三章 稽古の剣さえ細腕には重く

種火と清水

 ラピスさんたち三人と一緒にお城から出た時、街はもうだいぶ暗くなっていた。雲一つない西の空はまだ赤く燃えているけれど、東はすっかり暗くなって、金や銀のお星さまが空にまたたき始めている。

 わたしたちは王立治療院でお部屋を借りて、ドレスから普段着に着替えた。わたしの服は当然なかったから、治療院の人が患者さん用の白い上下を貸してくれた。


「あぁ、生き返る」


 肌着だけになったラピスさんが背を伸ばす。ソフィーさんが横から、白いキモノを脱ぎながらじろりとにらんだ。


「確かにあなたの装束、コルセットもオビもない本当に大変な服でしたわね」

「……楽がしたいなら、お前もそうすればいいじゃねえか」

「私が殿方の服なんて着たら、緑服の小妖精レプラコーンにしかなりませんわよ」


 西日の入る部屋で、肌を晒して集まっている皆さんは……とっても綺麗だった。

 ラピスさんの身体はほど良く引き締まって、西日の橙に染まった腕や肩がとても艶やかだ。ソフィーさんはあんまり筋肉の感じがなくて、お腹や太腿のあたりはとっても柔らかそうで……でもわたしみたいな、骨と皮ばかりのガリガリじゃない。

 横から、ティエラさんが口を挟んできた。


「私は一度見てみたいけどね、男装のソフィー。仮装行列の時にでも着てみたらどうだい、妖精の王子様にはなれるかもしれないよ」

「褒めているのかもしれませんけど、あまりうれしくはありませんわよ」


 窓際のティエラさんは、やっぱりお胸もお尻もすごい大きさだ。とっても張りがあってぷるぷるしてて……でも柔らかいのは、一度触らせてもらったからよく知ってる。

 本当にすごいなあ。わたし、この人たちと並んだら……見劣りするどころじゃすまない気がする。


「で、こいつをどうする」


 ラピスさんが、わたしの肩をぽんと叩いた。


「どうするもなにも……あなたのお弟子さんでしょう。あなたが考えるんですのよ」

「とは、言われてもなあ。急なことだしな」


 うーん、と合唱する皆さんに、わたしはちょっと不安になった。

 ひょっとしてわたし、今日泊まるところはないんだろうか。道端で寝てるように言われちゃったらどうしよう。……それでも、奴隷商人の荷馬車よりはずっとましなんだけれど。

 でも、ひょっとすると皆さん、わたしには過ぎたことを考えてくれているのかもしれない。さっき「一人用のベッドがほしい」とは言ったけど、すぐもらえるとは思ってないし、今は床に直に寝るのでもぜんぜん問題ない。

 皆さんの部屋の床に寝かせてもらえないか、ちょっと、訊ねてみることにしよう。


「……あの。いつも皆さん、どんなところで寝ておられるんですか?」

「万象の闘士は軍属だからね。申し込めば、軍の宿舎に部屋がもらえるよ」


 ティエラさんが答えてくれた。ということは皆さん、軍の宿舎で暮らしておられるんだろうか。


「もっとも、私は身体が大きすぎるから、自分の家が必要だったけどね」

「わたくしも自分で家を持っておりますわ。宿舎ではワードローブが足りませんのよ」

「オレも自宅持ちだ。宿舎は規則が色々面倒でなあ」

「……つまり誰も、宿舎の部屋は使っておられないんですね……」


 わたしが言うと、ティエラさんが高い声で笑った。


「確かにそうだね。ちなみにクロエ師匠は、普段は私の家で一緒に住んでいただいている。今はご不在だけどね」

「あの……もしよろしかったら、ですけど」


 わたしは、少しためらいながら、切り出した。


「どなたかのお部屋に、人ひとり横になれるくらいの床は空いてませんか……? わたし、床で寝るの全然気にならないですから」


 皆さんは、一瞬顔を見合わせて、一斉に笑いだした。


「あ、あの。わたし……なにかおかしなこと言いました……?」

「ああいや、笑ってしまったのはすまなかった。君の事情も考えずにね。それでラピス、君の部屋に空きはあるのかい?」

「……空ければある」

「なんですのそれ」


 ラピスさんは、溜息をつきながら頭を掻いた。


「ちょっと片付ける必要はある。いきなり同居人が増えるとか、さすがに予想してねえからなあ」

「同居人は予想外かもしれませんけどね、不意の来客くらいは想定しておくものではありませんの」

「知り合いに、約束もなく泊まりに来るような無礼な奴はいねえよ。誰かさんと違ってな」

「どういう意味ですの?」


 ちょっとだけ険悪な雰囲気を断ち切るように、ティエラさんがわたしに話しかけてくれた。


「もしよかったらだが、今晩だけ私の家に来てはどうだろうか。今であれば師匠のベッドも空いている。豪華なもてなしはできないが、多少の夕食も用意できるよ」

「お、助かる!」


 叫んだのはラピスさんだった。


「悪いティエラ、今夜だけ頼まれてくれるか。その間にうちを全力で片付けとく」

「『かまどに火種がやってきた』、という感じですわね……ラピスさんのお家の様子、推して知るべしでしょうね」

「余計なお世話だ」


 お二人が言葉の棘で刺し合っている間に、ティエラさんはわたしに向けて微笑みかけてくれた。


「さ、着替え終わったら行こうかアリサ。私の家は王立治療院の近く、大通りから少し入ったところにあるんだ」




 ◆ ◇ ◆




 王立治療院の裏手をしばらく行ったところに、ティエラさんのお家はあった。ローザリアの他の建物と同じ、赤味がかった木と白い漆喰でできた家だけれど、玄関の扉だけは他よりも少し大きかった。ティエラさんの背丈に合わせて作られた家なのかな、と思うと、目の前の褐色肌のお姉さんがすごい人に思えてくる。……いや、本当に強くてすごい人ではあるんだけど。

 玄関の前で、ティエラさんは静かに目を閉じて、何かに集中しているようだった。音を立てないように見守っていると、しばらくして、褐色の目は静かに開いた。


「賊の類はいないようだ。入るよ」


 懐から小さな鍵を取り出して、扉を開ける。

 家の中はこの時間だと、もうほとんど真っ暗で何も見えない。玄関の脇から、ティエラさんは何かを手に取った。


「しばらく家を空けていたからね。日が落ち切らないうちに、水と火種を取りに行かないと……私は水桶を持つから、君はこちらを持ってくれるかい」


 ティエラさんから渡されたのは、長い火箸と、鉄の取っ手がついた陶器の壺だった。煤だらけの蓋を開けてみると、白い灰の中に黒い炭が埋まっている。

 続けてティエラさんは、大きな木の桶を二つ外に出すと、玄関の鍵をまた閉めた。


「それでは行こうか。急がないと」


 しばらく歩くと、道の真ん中に不思議なものがあった。黒い石組が、大柄な人の背丈――ちょうどティエラさんぐらいの――まで組み上げてあって、小さな塔のようになっている。塔には不思議な文字や模様がびっしりと描いてあって、周りには二、三人くらいの人が集まっていた。

 近寄ってみると、石組の真ん中に窓が開いていて、小さな火が燃えていた。集まった人たちはそこに炭を差し入れて、めいめい火をつけていた。


「『万象の種火』だよ。ローザリアでは、納税市民でなくても誰でも使えるんだ」


 わたしは長い火箸を使って、壺の中の炭を種火にかざした。するとあっという間に、炭は真っ赤な火に包まれた。軽く振って炎を飛ばして、灰の中に埋める。

 壺の蓋を閉めながら、思わず溜息が出てしまった。誰でも使える種火なんてすごいものが、ここにはあるんだ。


「こちらにあるのは『万象の水源』。こちらも、いつでも誰でも使える水だよ」


 声のする方を向くと、石で組まれた小さな池があって、その真ん中から水が噴き出ている。池の石組には、種火の石塔と似たような模様が、やはりびっしり描き込まれていた。無限に湧き出てくる水を、ティエラさんは桶二杯分無造作に汲んだ。


「水のきれいな土地から来たなら、こちらは珍しくないかもしれないけれど。けど、大抵の旅人はこれを見ると驚くんだよ」

「いえ……わたしも、びっくりしました……」


 わたしの住んでいた所では、川の水が飲めた。掘れば井戸も湧いた。けれど大雨が降れば川は濁ったし、井戸も誰でも持てるものじゃなかった。いつでも誰でもきれいな水が使えるなんて、すぐには信じられない。

 そしてひとつ、気になっていることがあった。


「種火も水源も、『万象』って頭についてますね。『万象の闘士』と、何か関係があるんですか?」

「いいところに気がついたね。けどそれを話すと長くなる、日が暮れる前にまずは家へ帰ろうか」


 ティエラさんに促されて、わたしたちは元来た道を引き返していった。西の空ももうだいぶ暗くなってきていて、建物や道の並木の影が、石畳の上に長く伸びていた。

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