草原と薫風

 それから数日。

 わたしはラピスさんの下で、ひたすら「肉をつける」任務をこなしていた。……こなしていた、と言っていいのかはわからないけど。

 朝起きたら朝ご飯を食べて、落ち着いた頃にローザリアの西門から北門までを外壁に沿って往復で走る。

 終わったら訓練所で、訓練用の剣を素振り。他にも身体をひねってみたり、寝転がってお腹から上だけを起こしてみたり、訓練所の教官さんにいろんなことをさせられた。

 日が西に傾いて、物見塔の上にかかるくらいになったら、わたしたちはラピスさんの家へ帰る。けれどその頃には、わたしはもうすっかりへとへとで、身体中が痛くて、いちど座ったら立てないくらいになってしまっていた。

 あとは、ラピスさんが買い置きしてくれているベーコンやソーセージを食べて、ベッドで眠るだけ……なのだけれど、時々わたしは食卓で寝てしまったり、疲れて動けなくなってしまったりして、ラピスさんに寝室まで運んでもらうこともたびたびだった。

 こんなので、本当にお肉はつくんだろうか――そう思いながら、日にちだけが過ぎていった。




 ◆ ◇ ◆




「今日は少し違うことをしてみるか」


 ラピスさんがそう言い出したときには、たぶん鍛練が始まってから一週間くらい経っていたと思う。


「そろそろ走るのにも慣れただろうから、今日はローザリアの外まで走ってみようか。たまには違う景色を見てみるのもいい」


 革袋を一つ腰に提げながら、ラピスさんは言った。


「外……は、どのあたりですか?」

「ローザリアの西門を出てすぐのあたりに、小高い丘があるだろう。あそこに登るぞ」


 西門の外の丘は、わたしも一度見たことがあった。ローザリアに初めて来た時、入った門は西門だったから、周りの様子はその時に少し見た。思い出してみると確かに、草原が少し高くなっているところがあったように思う。


「あそこは気持ちのいい風が吹く。ローザリアの城壁を眺めながら食事もおつなものだぞ」


 腰の革袋を軽く撫でながら、ラピスさんは言った。




 ◆ ◇ ◆




 丘のてっぺんまでの道のりは、思った以上に大変だった。

 春先の野原は、生え出たばかりの野草が青や紫の小さな花をつけていて、眺める分には綺麗なのだけれど……わざわざ丘に登ろうという人がいないのか、道らしい道が見あたらない。脛が半分埋まるくらいに茂った草を踏み越えていくのは、思っていたよりずっと、足が疲れる。

 北にいた頃は、こんなに草が茂るのは真夏くらいだったな……なんて思い出しながら、わたしは先を行くラピスさんの背中を追った。

 ラピスさんが足を止めた頃には、わたしの足はすっかり草だらけで、息もだいぶ上がってしまっていた。


「あぁ。ついてこられたみたいだな」


 ラピスさんが振り向いて笑う。……ラピスさん、わたしの方をちらちら見ながら、時々速さを落としてましたよね。気がついてましたよ。


「着いたぜ。ここからだと、ローザリアの城壁がよく見える」


 ラピスさんが指した方を見れば、確かにローザリアの城壁が、草の海に大きな石の船を浮かべたように、堂々とそびえている。いつもわたしたちはあの中で、寝たり起きたり訓練をしたりご飯を食べたりしてるんだなあ……と思うと、少し不思議な気分になる。


「ここは空気もいい。遮るもののない日の光も、気持ちがいい」


 ラピスさんの言う通り、吹き渡る風には街らしい臭いが全然ない。ローザリアには、北で行ったことのある町に比べたら悪い臭いが少ないけれど、それでも、ごみやその他の汚いものの臭いはどうしてもする。丘の風にはそれもまったくなくて、ただ澄み通った土と草木と、太陽の匂い――日の光に匂いがあるのかはわからないけれど、ここにいると、きっとあると思えてくる――がするだけだった。


「さて、それじゃ」


 ラピスさんは、わたしの方を向いて微笑んだ。


「アリサ、服を脱げ」

「……え?」


 ラピスさん、いきなり何を言ってるんだろう。


「えっと……あの?」

「だから服を脱げって、アリサ」


 えっと、あの……わたし、どうすればいいんだろう……。

 わたしがぽかんとしている前で、ラピスさんは服を脱いで、肌着も脱いでしまった。

 そして胸当てブラジャー下穿きショーツだけになると、着ていたものを草の上に敷いて、その上にごろんと寝転んでしまった。


「どうした、アリサ。気持ちいいぞ」


 ラピスさんは気持ちよさそうに、本当に気持ちよさそうに、笑っている。

 ええと……その……?


「え、えっと……人が来たら、どうすれば」

「来ねえよ。ここに来る人間はほとんどいねえ」

「ほとんど、ですよね……ぜんぜん、じゃないですよね」

「まあ、その時は」


 ラピスさんは右手を高く掲げた。掌の上に、なにか透明な玉のようなものが現れて浮き上がって……ふにゃふにゃ動いている。


「こいつをぶつけて追い払う。アリサは何も心配しなくていい」


 ラピスさん、自分の「水」の力を使ってまでって……なんでそこまでするんだろう。

 でも、そこまで言われて、弟子がなにもしないわけにもいかない。


「……はい……」


 震える手で、わたしは上着とスカートを脱いだ。肌着も脱いで、脱いだ全部をラピスさんが寝転ぶすぐ隣に並べて……その上に、横になった。

 顔が、かっかと熱い。


「どうだ。気持ちいいだろ?」


 ラピスさんが嬉しそうに言う。

 でもわたしは、ただ恥ずかしくて……誰か来たらどうしよう、こんなところ見られたらどうしよう、ただそれだけしか考えられなかった。


「……ちっとも、そんなことないです。恥ずかしいです」

「そうか、それは残念だな。日の光も草木の香りも、これだけ気持ちいいのにな」

「お日様や草を見るだけなのに……こんな格好、する必要があるんでしょうか……」

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