香草と大器
ラピスさんを残して、わたしは一人だけもっと奥の部屋に通された。奥の部屋には大きな白いベッドがあって、清潔なシーツと枕が置いてあった。けど、毛布や掛布団はないみたいだった。ベッドの横には大きな籠と小さなテーブルがあって、背もたれのない小さな椅子が二つ並んでいた。
そして部屋中の壁と床と天井に、よくわからない文字と模様がぎっしりと描かれていた。わたしは文字は読めないけれど、書いてある字が、さっきマグノリアさんが黒い板に書いていたのと全然違うことだけは、わかった。
「それでは、これからあなたに治癒の術を行います。術師は私、マグノリア・クリードが務めさせていただきます」
白い女の人――マグノリアさんは、うやうやしくわたしに一礼をした。
わたしなんかに、そんな風にしてもらわなくてもいいのに……と言おうとしたけれど、その前にマグノリアさんが口を開いた。
「早速ですがアリサさん、すべての衣服を脱いで、寝台に横になっていただけますか。私は必要なものを準備してきますので、それまでに用意をお願いしますね」
「あの、えっと」
わたしは、ひとつ気になったことを訊いてみた。
「先に身体、きれいにしなくて大丈夫ですか……? シーツ、汚してしまいませんか」
「そうですね、多くの場合は先に沐浴をお願いするのですが」
マグノリアさんは、少しだけ眉根を寄せた。
「見たところ、新しい傷も多いようです。この状態で湯は使えないでしょう……ですからお気になさらず。この場のシーツは、汚すためにあるのですから」
「えっと……でも」
わたしが答えを探す間に、マグノリアさんは部屋を出ていってしまった。
わたしは、荷馬車の頃からずっと着たままになっていた、粗末な麻のスカートと下着を外して椅子の上に置いた。はじめは脱ぎっぱなしで積んでいたけれど、ちょっと考え直して、綺麗に畳んで置きなおす。
でも畳み方だけ整えても、ぼろ布はやっぱりぼろ布だった。見つめているとだんだん、着ていたわたしの身体も汚いものに思えてくる。傷だらけの、文字通りの傷モノ。
(治してくれるって、どこまで治してくれるのかな……)
鞭で打たれたみみず腫れや、あちこちでついた擦り傷は治るんだろうか。押された焼印は消えるんだろうか。ずっと昔についた古傷まで、治るんだろうか。そんなことを思いながら、寝台に横になる。染み一つないシーツの上に横になるのは、気が引けるけど。
「お待たせしました。準備はできていますか」
マグノリアさんが戻ってきた。横では、小さな女の子が小型の手押し車を押していた。車に乗った籠には、ものすごい量の緑の葉がこんもりと山になっている。よく見たら、治療院の庭に一面に広がっていた葉っぱだった。
「準備は大丈夫です。……葉っぱ、すごいですね」
「これは
籠を置いて、女の子が出ていく。扉が閉まるのを見届けて、マグノリアさんは両手を合わせた。両手にはいつのまにか、びっしりと文字と模様が描かれた手袋がはまっていた。なんとなく、壁や天井の模様と似ている気もする。
「天地に満ちる、万象の命よ。私とこの者に、どうかご加護を賜りますよう」
目を閉じ頭を垂れると、白い帽子がほんの少し揺れる。静かに祈る真っ白なマグノリアさんは、どこか、人ではない雰囲気をまとっているようにも見えた。
「では始めます。大きく息を吸って、吐いて、緊張を緩めるようにしてくださいね」
言われるがままに、大きく息をする。
マグノリアさんが、山積みの葉っぱをひとつかみ手に取った。みずみずしい葉の塊を、両手で包み込むように捧げ持つと――みるみるうちに葉っぱがしおれて、かさかさに干からびていく。
びっくりしながら見ていると、マグノリアさんはやさしく笑ったまま、ゆっくりと首を縦に振った。
「大丈夫です。治癒のために、ミントの生命力をいただいているのですよ。受け取った力を、これからあなたの中に移し替えます」
干からびた葉っぱを空の籠に捨てると、マグノリアさんはわたしの両肩に手をかざした。
「私の手の動きに、意識を集中してください」
両肩に、温かい掌がやんわりと押し付けられる。
「……あ、っ」
気持ち、いい。
なんだかよくわからないけど、命の素みたいなものが、両肩からわたしの中に流れ込んできて……身体の芯が、ほんのり熱くなる。
「これ……は」
マグノリアさんが、少し焦ったような口調になる。
「思った以上の呑み込み方ですね……これほどに貪欲な『器』は、はじめてですよ。ふふ」
マグノリアさんは、また葉っぱの塊を手に取った。今度はさっきの倍くらいの量で、でもそれも見る間にしおれて枯れていく。
「欲しがるなら、注いであげるまでのこと。あなたの『器』、たっぷりと……生命の精気で満たしてあげますよ」
今度は腋に、両手が添えられた。
触れたところが熱を持って……熱くほとばしる何かが、わたしの身体の芯へ、勢いよく注ぎ込まれてくる。
「あ! ……ひ、ゃ」
思わず、変な声が出てしまった。
けど流れ込んでくる何かは、すぐになくなってしまって……マグノリアさんは目を細めて、なぜか楽しそうに笑った。
「これでもまだ、潤った気配すら見えない。ほんとうに底知れない『器』ですよ、あなたは」
言って、また葉っぱの塊を持つ。吸い取って、出涸らしを捨てて……今度はわたしの腰に、手を当てる。
「あ、んぅ……あ……」
びくびくと、手と足の先が震える。
わたしの身体が、熱くてよくわからないものでいっぱいになる。心臓がどきどきして、身体の奥の方がどうしようもなく疼いて――
「ようやく、満たされてきましたね。あと一息ですか」
これまでで一番たくさんの葉っぱを、白い手が捧げ持つ。また吸って、捨てて……今度は脇腹に、両手が添えられた。
熱くて気持ちいいものが、注ぎ込まれて、身体の奥であふれそうになって――
そこで、止まる。
「あ、っ……!?」
思わず出てしまった声に、自分でびっくりする。こんなに甘ったるくて物欲しそうな声、わたし、出せたんだ……?
「さて、準備は整いました。アリサさん」
準備?
準備って、なんのこと?
「あなたの『器』を、生命の精気で満たしました。あとはこれを、痛みのある箇所に……傷の場所に流せばよいです」
「え、っ」
いっぱいになった、この熱いのを……流し出してしまえって、いうんですか!?
そう思ったわたしの心を読むかのように、マグノリアさんは清らかに笑った。
「注ぎ込まれた生命の精気を、自在に身体に巡らせる……それが『万象の
言いながらマグノリアさんは、わたしの左肩に触れた。熱い何かは、今は流れ込んでこない。
「ここは、あなたが焼印を押された場所です。さあ、私の掌へと放ってください。身の内に溜めた、あふれんばかりの精気を」
「って……どうやれば、いいんですか……」
「あなたが前にしておられたように。ラピスさんの掌へ向けて水の気を流した、その時と同じようにやってみてください」
とは言われても。あの時の感じって、どうだっただろう。
ひとまず目を閉じて、左肩に意識を集中する。
身体の奥でどくどくと脈打つ何かと、左肩に触れている何かを繋ぐ線を、思い描いてみる。すると、融けた氷が溝を伝って流れるように、熱い何かが自然と流れ出していく。
ほんのすこし、惜しい。あふれるまでこれを満たしきったなら、どんなにか――
「……お見事です。ごらんになってください、あなたの左肩」
言われるがままに肩を見ると、確かにさっきまでそこにあったはずの焼印が、跡形もなく消えていた。
「す……すごいです、マグノリアさん……」
「すごいのはあなたですよ、アリサさん。私は種を渡しただけ、芽吹かせたのはあなたです」
言いながらマグノリアさんは、脇腹へと手をやった。ずっと昔、大きな氷の傷がついた場所だ。
「この調子なら、この傷も消せるかもしれませんね。当初は難しいと思っていたのですが、あなたの力なら」
やわらかな掌が脇腹を滑り、ある一点で動きを止める。
「さ、やってみてくださいな。……さきほどと同じように」
同じように、意識を集中する。
身体の奥と、掌の感触を線で結ぶ。ゆっくりとゆっくりと、水を引くように熱いものを――
と、その瞬間だった。
「……っ、あ……!!」
熱い。
いや、冷たい。
どっちだろう。
わからない。
でも痛い。
痛い。痛いよ。
意識が、一瞬で散る。
慌てた顔のマグノリアさんが、わたしを覗き込んできた。
「大丈夫ですか……? この傷は、いったい」
「昔……ずっと昔に、ついた傷なんです」
少し泣きそうになりながら、話す。
痛みはすぐになくなっていた。あれは火花みたいな、一瞬のことだった。
「昔、住んでた村が氷竜に襲われたんです。山から下りてきた竜が、一瞬でなにもかもを氷漬けにして……その時に母さんも死にました。わたしをかばって」
震えながら、わたしはぽつりぽつりと話した。
「母さんの冷たい身体の下で……わたしはひとりだけ生きてたんです。三日くらい後に助けてもらって……でもそのとき、この氷の傷がついてしまったんです」
「……なるほど」
マグノリアさんは、わたしの話をしきりに頷きながら聞いている。
「おおよその事情は理解できました。であれば、この傷は治らない……治してはいけないものかもしれません」
「そう……なんですね」
治してはいけない傷なんて、あるんだろうか。
震えるわたしの肩を、マグノリアさんはそっと撫でてくれた。
「それならひとまず、他の傷を治してしまいましょうか。治せない傷は仕方ありません、治るものだけでも」
「……はい」
マグノリアさんは、わたしの身体をうつぶせに返した。そうして、背中にある鞭の傷の場所にそっと手を添えた。
◆ ◇ ◆
ひととおりの「治療」を終えて、服を着直して、わたしとマグノリアさんは最初の部屋に戻った。するとラピスさんの他に、ソフィーさんとティエラさんがやってきていた。
「必要な諸手続きが終わったのでね。アリサはこちらにいると聞いて、知らせに来た」
「ローザリアへの一ヶ月滞在権が、いったん許可されましたわ。まあ、すぐに要らなくなるとは思いますけど」
ソフィーさんたちの言っていることが、よくわからない。
「要らなくなる、ってことは、追い出されてしまうんでしょうか」
「ほんと、なんでも悪い方へと考えるんですのね、あなた」
ソフィーさんは、呆れたように両手を上げた。
「それより早く準備ですわ。夕方に、国王陛下への謁見の許可がおりましたの。いくらなんでも、その格好で中央政庁へは行けませんわよ、アリサ」
「え」
言っていることが、やっぱりよくわからない。
「謁見……って、国王陛下に会うんですか? ラピスさんたちが?」
「オレたちも行くが、あくまで主賓はおまえだからな、アリサ」
「って。えぇー……っ!?」
ようやく、話が呑み込めた。
けどどうして!? わたしが、国王陛下と!?
おろおろしながら周りの人たちを見る。けれど誰も、ひとりも動じた様子がなくて、あわてているのはわたしだけみたいだった。
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