三枚と匙三本、そして小さな瓶を取り出した。


「――祝いにみんなで食べようじゃないか。蜜をかけた氷はおいしいらしいよ」




 ◆ ◇ ◆




 ティエラさんの一言で、場がしんと静まり返ってしまった。

 なんというか、氷以上に空気が冷たくなってる気がする……どう反応していいのかわからなくて、わたしも黙ったまま、ティエラさんとソフィーさんを交互に見た。


「……つまり、あなたが氷を食べたかったから、この訓練だったんですの?」

「否定はしないよ」


 眉毛を釣り上げているソフィーさん、苦笑いしているティエラさん。どっちに味方すればいいのか、よくわからない。


「私は南方ノトス群島の出身なんだけどね。あそこでは、王侯貴族が氷に蜜をかけて食べていると、もっぱらの噂だったんだ。どんなものなのか一度試してみたくてね」


 ティエラさんは笑いながら、手元の小瓶を振ってみせた。中で、夕暮れ時の空みたいな色のとろとろした何かが揺れた。


「せっかく蜂蜜も用意してきたんだ、せっかくだから試してみないかい。アリサ、君はどうかな」

「……えっと」


 ソフィーさんが褐色の目を細めて、とっても冷たくわたしを見ている。


「アリサ。ここで承諾してしまえば、ティエラに今後ずっと氷菓子を作らされますわよ……あなた、それでいいんですの?」

「ええと……」


 うーん。ソフィーさんが心配してくれるのは、なんとなくわからないでもない。

 けど考えてみれば、わたしが氷菓子を毎日作らされたとしても、別に困ることはない……ように思う。わたしもおこぼれで甘いものをもらえるかもしれないし、なにより、ティエラさんが喜ぶならそれでいいと思う。わたし、ティエラさんのこと好きだし。


「わたしは氷菓子、ほしいです」

「わかってくれると思っていたよ、アリサ。それじゃあさっそく、溶ける前に食べてしまおうか。……ソフィーはいらないのかい?」

「そんなことのために、アリサに力を使わせるわけにはいきませんわ」


 ソフィーさんの眉間に、ちょっと皺がよってる。……ひょっとして、やっぱり欲しいんだろうか。欲しいけど、わたしに気を遣ってくれてるんだろうか。


「もう作ってしまったものですし、よかったらソフィーさんもどうぞ? わたし、気にしませんから」

「……そこまで言うなら、しかたありませんわね。溶かしてしまうのももったいないですし」


 ソフィーさんの眉間の皺がなくなった。ああ、やっぱり。言ってみてよかった!

 ティエラさんはとっても幸せそうに笑って、大皿を訓練場の控室に持って行った。控室の机に三枚の小皿を並べて、綺麗に三等分で山盛りにする。そして、それぞれの皿に小瓶からたっぷりの蜜をかけた。

 匙をわたしたちに渡すと、ティエラさんはうっとりと目を細めて、とろけそうな顔で笑った。


「では食べようか。……アリサと、天地万象の力に感謝を捧げつつ」


 一礼して、ティエラさんは蜜のかかった氷を口に運んだ。


「……ん」


 ティエラさんの表情が、歪む。


「これは……」


 ソフィーさんも、一口食べて難しい顔をした。

 わたしも一匙、すくって食べてみた。


(甘い、な)


 甘い。とっても甘い。

 冷えた蜂蜜は口の中でとろけて、甘味がいっぱいに広がって、夢のようにおいしい。

 けど。


(氷……ちょっと邪魔だな……)


 氷と蜂蜜は、ぜんぜん混ざっていない。

 蜂蜜は冷えて固まっていて、それだけを食べるととってもおいしいんだけど……どうして一緒に氷があるのか、正直よくわからない。

 氷は味がなくて、ざりざりしているだけで、蜂蜜とあわせて食べる意味がわからない。こっちはぜんぜんおいしくないと思う。


「おかしいな……こんなはずでは」


 ティエラさんは、しきりに首を傾げている。


「甘い氷は天にも昇るおいしさだと、貴族たちは言っていたようなのだが」

「甘い氷というより、甘いものが乗った氷ですわね、これ」


 ソフィーさんが溜息をつく。


「蜜と氷を混ぜる方法が、なにかあるのだろうか」

「たぶん違う蜜なんだと思いますわよ。糖蜜の類かもしれませんし」

「おい」


 突然の声に振り返ると、ラピスさんが立っていた。手には何か大きな袋を持っている。袋は白くてつやつやしていて、上等そうだ。


「なにやってんだ、皆で集まって」

「ああ、アリサの力で氷菓子を作ってもらったんだ。ただ、どうもうまくいかなくてね」

「氷に蜜をかけてみたんですけど、蜜が氷にうまく絡みませんのよ」

「あー」


 どこか呆れたように、ラピスさんは言った。


「そりゃ蜂蜜じゃ混ざらないだろ。氷にかけるのは糖蜜に決まってる。なけりゃ果物の汁でもうまいぜ」


 わたしとティエラさんとソフィーさん、皆が揃って大きな溜息をついた。


「つまり私は、最初から間違っていたというわけか……」

「そういうことになるな。ま、アリサの力はいつでも使えるんだし、また試せばいいだろ」

「ちょっとちょっと……ラピス、あなたまでそういうことを言うんですの? 師匠の立場で?」

「むしろ師匠が、鍛練の機会を見逃しちゃいけねえだろ。氷菓子を作るのはいい鍛練になると思うぞ」


 横で、ティエラさんが大きく頷いている。

 わたしの力のことをわいわいお話してる皆さんを見て、わたしは……とても、うれしかった。おいしいお菓子を作って、食べてもらって喜んでもらえるくらいの力……そのくらいが、わたしには合っているんだと思う。

 毎日氷菓子を作って、ティエラさんや他の人たちに喜んでもらえたら、たぶん、わたしの胸の中はそれだけでいっぱいになると思う。

 あふれもしなくて、足りなくもない、ちょうどいいくらいの幸せ。

 がやがや言い合っている皆さんを眺めながら、胸の中がぽわぽわ温かくなるのを、わたしは感じていた。

 けどそんな時、不意にラピスさんがわたしの方を向いた。


「……まあ、それはともかくとして、だ。アリサ」


 ラピスさんは、持ってきた大きな袋を持ち上げてみせた。中で何かが、がちゃりと鳴った。


「おまえの魔導鎧、できあがってきたぞ。ちょっとここで試着してみてくれ」


 どきり、と心臓が大きく打つ。

 ティエラさんとソフィーさんから、拍手とともに歓声があがった。

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