装束と懇話
明日王様に会うと聞かされて、しばらく経った頃。
治療院でお湯を使わせてもらったわたしは、その後ソフィーさんと一緒に街の服屋さんへ来ていた。お店はライラックの咲く大通りに面していて、窓には蔓が絡んだような飾り枠がついて、玄関の大きな木の扉には細かな紋章が彫り込まれていた。治療院は静かで綺麗な建物だったけれど、この服屋さんは豪華で綺麗。……わたしひとりじゃ、とても入れないようなお店だ。
ソフィーさんがお店に入ると、紺の柔らかそうな上下を着たおじいさんとおばあさんが、深々と礼をしてくれた。店の中にはたくさんの布地がかかっているけれど、どれも細かな模様が織り込まれていたり、無地のものは艶があって柔らかそうだったり、とっても高そうなものばかりだ。
もし汚してしまったら、きっとわたしが一生かかっても償いきれないんだろうな――なんて、考えてしまう。
おじいさんが、左手側にたくさん掛かった布地を示しながら、言った。
「ソフィー様。
「あら、いいですわね。でも、今日はわたくしの用事ではございませんの」
ソフィーさんはわたしの手を引いて、前に立たせた。
「夕方までに、この子のドレスを一着用意できますかしら。凝ったものでなくてかまいませんわ、ただ、国王陛下への謁見にあたって着ていけるものであれば」
「陛下にお会いするだけなら、ドレスの必要もなさそうですがねえ」
おばあさんが、くすくす笑いながら言った。
「野山を駆けた後の、汚れて皺のよったベストとスカートでお会いしたとしても、まったく気になどなさらない。ヴィクター陛下はそんな御方でしょうよ」
「……注文を変えますわ。口さがない中央政庁の役人たちが、悪口を言わない程度の服を」
おばあさんは、今度はからからと笑った。
「それは無理なご相談ですねえ。ほんの少し豪華すぎてもほんの少し質素すぎても、何かを言わずにいられない。そういうお人の集まりですよ、あそこは」
「……相変わらずですのね、おばさまは」
ソフィーさんが、わたしの肩に手を置く。
「おばさまが日頃おっしゃることは、もちろんわかっていますわよ。でも今日は、ちょっと勝手が違いましてね。この子はたぶん、『自分がいちばん着たい服』を自分で選べませんの」
「おやおや」
おばあさんが目を細める。
ソフィーさんは、自分のきれいな黒髪を一筋いじりながら、言った。
「それに時間もありませんし。ちょうどいい出来合いのが一着あれば、それでいいのですけれど」
「それは、私どもには酷な注文でございますねえ」
おじいさんが、すこし皮肉っぽく言った。
「私どものやり方、ソフィー様には解っていただけていると思っていましたが」
「ええ。ですけれど、おじさまのやり方は、もう一つあったように思いますわよ」
おじいさんとおばあさんが、揃って首を傾げる。
「『未来のお客に投資する』……この子は間違いなく、おじさまたちの上客になりますわ。わたくしが保証いたします。この子が、おじさまたちの服を着こなせる淑女になるまで、わたくしが責任を持って教育いたしますわ」
え。
ちょっと待って。
なんで、いつのまにそんなことになってるの?
わたしが、この高そうな布地の似合う淑女になんて、どうやったらなれるっていうんだろう。その前に、こんな高そうな布地なんて、端切れだって買えるわけがないのに。
「ソフィー様がそうおっしゃるのであれば。見本用に仕立てたドレスが何着かあります、そちらを合わさせていただきましょう」
おじいさんが、店の奥へ消える。
得意げに笑うソフィーさんが、わたしは、正直言って少し怖かった。
◆ ◇ ◆
西の空が赤く染まって、東の空に明るい星がちらちら見え始めた頃。
わたしとラピスさん・ソフィーさん・ティエラさんの三人は中央政庁に来ていた。わたし以外の皆さんはみんな、旅の道中に着ていた外套姿とは打って変わって、高そうで華やかな服を身にまとっていた。
ラピスさんは夜明け前の空みたいな、深い紺色の上着とズボンを着ていた。腕と脚の綺麗な線はぴったりと出ていて、でも胴はゆったりとだぶついていている。男の人のふりをしているようにも見えるし、女の人らしさを残しているようにも見える、不思議な装いだった。
ティエラさんは、胸元が大きく開いた白いドレスを着ていた。全体にゆったりした造りだけれど、胸の下だけはきゅっと絞ってあって、大きなお胸が目立つようになっている。どこからどう見ても女の人の装いなのだけど、大きなティエラさんが着ていると、綺麗、よりもかっこいいな、と思えてしまう。
ソフィーさんの装いは、他のお二人と全然違っていた。見たこともない木や花がたくさん描かれた布地を、そのまま身体にかけて前を合わせたような、不思議な服だった。腰には太い帯が巻いてあって、ここにも他で見たことのない模様がぎっしり描いてあった。
「キモノ、という服ですのよ」
わたしが見ているのに気付いたソフィーさんは、得意そうに言った。
「この服は、胸が小さい方が綺麗に見えるんですの。東の海の遥かな向こうから、さきほどの服屋の主人が手に入れてくださいましたのよ」
言うソフィーさんは、とっても誇らしげだった。
わたしは思わず、自分のドレスを見下ろしてしまった。服屋さんに出してきてもらった、桃色のドレスだ。裾は地面よりも少し上くらいで、わたしが踏んづけて転ばないようにと短めのを選んでもらった。袖にはひらひらした飾り布もついていて、服だけならとっても綺麗だ。
でも、中身が全然釣り合ってない。
わたしは腕も細いし、髪もあちこちもつれてる。骨の上がすぐ皮で、「万象の闘士」の皆さんみたいに、豊かな肉がついてない。
それに、なにより。
ソフィーさんがこの服を買った時、おじさんに渡した銀貨は、五十枚だった。
わたしよりも、わたしの服が倍以上高い。そう思うと、服に申し訳なくなってくる。
もっといい人に、ちゃんとした人に、買われればよかったのにね。
衛兵さんに挨拶をして、正面の門を通る。門と中央政庁の建物の間には、大きな庭園があった。
どこかのおじさんが言っていた通り、橙の夕日に染まった庭はとっても綺麗だった。四角に区切られた花壇にはそれぞれ違う花が植えられていて、ベルを逆さにしたような形の花や、小さな蝶が何羽も止まったような形の花や、他にもいろいろな見たこともない花があった。
「庭は明日でも見られますわ。今は、陛下の所に急ぎますわよ」
ソフィーさんに手を引かれ、あわてて建物の方へ向かう。
建物は二階建てで、ローザリアの他の建物と同じように、赤い木と白い漆喰でつくられていた。けれどやっぱり王様の建物だけあって、近づいてみると壁や柱には、あちこちに細かな彫刻や飾り物がついている。屋根の上では羽根のついた魔物の像が、綺麗に同じ間隔でわたしたちを見下ろしていた。
衛兵さんが、大きな紋章が彫り込まれた木製の大扉をうやうやしく開けてくれる。わたしも小さく一礼して、ラピスさんたちについて中へ入った。
玄関を抜けたところは大きな広間になっていた。床には絨毯が敷いてあって、柔らかそうな布地にきめ細かな模様が織り込まれている。絨毯は真正面に伸びていて、正面には玄関と同じ紋章のついた、一回り小さい扉があった。いかにも、ここに王様がいます、という感じがする。
だからそちらへ進もうとすると、ソフィーさんに手を引かれた。
「どちらへ行くんですの」
「あ、その……王様のところへ……」
「拝謁の間は、来賓があった時にしか使いませんわよ」
皆さんはすたすたと、右手側の廊下を歩いていく。わたしも引きずられるようにしながら、そちらへ行った。
廊下の脇には、いくつも豪華な扉が並んでいる。そのどれからも、せわしない人の気配がした。
しばらく歩くと、わたしたちは廊下のつきあたりに出た。ラピスさんが、ドアの取っ手に無造作に手をかけた。
「ヴィクター陛下。失礼いたします」
深々と一礼したまま、ラピスさんが扉を開けた。部屋に入るソフィーさんとティエラさんを追って、わたしも綺麗な――けれど書物や書類で、散らかるところは散らかった――部屋に入った。
大きな部屋の左手側に、大きな机がある。木目が綺麗に揃った板の上にはたくさんの書類が積まれていて、ランプの光で橙色に染まっていた。その横で、茶色の口髭をたくわえた多分四十歳くらいのおじさんが、上等そうな紫の上下を着て、赤い布を張った大きな椅子に座っていた。
あわてて、わたしは頭を下げた。このひとが王様だったら、わたしみたいな身分の人間は、直に見てしまってはいけないかもしれない。
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
ソフィーさんの声。やっぱり、このひとが王様で間違いないらしい。
「おお、ソフィー。それにラピスもティエラも。このたびの作戦はご苦労だった」
「ねぎらいのお言葉、痛み入ります」
そこで急に、お部屋は静まり返った。
床の木目を見つめたまま、わたしは固まっていた。ラピスさん、ソフィーさん、ティエラさん、誰かなにか言ってください――心の中でそうお願いしても、誰の声もしない。
おそろしく長く感じた、後で考えたら多分ほんのちょっとの時間の後――急に、男の人の大きな笑い声がした。
「ははは……このようにしていると、まるで主君と臣下だな」
一瞬遅れて、ラピスさんとソフィーさんの笑い声が被る。
「まあ事実、今のオレたちは主君と臣下だ。建前の上はな」
「たまにはこういう趣向もよろしいでしょう?」
友達に話しかけるような気さくさで、ラピスさんとソフィーさんは王様に向けて言った。
「俺を楽しませてくれようとしたのなら、まあ一応礼は言うがな。だが全く面白くはなかったぞ?」
王様も、楽しそうに笑いながらソフィーさんたちに話しかけている。
え。
どういうことなんだろう。
まさかソフィーさんたちって、王様に顔を覚えられてるくらい仲がいいんだろうか。
うつむいたまま、わたしはどうしていいかわからずにいた。
けれどソフィーさんとラピスさんは、相変わらず、王様と一緒に笑っていた。
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