長剣と腸詰

 辺りがなんだか明るい気がする。

 うーん、けど、起きたくない。身体がやわらかい何かに包まれてて、顔もやわらかい何かに埋まってて、ちょっと、このまま動きたくない。


「アリサ。朝だぞ」


 誰かの声がする。でももうちょっと、こうしていさせて。

 誰かの手が頭を撫でる。顔が、やわらかい何かに押し付けられる。んー。あったかくて気持ちいい。

 薄目を開けると、目の前には褐色ばかりが広がっている。なんだろこれ……

 そこまで考えたところで、わたしはあわてて跳ね起きた。


「て……てててティエラさん、すみません!!」


 布団を跳ねのけて起き上がれば、麻の寝間着姿のティエラさんが、窓から入る日の光の中で微笑んでいた。明るく輝く褐色肌がとてもきれいだ、けど問題はそこじゃなくて。


「わ、わたし……また、ティエラさんのお胸の上で寝てましたよね……」


 忘れもしないあの感触。やわらかくってあったかい、ふにふにのお肌の感触。

 馬車でローザリアへ向かう時に、いちど触らせてもらったことはあるけど、あの時ティエラさんは胸当てを着けていた。さっきは布地越しだったけれど、硬い胸当てはなくって……お胸全部がやわらかくって。


「おや、何を赤くなっているんだい?」

「あ……わたし……」

「スープを飲んだ後、アリサが眠ってしまったからね。寝室に運んで、私のベッドで一緒に寝てもらったのだけれど」


 大きなベッドを降りながら、ティエラさんが笑う。こうして見ると、いま寝ているベッドは本当に大きい。背が高すぎるティエラさんが身体を伸ばして、左右に大きく寝返りを打っても大丈夫そうな大きさだ。きっと、作った職人さんも大変だったと思う。


「ありがとう、ございます……ご迷惑、おかけしました」

「気にしなくていいさ。それより今日から、君は正式にラピスの弟子だ。自覚を持って、師匠に恥じないように振舞わなければいけない」

「……はい」


 寝間着を脱いで、昼の服に着替えているティエラさんに、わたしは一つ訊いてみた。


「弟子の自覚、って……どんなことをすればいいんですか? ティエラさんにも、お師匠様はおられるんですよね」

「そうだね」


 明るい赤色の上着に袖を通しながら、ティエラさんは首を傾げた。


「そこは、人によるだろうけど……私に関していえば、私は師匠をこの世の誰よりも敬愛している。世の者のすべてが師匠を敵とみなしたとしても、私だけは師匠の下で、師匠を守り抜くつもりでいる。ただ、私のありかたを君に押し付けるつもりもない」


 赤いスカートをはきながら、ティエラさんは続ける。


「君は君のやり方で、師に仕えて師を愛してやってほしい。ラピスはいい奴だよ」


 ティエラさんは、わたしが着てきた白の上下を差し出しながら、やさしく笑った。




 ◆ ◇ ◆




 ティエラさんに連れられて、わたしは王国軍の訓練所に向かった。

 ローザリアの東門に近いところに、白漆喰と赤い木でできた大きな建物があった。入ろうとすると、大きな玄関の横にソフィーさんが立っていた。いつもながらの綺麗な黒髪が、華やかな刺繍の入ったワンピースの上に流れていて、相変わらず溜息が出るくらい綺麗だ。


「遅いですわよ」

「すまない。しかし、ラピスも遅れるとは珍しいな?」

「彼女なら中ですわ。いろいろ、用意しておくものもありますからね」


 三人で中に入ると、玄関の向こうはとっても大きな建物だった。右手側には受付の机があって、若い男の人が帳簿をめくっている。左手側は大きな部屋になっていて、鉄の全身鎧から革の手袋まで、わたしの背より長い矛から小さな短剣まで、武具がずらりと並んでいた。

 溜息をつきながら眺めていると、奥の方に長い茶髪を一本にまとめた女の人がいた。


「ラピス―、ティエラとアリサが来ましたわよ」


 ソフィーさんが声をかけると、ラピスさんはこちらを振り返った。手には、ゆるく刃が曲がったサーベルを持っている。


「アリサの武器を見繕っていた。万象の闘士なら防具は考える必要がないが、武器をどうするかは大きな問題だからな」

「……なるべく、練習がいらないのがいいです」


 わたしが言うと、三つの笑い声が一斉に聞こえてきた。


「悪いがそれは無理だな。クロスボウとかなら鍛練はあまり要らないだろうが、万象の闘士が飛び道具を持ってもあんまり意味ねえし」

「どうしてですか?」

「クロスボウの矢よりも、万象の力の方が便利ですわよ」


 ソフィーさんの言葉に、あ、と声が漏れた。


「ま、クロスボウの方が便利な場面も、実戦ではよくある……とはいうものの、万象の闘士が武器を持つ目的の一番は、力が使えない時の護身用だからな。護身用、つまりは近接戦用の武器だと、どうしてもいくらかの修練は必要になるぜ」


 言って、ラピスさんは一本の剣をわたしに持たせた。幅広の剣を渡されると、重さで少し、手が沈む感覚があった。


「どうだ、振れそうか?」

「……たぶん、大丈夫だと……思います」

「そうか」


 ラピスさんは他にも何本か、細かったり太かったり長かったりする剣を取った。


「なら早速試してみるか。訓練場へ行くぞ」


 入口と反対の扉へ向かうラピスさんに、わたしはあわててついていった。




 ◆ ◇ ◆




「これもだめか」

「はい……ちょっと、無理そうです……」


 最後の剣をラピスさんに返しながら、わたしは膝をついた。

 ラピスさんが持ってきた剣を、わたしは一本も振れなかった。いや、一番軽いのは振ろうと思えば振れたと思うのだけど、身体がふらついて剣が飛んでいきそうだった。それは危ないから、振り抜くわけにいかなかった。

 持つだけなら苦労はなかったけれど、「ただ持つだけ」と「勢いをつけて振る」は全然違うんだと、わたしは今はじめて知った。


「一番軽いやつなら、なんとかなると思ったんだがな」

「わたしも、水桶や麦の袋は持っていましたから……なんとかなると思ったんですけど……」


 うーん、と三つの声が重なった。


「そうなると何を使えばいいのでしょうね。わたくしのように、短めのロッドを使う手もありますけど」

「ただ、棒術はオレじゃ教えられねえ」

「短剣か格闘術はどうだ? 護身になら役に立つはずだが」

「短剣はいいかもしれねえな。格闘術はアリサの身体じゃちょっと無理がありそうだが」


 地面に膝をつきながら、わたしは情けなくて泣きそうだった。

 すごい力がある、「器」を持ってる、なんて言われても、結局わたしはなにもできない。わたしに合う剣だって、一本もない。

 うつむいていると涙がこぼれそうだから、わたしは顔を上げた。するとラピスさんが、難しい顔でわたしを見下ろしていた。


「まあでも、そうなると今できることは一つしかねえな。来いよアリサ」


 ラピスさんは、わたしを無理に引っ張って立たせた。

 そうして訓練場の外へ、わたしを連れて行った。ティエラさんとソフィーさんは、ついてきてくれないみたいだった。




 ◆ ◇ ◆




 連れてこられたのは、訓練場からすぐ近くにある建物だった。訓練場や王立治療院ほどは大きくないけれど、ティエラさんの家よりはだいぶ大きい。そして、とても大きな窓がついていた。

 小さなベルのついた扉をラピスさんが開けると、中はとても明るかった。窓越しに明るい光が差し込んできていて、たくさん並んだ机と椅子を照らしている。机は、どれも綺麗な白い布で覆われていた。


「おやラピスさん」


 店の奥で、紺の服に白いエプロンを着けたおばさんが、顔を皺だらけにしながら笑った。


「今、注文いけるか。昼には早い時間ですまねえが」

「この時間だと、主だった料理はまだ仕込んでないねえ。ベーコンとかソーセージとか、作らなくていいのなら出せるけど」

「なんでもいい。体力がつきそうなものを適当に一人前、頼む」


 おばさんは一つ頷くと、奥の方に引っ込んでしまった。

 ラピスさんはわたしを、一番奥の机の脇に座らせた。そしてわたしの手を取って、骨と皮ばかりの腕をまじまじと見た。


「とりあえず筋肉を……いや、なんでもいいから肉をつけろ。でないとどうにもならねえ」


 しばらくして、さっきのおばさんが出てきた。手に持った白いお皿に、湯気を上げるソーセージが山盛りになっている。


「肉の方が精がつきそうだと思ったけど、魚もあった方がよかったかい」

「いや、これでいい。助かる」


 お皿が目の前に置かれた。見ればソーセージの他にも、ベーコンや干肉までこんもりと乗っている。


「食え」


 大きな茶色の目で、ラピスさんがわたしを見つめる。


「いいんですか」

「これも、万象の闘士としての任務と思え。さあ」


 ラピスさんの白い手が、お皿をわたしの方に寄せる。

 そういえば、ティエラさんにも同じことを言われた。身体を作るのも万象の闘士の仕事だよ、と。

 なるほど、皆さんの手足やお肌があんなに綺麗なのは、日頃お肉やお魚をたっぷり食べているから……なのかな。


(でも、いいのかな……こんなの、ほんとうに)


 おいしい食べ物がたくさん食べられて。

 手足に肉がついて、お肌も綺麗になって。

 それが「仕事」で「任務」なんて……そんなうまい話が、世の中にあるんだろうか。


「考え込んでねえで食えよ。冷めるぞ」

「あ。はい。……食べます」


 早速ソーセージを食べようとしたら、急にラピスさんに手を押さえつけられた。


「あ、やっぱり……食べちゃ、だめですか」

「これを使え」


 渡されたのは、鉄で作られたフォークだった。見たことはあるけれど、使ったことはない。

 ティエラさんのところでスープを飲んだ時は、匙があったから使ったけれど、底に残ったお肉は何切れか手で食べたと思う……ティエラさんは、その時はなにも言わなかったけど。


「フォークって、地主さんやお金持ちの人たちが使うものだと思ってました」

「おまえも今は、それと同じ――いや、それ以上の立場だ。あと言いたかねえがな、おまえが何かやらかしたら、責任が来るのは師であるオレだ」

「わたしが手づかみで食べたら、ラピスさんが何か言われるんですね?」

「呑み込みが早いのは助かる。いきなり全部完璧にはできねえだろうが、ちょっとずつは直していってくれ」


 ようやく、ティエラさんの言っていたことに合点がいった。「自覚を持って、師匠に恥じないように振舞わなければいけない」……なるほど、きっと、こういうことなんだ。

 心臓のあたりが、なんだか急に、きゅっと締め付けられたように感じる。

 さっきまで、こんなうまい話があるのかな、なんて思っていたのに……今は、途方もなく難しいことを言われているように感じる。

 わたしは、もう、おとついまでのわたしじゃないんだね。


「フォークの使い方はわかるか?」

「えっと……刺して、食べればいいんですよね?」


 ラピスさんは無言で頷いた。

 お皿の端に転がっているソーセージを、フォークで刺す。口に運んで一口かじると、茹でたてのほかほかの湯気に、燻製の匂いと肉の香りが混じってとってもおいしい。噛むたびに、お肉の味もじんわり染み出してくる。

 おいしい。すごくおいしいはずなんだけど……でもなぜか、ティエラさんのスープみたいに、何も考えずに「おいしい」とだけ感じることができない。

 わたし、フォーク、ちゃんと使えてるだろうか。

 わたし、これを、ちゃんと食べられてるだろうか。

 わたし、これを、ちゃんと自分のお肉にできるだろうか。

 わたし、いろんなこと、ちゃんとできてるだろうか。ちゃんとできるだろうか。

 考え始めると、とってもおいしいはずのソーセージも、ベーコンも、なんだか味がよくわからなくなってくる。


「美味いか?」


 訊ねてくるラピスさんに、わたしは、むなしく頷くことしかできなかった。

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