二十二章



「……何梅。私こそ、すまない」

 冷たい指を握る。

「もちろん、掠奪は胸が痛むよ。なんの罪もない同国民が死んだり傷ついたりするのを見たくない。でも私は角族が苦しむのも嫌だ。……ごめん。今はどう考えて良いのか分からないんだ。でも、私は何梅と心まで離れてしまうのはとてつもなくつらい。どうにかなってしまいそうなほど。この二年、たくさん話した。私たちは今お互いをとても気に入っていて、好いている。それを壊したくない。我儘で、甘ちょろいかもしれないけれど……」

 眉を下げた。

「たとえ血の縁なかみで隔てられていても、きみが大切なんだ」

 何梅の瞳が微かに輝きを増した。ゆっくりと瞬きし、笑っていつもの彼女に戻る。

「……私、実を言うとあなたの他にお友だちがいないの」

「私だってきみだけさ」

 ふふ、と何梅ははにかみ、葛斎の手を自分の額に持っていった。

「私の『つの』をもらって欲しい」

「角?」

「見えない角があるという言い伝え。私たちの力の源。大事な人にしか触らせてはだめなのよ」


 それは友愛の契り。ゆっくりと指の腹でなぞらせ、何梅もまた葛斎の額に同じようにした。最後に口付けを落とす。親にもしてもらったことがない、愛おしんでくれる仕草にまた涙が出た。


「葛斎。私が持つ秘密を聞いてもらえる?」

 囁きに潤んだ目を上げると、何梅は頷く。

「私は間違いなく次の王になる。けれどそれとは別に、とても大きな使命を果たさねばならないの。……母に会って欲しい。私たちの騂髪せいはつの君に」

「騂髪の君…………」

 それに、と憂う眼差しで降り続く雨の庭を見た。

「あなたの宮入りは来年でしょう。そうなれば今日のように突然訪ねることも出来なくなる。宮は遠いわ。その前に知っておいてもらいたい話があるの。…………選んで、葛斎」

 張りつめた顔で選択を迫った。

「私と共に運命さだめを背負うか、否か」

「運命…………どんな?」

「この八紘せかいを生まれ変わらせる使命。叶えば、泉人も泉外人も関係ない、血の違いなど忘れ去る新しい九土だいちがやってくる」

「新しい九土……。きみが言うと法螺に聞こえないな」

「真実だからよ。あなたが助けてくれるなら心強いわ」

「…………もしかして、何梅も私に会おうとしていた?」

 ふと問えば大きく頷いた。

「私のこれからの人生にあなたは必要不可欠だと思うの。私たちが出会ったこともおそらく偶然ではないのだわ」


 ――――出会うべくして出会ったの。


「私は私が生きているうちに一族に安寧をもたらしたい。平和に、豊かに生きられる未来を与えたい。それはもちろん、泉国の民を排除することではないわ。私とあなたのようにこうして手を取り合って共に協力し、共に水を分かち合う、そんな当たり前の日常が欲しいだけなの。――欲張りかしら。かないっこない我儘かしら」

 葛斎は首を振った。

「いいや。絶対にそんなことない。それは求めていいものだ」

 勝ち取るべきものだ。確信を握力に込めると何梅は初めて泣きそうな顔をした。

「ありがとう」

「礼はまだ早いよ。なにも聞いていないのに。でも私は何があってもきみの力になりたい」

 かつて絶望から救ってくれたように、自分も彼女の支えになりたい。

 何梅は頷いた。

「かいつまんで話すけれど、長くなるわ」



 言い置き、何梅は話し始めた。それは目が点になるほど奇天烈で突拍子もない、わけのわからないこの世界の真実とやらだったが、彼女が神秘の国とわれる、かの九泉国くせんこくともよしみがあることをはじめ、にわかに一蹴出来ない内容と実際に合致するこの現在の状況に猜疑の心はすぐに消えた。むしろ腑に落ちた。なぜ自分と彼女が隔てられているのか、なぜこの世の中はこんな形なのか、整合のとれる理由が一応は存在するのだと分かり、上位の者しか知りえないような隠された真理を自分が耳にした、その事実に興奮した。



「……きみの母上様にまみえるとして、どこでどう会おう。私は簡単にはここを抜け出せないし」

 何梅の母は泉地には降りてこないそうだ。

「だれか一人でも、信用のおけそうなひとはいない?抜け出しても黙っておいてくれるようなひと」

 問われて唸る。母の権威は失墜しているとはいえ、この家の者たちは皆が家公の母を主人として仕えてきた。真に全幅の信頼を寄せられはしない。

「ありのまま明かす必要はないわ。悪戯いたずらだと誤魔化して、それに便乗してくれるような子でも」

「…………ああ……あいつなら……」

「だあれ?」

「私の表兄いとこがひとりいる。頭も悪くないし気も利く。何より官吏で権力があるからたぶん庇ってくれる。会うのはいつだ?」

「次のさく

 暦表こよみを見る。「六日後だ」

「なんとか段取りをつけてお邸を抜け出して」

「分かった。それで、会ってどうするんだ?」

 何梅は微笑んだ。

「ただの挨拶よ。けれどあなたは会っておかなくてはならないわ。そうでないと、私の話を疑いはじめる」

「そんなことないよ」

「今はそうでも、また遠く離れてしまえばどうしたって揺らぐ。真理を知るとはそういうことだと九泉主くせんしゅは言っていた。人は見たものしか信じない、見たものさえ無かったことにする生き物なんだそうよ。だからせめても奇跡が必要なの」

「私に奇跡を見せてくれるのか?」

 ええ、見せるわ、と何梅は冷めた茶を美味しそうに飲み干し、濡れた唇を優雅に拭いて立ち上がった。「そろそろお暇しなくちゃ」

 葛斎は名残惜しい。

「あと一日くらい、泊まれない?」

「あまりここの人たちに顔を見られたくないの。それに黙って出てきたわ。戻らないと。次のお楽しみは六日後よ、葛斎。準備出来たら鷹を寄越して。こちらからも連絡するわ」

 再び笠を被り、油衣がいとうを羽織った。

「まだ雨が降ってる。気をつけて」

「ええ。話を聞いてくれてありがとう」


 何梅は音も立てずするりと走廊ろうかへ出た。話し込んでいるあいだずっと待っていた護衛と共に歩きだす。葛斎は大門まで見送り、下仕えたちの手前、さも他人行儀に頭を下げた。

「本日はありがとうございました。長々とお引き留めしてすみません」

「よく世話されておられて感心致しました。また困ったことがあればなんなりと」

 応じたのは男のほう。二人は礼を返して辞し、すぐに雨に紛れて見えなくなった。


「ずいぶんとご熱心にお話しされてたんですねえ」

 とっぷりと陽も沈んだ暗いなか、のほほんと罩灯ぼんぼりに明かりを灯す小利に上の空で相槌を打った。

「ああ……とても勉強になった……」

 上の空で呟き、幻のようだったひとときの反芻から我に返る。

「そうだ小利。明日、遣いを頼めるか?」

「はあい。どちらに?」

 いそいそと戻りつつ文面を考えはじめる。

ずい兄さんにご機嫌伺いだよ」

 ここを乗り越えねば、何梅と再会できない。俄然漲ってきた。どうあっても表兄に上手く立ち回ってもらわねばならなくなった。







 それほど気に入りですか、と問われて何梅は笠の内でそうね、と醒めた声を返した。

「同じ年頃の娘御といえ、泉人ですよ。わざわざ出向くのはやはりまずかったのでは」

「どうして?」

大人たいじんたちはいまだ許していませんが今のところ何梅さま以外にめぼしい次期当主候補などいないでしょう」

「分かるの、宣尾」

 もちろんですとも、と宣尾は隧道すいどうの暗闇の中でも危なげなく手綱を捌く。何梅は彼にもたれて目を閉じた。

「疲れた……」

「あなたが次の当主におなりになったとして、今日あなたの姿をちらとでも見た者たちが後々悪事をはたらくことも有りうる。ご友人にも害が及ぶやも。そう考えるとやはりまずかったと言わざるを得ませんね」

 ふん、と鼻を鳴らした。

「一族の者たちなら安全だとは言えないわ。お前は私が新当主になってもなんら思うことはないと?女が王になったことなんて、泉国に限らず我々の歴史においてもないというのに」

 宣尾はさて、と傾げる。どうでも良さそうだ。

「今の一族を支えているのは柳仙りゅうせんさまではなく実質可敦カトンさまですしね。知ってますか、下々の間では可敦さまのことを柳仙さまと呼んでるんですよ」

「間違いないわね。父上が耳にすれば怒りそうだけれど」

 何梅は意地悪げにわらい、男を見上げた。

「今日はありがとう。いてきてくれて良かったわ。ややもすれば捕吏ほりに引き渡されるのではないかとひやひやしていたの」

「なぜ伴に許婿いいなずけどのをご指名しなかったんですか」

「分からない?」

「…………いえ、なんとなくは」

「でしょう。あの人は大それたことができないの。勝手に泉地へ行くなんて言ったら心配して騒ぐに決まってるわ」

 くすくすと笑う無邪気なさまに肩を竦めた。

「俺がヤキモチを買わないか心配ですよ」

「お前が不貞を働くような男でないことは信頼している」

 よく言う、と溜息をついた。絶世の美女から生まれたこれまた稀代の美姫に体を預けられて平生としていられる男がいるものか。

「惑わさんでください」

「背凭れがなにか言ってるわね」

「何食ったら頭からそんないい匂いがするんです?」

「減るものではないから許すわ」

「やっぱり起きて。俺はまだ嫁から離縁されたくないんで」

 懇願に声を立てて笑った。

「冗談抜きで、私はお前を気に入っている。牡牝せいべつでなく単純に能力を評価するお前の気性はとても心地が好くて貴重なものよ。腕も確かだし、私が王になったらもっと取り立ててあげる」

「そりゃありがたき幸せです……ちょっと、くっつかないでくださいってば」

「ねえ宣尾。お前、盗み聞きしたでしょう」


 ぎくり、と押しのけようとした手を止めた。ふふふ、と含み笑いの息が胸にこもる。


「心臓がどきどきしてる。わかりやすい。誰に言いふらすつもり?父上?」

 手綱を引く。歩みが止まり、音も止まった。

「だあれも信じやしないわよ。天門のことも、九子きゅうしのことも、全部空想夢想おとぎばなしよ。愚かな男たちは血を見たくてたまらないのでしょう。たたかうことしか頭にないのだもの、平和なんて求めてないわ。お前も?宣尾」

「………………さあ、俺には難しいことなんてさっぱりひとつも分かりません。……聞くつもりはありませんでした。でも声がれてて」

「お前は頭がいいから察したはず。母上と私が、そう遠くないうちに父上を亡き者にしようとしていると。どうするつもり?止める?」

 ぞっとするほど冷たい指が頬に触れた。汗が垂れる。

「俺は……」

「それとも今ここで私を殺すのかしら」

 もう一方は宣尾が提げた剣の柄頭を押さえていた。気がつき、無意識に掴んでいた手を離す。


 何梅の殺気は独特の気配がある。ふんわりとまるで狐の冬毛に包み込まれるようでいて、霧界むかいに漂う瘴気のごとくずしりと重い。尋常ではない。十四の小娘とは思えない。今ここで無理に剣を抜いたとしても、斬りかかるより先に彼女の爪が喉を掻き裂くほうがはやい。


 宣尾はひとつ息を吐き、許してもらおうと身を引いた。

「知った俺には終わりをお与えになる?」

「そんなことしないわ」

 何梅は途端にいつもの雰囲気に戻った。

「言ったでしょう、私が当主にけば取り立ててやると。それに父上もね、自分が多数の恨みを買っていることなど了解しているわ。告げ口しても構わないわよ」

 さあ、帰りましょう、と前を向いた背はもう寄りかかってこない。宣尾はおとなしく再び手綱を振る。

「造反の証拠もなしに当主の愛娘を手に掛けるなんてそんなことしません。それに八馗はっきを掻き回すのは俺だって嫌です。……それで、ゆくゆくは大業のために、あの娘御をお使いになるのですね」

「誰しも天命には身を捧げなければならず、掴んでしまった運命を捨てることはもはや不可能なのよ」

 言葉遊びのように軽やかに言った何梅の旋毛つむじを眺める。

「俺の天命ってなんでしょう」

「角族として生きること」

「じゃあ、運命は?」

「私の忠臣として死ぬこと」

 なんですかそれ、と馬鹿馬鹿しくなり肩を落とす。「同じじゃないですか」

「違うわ。天命のもとに生み出されるのは避けられないけれど、運命は自分次第でいかようにも変えられる。捻じ曲げ、ひらき、より良いものにできる」

 何梅はようやく少女らしく笑った。「お前も私に使い潰されるのが嫌なら変えてみせなさいな」

「べつに、……いいですよ。俺は顎でこき使われるのが性に合うんです。主が賢君なら難しいことを考えなくて楽だし」

「そう。なら、しっかり私の尾にしていなさい。そうすればそのうち面白いものが見れてよ」

 特等席でね、と言うと同時に、前方に光の射す出口が見えた。




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