奇縁と菜摘

 ラピスさんを何とか助け起こし、服を着せて、どうにかわたしたちはローザリアまで帰ることができた。

 力を受けたのが手だったのは幸いだった、とラピスさんは言った。もし足に受けていたら、歩けないまま誰も来ない丘の上で野獣の餌だったろうな、と、ラピスさんは苦笑いしながら言っていた。

 門の衛兵さんたちが、すぐさまラピスさんを王立治療院へ運んでくれた。出迎えてくれたマグノリアさんは、はじめだけ顔をしかめたけれど、ラピスさんの手を触るとすぐに笑顔になった。


「大丈夫、これならまだ間に合いそうですね。これから施術に入ります、まずは『氷』の力を抜いて、その後に皮膚の修復を試みます……ただ」

「ただ?」


 心臓が、きゅっと締め付けられる。

 やっぱり治らないとか、傷が残るとか、そんなことを言われるんだろうか。

 そんなことを考えて身構えていたわたしに、マグノリアさんはやさしく微笑みかけてくれた。


「心配いりませんよ、たいしたことではありません。施術用の薄荷ミントの生葉が、いまちょうど不足していましてね。すみませんが庭園から摘んできていただけないでしょうか……イリーナ」

「はい」


 奥から、白い服と白いエプロンを着た女の子がやってきた。金髪碧眼の端整なその顔に、わたしは見覚えがあった。


「あ……あなた」

「あれ……あなたって」


 わたしとその子が、同時に声を上げた。


「おや、知り合いですか?」

「いえ、知り合いではないんですけど……たまたま、奴隷商人のところで一緒にいて」


 覚えてる。

 この子、わたしが焼印を押されたとき、前に並ばされてた子だ。今はこんなところにいたんだ。


「そうでしたか。イリーナ、アリサさんと一緒にミント葉の用意をお願いできますか。『力』の除去が終わるまでに、籠二杯分お願いします」


 イリーナと呼ばれた子は、深々と頭を下げた。


「では行ってまいりますね。アリサさん、こちらへ」


 イリーナに手を引かれ、庭園の方へ向かう。

 マグノリアさんに肩を抱かれ、治療院の中へ入っていくラピスさんは、なんだか奇妙に小さく見えた。




 ◆ ◇ ◆




 イリーナがミントの茎の先を切って、わたしが受け取って葉を外す。茎を切ってしまって大丈夫なのか心配だったのだけれど、イリーナが言うことには、こうすると新しい芽が出てどんどん増えていくんだそうだ。ほんとうに生命力の強い草なんだなあ、と思う。

 そうやってミントを摘みながら、わたしとイリーナはこれまでのことを色々と話した。


「あの後、私たちはみんな身元を確認されたうえで、国元へ帰されたの。でも帰るあてがない人たちも多くて……そういう人たちは、ローザリアの色々なところで雇ってもらったの」

「そうだったんだ」

「アリサはそうじゃなかったの? だったらどうして、まだローザリアにいるの?」


 答えに、詰まってしまう。

 まさか「万象の闘士として王国に雇われました」なんて言って、信じてもらえるわけがないと思う。でもだとすると、なんて言えばいいんだろう。


「さっきの闘士様と一緒にいたってことは、あの方の小間使い?」

「えっと……だいたい、そんな感じ」


 弟子と小間使い。ちょっと違うけど、とりあえずそういうことにしておこう。


「いいなあ。うらやましいなあ。闘士様、お側で見られるんだ」


 ぱちぱちとミントの茎を切りながら、イリーナは言った。整った横顔が、橙色の西日に映えてとても綺麗だ。


「そんなに、いいことばっかりじゃないよ。わたしなんにもできなくて、皆さんに迷惑かけてばかりで……今日のラピスさんの大怪我も、わたしが失敗したからなんだ」

「そうなの?」

「そう」


 ぷちぷちとミントの葉をむしりながら、わたしは言った。そろそろ、指がミントの匂いになってると思う。


「イリーナはすごいよ。雇われたのはわたしと同じくらいだと思うのに、ちゃんとお仕事できてて」

「私も失敗してばっかりだよ。でもマグノリアさんも他の皆さんも、とてもかわいがってくれて」

「いいなあ。わたしもかわいがってほしい」

「アリサ、かわいがってもらってないの?」


 また、答えに詰まる。

 かわいがられていない、ということはない……と思う。ティエラさんもソフィーさんも、もちろんラピスさんも、わたしにはとてもよくしてくれている。

 でも、わたしは。


「ううん。とっても、親切にしてもらってる。でもわたし、仕事もなにもできなくて……遅かれ早かれ、見放されるだけだと思う」

「だったら、お仕事覚えればいいと思う」

「……すごく難しい仕事なんだ」


 手元にミントがあってくれるのが、とてもありがたい。あたりちらすように、むしる。


「もうちょっと丁寧に取ってくれないかな、葉っぱ」

「ごめん」

「……できないくらい難しい仕事、闘士様はなんでアリサに振ってくるの?」

「わたしにしかできない、って話だから」

「よくわかんない。アリサにしかできないのに、アリサには難しくてできないの?」

「わかんなくていいよ」


 話しながら、ただひたすらミントをむしる。辺りはもう、ミントのつんとくる香りでいっぱいだ。


「イリーナがうらやましい。身の丈にあったお仕事もらって、みんなにかわいがってもらって。わたしは――」


 その先を続けようとして、わたしは今度も言葉に詰まってしまった。

 わたし、どうしたいんだろう。

 どんなふうになればよかったって、わたしは思ってるんだろう。

 王様の前で、わたしはラピスさんに言った。「銀二十枚分愛してください。それ以上のことはしてくれなくていいです」って。

 でも……銀二十枚分の愛って、どのくらいのものなんだろう。


「アリサ?」


 イリーナが声をかけてくれる。でも、どう答えていいかわからない。


「手が止まってるよ? 籠二杯には、まだもうちょっと足りてないからね?」

「あ……ごめん」


 あわててまた、ミントをむしり始める。

 銀二十枚分の愛。わたしの値打ちの分だけの、愛。

 たったそれだけ、欲しかっただけなのに。

 わたしは黙ったまま、無心にミントをむしった。イリーナはそれ以上、何も話しかけてはこなかった。

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