身分と選択
うつむいたまま、わたしは床の木目をじっと見ていた。笑い合う王様とソフィーさんたちの間には、入っちゃいけない気がした。足元にちらちら見える桃色のドレスの裾が、わたしのだというのが、なんだかとても変な気分だった。
「冗談もいいが、早く要件に入ってもらえるか。一国の王の時間は貴重なのだ」
「もちろんですわよ。……アリサ」
誰かの、たぶんソフィーさんの手が、わたしの肩を叩いた。
「さ、顔を上げて背筋を伸ばすんだアリサ。縮こまっているのは逆に失礼だぞ」
ティエラさんの声がした。
しかたなく、わたしは顔を上げた。……目の前に、茶色の口髭のおじさんが笑っていた。
「お初にお目にかかる、アリサ君。彼女たちから報告は受けている。……まずは非礼を詫びよう。はるか遠い
言って、王様は深々と頭を下げた。
えっ?
どういうこと?
王様が、なんで、ただの役立たずの小娘ひとりに、こんなことしてるの……?
「君を捕らえて売ろうとしたのは、おそらく我が国の民ではない。だが、あのようなならず者の横行を許しているのは、国王たる私の咎だ」
「あの、えっと……その」
違うのに。
わたし、捕まったわけじゃないのに。わたしは――
言おうとしたとき、王様は顔を上げた。
「その上で、国王として君に頼みたいことがある」
髪や口髭と同じ茶色の、ものすごい力が籠もった目が、わたしを真正面から見つめてくる。
わたしの身体は、固まってしまった。
顔を逸らすことは許さない――目の力だけで、それが、痛いくらいに伝わってくる。
「君の身柄を、我が国でもらい受けたい。アリサ君、君の力が、我が
心臓が大きく、どきんと跳ねた。
「まずは今すぐに、納税市民としての身分を保証しよう。衣食住も王国が責任を持って提供する。王国軍へ正式配属された暁には、無論、規定の給金および勲功に応じた褒賞を支給しよう。その他なんでも、要望があれば言ってみるといい。我々は可能なかぎり対応するつもりだ」
「えっと……えっと」
王様の言うことは盛りだくさんすぎて、ちょっと、飲み込みきれない。
えっと……つまり、どういうことなんだろう。わたし、王国民になれるってことなんだろうか。
でも、納税とか軍とか……よくわからない。
「話が難しかったか。では言い換えよう。……アリサ君、私の国へ来てくれないか。欲しいものはなんでもあげよう」
びっくりして、息が止まる。
それ、ほんとうなんだろうか。
王様、わたしをびっくりさせて、笑おうとかって思ってないだろうか。
「なんでも、って……なんでも、ですか」
「ああ、私にできることならなんでもだ。私に代わって王になりたい、などは無理だが、用意できるものは用意しよう」
「……金貨二百枚とかでも、ですか」
王様は、ふふ、と小さく笑った。
「アリサ君は、その金貨で何をしたいのかな」
「えっ……ええと」
答えに詰まっていると、王様はまた笑った。
「覚えておくといい、アリサ君。金貨は、使い切れないなら石ころと同じだ。私は金貨二百枚を一度に渡すことはできないが、その金貨でなにかが買いたいのなら、代わりにそれを提供しよう。……アリサ君、なにか欲しいものはあるかな?」
一生懸命、わたしは欲しいものを考えた。
「一生、おいしいご飯が食べたいです」
「よろしい、衣食住は王国が保証しよう。まだあるかな」
「あったかい服がほしいです。上等な靴がほしいです」
「衣食住のうちだね、問題ない」
「大きなお家がほしいです。わたしだけのベッドと、ふわふわの毛布がほしいです」
「衣食住が出揃ったね。……他には?」
そこで、わたしは答えに詰まってしまった。
ほしいものは、ある。けどそれはきっと、王様には無理なものだった。
(……母さん)
氷竜に襲われて死んでしまった、母さん。
この世でたったひとり、わたしにやさしくしてくれた母さん。
最初に生まれた村の思い出が、ちらちらと浮かんでは消えていく。冬の寒い日、お湯を沸かして飲ませてくれた母さん。襟巻や上着を編んでくれた母さん。父さんに叱られたわたしを、かばってくれた母さん。
母さんが生きていたら、父さんは……わたしを、銀貨二十枚で売ったりしなかっただろうか。
「母さんが……ほしいです」
思わず出てしまった言葉に、王様は少し目を細めた。
「君が望むなら、国元から家族を呼び寄せてもいいぞ。君の母上にも、同等の生活を保証しよう」
「あ……ごめんなさい。母さん、もうだいぶ前に死んでしまってて……無理ですよね、死んだ人を生き返らせるなんて」
王様は顎に手を当てて、小さく首を傾げた。
「そうだったか。確かに、死者を生き返らせることは我々にはできない。それは暗冥術の領分で、定命の人間が手を出してよいものではない……とはいえ」
王様は、ちらりとわたしの後ろ、ラピスさんやソフィーさんが立っているほうに目を遣った。
「『母親の役割をする誰か』であれば、用意することはできる。いずれにせよ君には『器』を持つ者として、『万象の闘士』の誰かに弟子入りしてもらうつもりだったからな」
器。
また、この言葉が出てきた。治療院でも聞いた言葉だけど……わたしが、それを持ってるって。
「王様。器……って何ですか?」
「おや。まだ説明されていなかったのか? 簡単に言えば、『器』とは『万象の闘士』としての素質だ。『器』について多くは謎のままだが、持つ人間は滅多にいない……そして、『器』が大きければ大きいほど、『万象の闘士』としての力は強くなるのだ」
「そしてあなたの持つ『器』は、とても大きいのですわ。マグノリアが驚くくらいに」
王様は、わたしの肩を抱いて、後ろを振り向かせた。
三人の「万象の闘士」の皆さんが、立っている。思い思いの、綺麗な衣装に身を包んで。
「我が国には今、十一人の『万象の闘士』がいる。それが、この世に存在する『万象の闘士』の全員だ。君の持つ力はそれほど稀なものなのだよ」
「ヴィクター陛下は、手を尽くして『器』を持つ者を集め、『万象の闘士』を育てている。その力が世界を変えると信じてな。オレたちは、陛下の御心に賛同してここにいる」
「まあ、俺の心はどうでもいい」
大きくて固い、そして温かい手が、わたしの肩をぽんぽんと叩く。
「アリサ君。君にはこれから、王都ローザリア所属の『万象の闘士』いずれか一人に弟子入りし、己が力を磨いてもらう。王都所属の闘士は全部で四人――『鋼』のクロエ・ハートレー、『土』のティエラ・フローレス、『炎』のソフィー・プロスパラス、『水』のラピス・パリセードだ」
「ただ、私はまだクロエ師匠に師事する身だから、自分で弟子は取れない。アリサ、君が私の所へ来るなら、クロエ様の二番弟子という形になるだろう」
ティエラさんが、王様の言葉に続ける形で言った。
「そうだな。クロエに弟子が増えれば……あやつ、喜ぶだろうな。苛める相手が増えたと」
「師匠はそのような御方ではありません! 師匠は、私を思ってくださるがゆえに――」
声を上げるティエラさんの肩を、ラピスさんが軽く叩いた。不満そうに、ティエラさんは黙り込む。
わたしの前に、王様が歩み出てきた。手を大きく広げて、ソフィーさんたち三人を示す。
「アリサ君。
なんだか、知らないうちに話が進んでる……気がする。
わたしは、ソフィーさんたちに恩がある。あの奴隷商人から助けてもらって、お礼を言っても言い切れない。
けれど、それとこれとは話が別で……皆さんの誰かを母さんの代わりになんて、できるわけがない。
「……王様」
「ん、なんだね」
「このお話……お断りしたら、どうなるんでしょうか」
「私としては、君が断らないほどの良い条件を出すつもりだ。ただ、もしそれでも、君が他の国へ行くというのなら――」
王様は人差し指と中指を立てて、それを、首のあたりで横に引いた。
「――残念ながら、生きて国境を越えさせるわけにはいかない。これほどの『器』を、みすみす他国へ渡すわけにはいかないのでね」
「……そう、なんですね」
背筋に冷たいものが走った。と同時に、なんだか少しだけ、ほっとした。
わたしは、やっぱりそうなんだ。
誰かの言うとおりに、決められたとおりに、生きるしかないんだ。
「アリサ君、心は決まったかな?」
「……はい」
だとすれば、わたしは皆さんの誰かを「母さん」に選ぶしかないんだ。
そう、決められてしまったんだから。
「では、お互いもう知っているかもしれないが――『万象の闘士』たちよ、あらためてアリサ君に自己紹介を」
王様に促されて、まず進み出たのはティエラさんだった。褐色の肌に映える白いドレスを、大きな掌が軽く持ち上げた。大きな身体がお辞儀をすると、後ろで一本にまとめられた大きな三つ編みが、首のあたりにちらりと見えた。
「ティエラ・フローレス。『土』の力を持つ闘士だ。とはいえ私はまだ半人前、『鋼』のクロエ・ハートレー師匠の下で日々研鑽に励んでいる。アリサ、君と共にクロエ師匠の下で励めれば、私は嬉しい」
次いで、ソフィーさんが進み出た。キモノの胸に手を当てて、優雅にお辞儀をしながら笑う。一筋の乱れもない長い黒髪が、静かに揺れた。
「ソフィー・プロスパラス、『炎』の闘士ですわ。一人前の淑女になりたいなら、歓迎いたしますわよ……言葉遣い、立ち居振る舞い、化粧に着付け、布や宝石の目利きの仕方、余すところなく教えてさしあげますわ」
最後に残ったラピスさんが、軽い溜息をつきつつ進み出てきた。深々とお辞儀をすると、お馬の尻尾のようにまとめられた茶色の髪が、服の紺色に綺麗に映えた。
「ラピス・パリセード。『水』の闘士だ。……つっても正直、弟子とか面倒でとりたくないんだがなあ……本気で修業する気があるんなら、オレよりクロエかソフィーを勧める」
「……一応陛下の下命ですわよ。もう少しやる気出せませんの」
「ひとりがいいんだよ、オレは」
「ひとつ……質問いいですか」
おそるおそる訊いてみれば、皆さんから一斉に返事が返ってきた。
「何かな」
「どうしましたの」
「なんだ」
「どうしたのかな」
「あの……ティエラさんのお師匠さんって、どんな方なんでしょうか」
ティエラさんが、嬉しそうに笑う。
「とても厳しい御方だ。だがただ厳しいだけではない。私の強みと弱みを的確に把握しておられてな、私に足りないところを常に叱咤してくださる。今は長期の任務に出ておられるが、じき戻られるはずだ……あの方以上の師を私は知らない」
「あー。ティエラの言うことは話半分に聞いておいた方がいいぜ。こいつ、クロエを神か何かみたいに思ってやがるからなあ」
「そんなことはない! 私はただ――」
「まあそれはともかく、実力は確かですわね。一対一では……いや、ラピスかティエラと組んで一対二でも、彼女に勝てる気はしませんわ」
「そろそろ、話はいいだろうか」
王様が、わたしと闘士の皆さんを交互に見た。
「ではアリサ君、悔いのないよう選ぶといい。君の師となる、『万象の闘士』を」
一つ唾を飲み込み、わたしは頷いた。
「考える時間が必要なら、一晩……いや、君が望むだけ待ってもいい。そこは君の意志を――」
「いえ」
わたしは首を振った。
心は、もう決まっていた。
「今で、大丈夫です。……お願いする方は、決まりました」
とはいえ、少しだけ、緊張はする。
わたしは一歩、二歩、前へ進んで――心に決めたお一人の手を取った。
「これから、よろしくお願いします」
深々と、頭を下げながら。
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