王都と百花
門を抜けたところからまっすぐ正面に、大きな通りが延びている。その両脇に、緑と薄紫の混じった雲がかかっていた。雲の下には濃い紫が、道に沿って一直線を描いている。
左右にも城壁沿いの道が延びていて、こちらには薄桃色の
どこからともなく、かすかに、いい匂いがしてきた。
「大通りの並木は
ラピスさんが説明してくれる。
「下に咲いてるのは何ですか?」
「ライラックの下は大きめの
ラピスさんに手を引かれて、王都ローザリアの大通りを行く。
近づいてみると、霞に見えた木々の枝には、薄紫の花がぎっしり咲いているのが見える。いい香りは辺り一面に漂っていて、かいでいると……また、少しだけ眠くなってくる。
けど、並木の向こうの街並みを見ると、眠気はまた飛んでいった。
道を挟んだ両側には白い漆喰の家が並んでいて、どこの家の壁にも緑の蔓が這っている。それだけでも綺麗なんだけど、緑の蔓の間には赤や白の蕾がついていて、もうしばらく待てば咲いてきそうだった。
「五月になれば
ラピスさんの歩き方が、城門の外にいた時よりゆっくりになってる気がする。
「ローザリアという名前自体、
大通りを歩く人たちの装いも、花に負けず劣らず華やかだ。男の人の服はダブレットだと思うのだけれど、わたしが知ってるダブレットとは色も形も全然違う。キルトの詰め物がたっぷり入っていて、鮮やかな赤や緑で染めてあって、豪華な立て襟や袖までついている。……わたしたちを「仕分け」していたおじさん、身なりがいい人だと思っていたけれど、ここだと案外そうでもなかったのかもしれない。
女の人のベストやスカートも見たことのない色で、中でもお金持ちそうな人たちの服には、刺繍やレースがいっぱいついている。もうそれだけで、花が咲いてるみたいだ。
何度も何度も溜息をつきながら周りを眺めていると、突然、誰かと肩がぶつかった。
「あ! す、すみません……!!」
あわてて言いながら、相手の人の顔を見た。
とってもお金持ちそうな男の人だった。大きな羽根のついた黒毛の帽子に、艶のある上等そうな布地のコートを着ている。
怒らせちゃまずそうな人だ、と、わたしはとっさに思った。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
繰り返しながら、深々と頭を下げた。
これで見逃してもらえるかわからないけど、頭を下げるのはただだ。ただで許してもらえるなら、安いものだから。
「ラピスさん。どうしたんですこの子」
頭の上から、不思議そうな声が降ってきた。
「ああ、彼女、ローザリアは初めてなんだ。失礼がないようにって、ちょっと気を張ってるみたいでね」
「そうでしたか」
促されて顔を上げると、男の人は立派な口髭を揺らしながら笑っていた。
「ようこそローザリアへ。この季節、見るところはたくさんありますからな、ゆっくり楽しんで行かれるといいでしょう。今なら中央政庁の庭園も見頃ですぞ」
広い肩を揺らしながら、男の人は行ってしまった。
ぽかんとしていると、ラピスさんがぽんぽんとわたしの肩を叩いてくれた。
「見物しながら歩くなら、もう少し端に寄った方がいいな」
「えっと……あの、わたしたち、どこへ向かってるんですか」
「王立治療院だ。だが、街を見ていたいのならゆっくりしてもいいぞ。初めてのローザリアは一度しかないからな」
ラピスさんの言葉に、ちょっと考え込む。
ローザリアはすてきな街だ。見ていてもいいなら、日が暮れるまででも見ていられると思う。
……けど。
「いえ……治療院に行きます。急いでもらって、だいじょうぶです」
「いいのか?」
「いいです。早く行ってください」
たぶん、わたし、ここにいちゃいけない気がする。
道行く人は、みんなお金持ちに見える。いい帽子をかぶって、いい服を着て、いい靴を履いて、髪の毛も整えてて。
わたしはもっと、身の丈に合ったところで、静かにしてなきゃいけないと思う。
「……ま、疲れてるだろうしな。見物は治療院で一服した後、ってのも悪くない」
ラピスさんに手を引かれるまま、わたしはライラックのいい匂いの中を歩いていった。
◆ ◇ ◆
王立治療院も綺麗な建物だった。
赤味がかった木の柱と白い漆喰の壁が、お互いとても綺麗に映えている。広い庭園は一面が緑の葉で覆われていて、緑無地の敷物を広げたようになっている。赤と白と緑、それにお空の青を足すと、ほんとうに色鮮やかで溜息が出そうだ。
広がる緑の中を抜けて、大きな木の扉の前に出る。革鎧の守衛さんは、ラピスさんを見ると一礼して通してくれた。
建物の中も綺麗だった。大きな窓からはたくさんの光が入ってきていて、中の様子がよく見える。木の床にはほこり一つなくて、奥に伸びる廊下もきれいに掃除されているみたいだった。
ラピスさんはその廊下をまっすぐに進んで、一番奥の扉を開けた。わたしも、あとについて部屋に入った。
「マグノリア、いるか」
奥の机に向かっていた女の人が、わたしたちを振り返った。
短い金髪を白い頭巾の中にまとめていて、白い服に白いエプロンをしている。肌の色も雪みたいに白くて、とにかく全部が真っ白い人だった。
「あらあらラピスさん。何か」
「暇そうで良かった。一つ……いや二つ、頼みたいことがある」
「書類仕事は山積みなんですけど。でもでも、察するに急患ですね?」
「半分は合ってる」
ラピスさんはわたしの手を引いて、白い女の人の前に立たせた。
「例の掃討作戦で救出した、「商品」の一人だ。名はアリサ、出身は
例の作戦、と聞いて、白い女の人が険しい顔になった。
「……見せていいか、アリサ」
小さく頷くと、ラピスさんはわたしが着ていた外套をゆっくりと脱がせた。
ティエラさんに借りていただぶだぶの服が取り払われて、腰から上の裸が晒される。
一目見て、白い女の人は顔をしかめた。
「これは……かなり手強いですね。どこまで治せるか、ちょっとわからないですよ」
「完全に治さなくてもいい。できるところまで頼む……今のうちに、できるかぎり綺麗な身体にしてやりたい」
「で、治療費はどうします? ご存知の通り、私たちが無償で治療できるのは
「国王陛下にツケておいてくれ。文句は出ないはずだ」
え。
なんだか今、さらっととんでもない言葉が出た気がする……。
思わずラピスさんの顔を見上げたけど、大きな茶色の瞳は特に変わった様子もなくて、平然と白い女の人を見つめている。
「おやおや……これ、どういう案件なんでしょう? そういえばさきほど『半分は合ってる』とおっしゃってましたけど」
「その件だ」
ラピスさんは、むき出しのままのわたしの肩に、両手を置いた。
「もう半分の依頼だ。治療の間に、彼女の『器』を確かめてほしい」
「あらあら」
白い女の人は、驚いたように手を口に当てた。
「それは確かに陛下案件ですねえ……『器』持ちってこと自体は、間違いないんですね?」
「九割九分間違いない。それもかなりの大物だと、オレはみている」
「根拠は?」
「ソフィーの炎を真正面から受けて無事だった。威嚇射撃とはいえ、あれは普通に物が燃える強さの――」
「あ、あの」
わたしがおそるおそる口を挟むと、ラピスさんと白い女の人は同時にわたしを見た。
お二人の話は全然わからない。わからないけど……わたしがなんだか、ものすごく買いかぶられてることだけは、わかる。
「あの、わたし、確かにソフィーさんの火は受け止めましたけど……ぜんぜん、無事じゃなかったです」
四つの瞳にじっと見つめられながら、一生懸命説明する。
わたしは全然すごくない。傷モノで、不良品で、なんにも使い道のないただの小娘。そこは、ちゃんとわかってもらわなきゃいけない。
変な風に期待されて、失望されて見捨てられるの……嫌だから。
「熱いものが、身体に回っちゃって……ラピスさんが『力』を送ってくれなかったら、多分、そのまま焼けちゃってたと思います」
ほう、と、溜息が二つ同時に聞こえた。
わかってくれていそうで、ちょっと安心する。
「だから、すごいのはラピスさんで……わたしは、ラピスさんに力をもらっただけなんです」
「アリサさん、と、おっしゃいましたか」
白い女の人が、口を開いた。
「その時、あなたはどう感じましたか。ラピスさんの力は、あなたの中でどのように『火を消した』のですか?」
「ええと……それは」
あの時のことを思い出しながら、わたしはちょっとずつ話をした。
「胸のあたりに、冷たいものが……ひといきに流れてきたんです。わたし、心臓が張り裂けそうになって……でもラピスさんが、それを身体の中で広げるように言ってくれたんです」
「ふむふむ。それでアリサさん、その後は」
「言われたとおり力を広げようとしたんですけど、なかなかうまくいかなくて……ラピスさんが手や足を握ってくれて、そこに向けて力を流して、それでどうにか」
白い女の人は大きく頷きながら、手元の黒い板に何かを書きつけていた。白い小さなかけらを使って、字を書いているみたいだ。けど、字が読めないわたしには中身が全然わからない。
女の人は最後まで書き終えると、ラピスさんに黒い板を見せた。
「こちらが私の見立てです。ご意見は?」
「オレも同じ見解だ。おそらく、ソフィーもティエラも同じだろう」
黒い板を脇に置いて、白い女の人は立ち上がった。
「ではさっそく施術に入りましょう。……アリサさん、でしたか」
白い女の人は、口の端を引き上げて笑った。
「あなたのすべてを、私に預けていただきます。終わったとき、あなたは今までのあなたではなくなっているかもしれませんね」
なんだか、おそろしいことを言われている気もする。
けれど女の人の顔は、とても柔らかくて優しかった。
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