第35話 動くものたち



「私は…」



 ユウタの母親は起き上がる。

 彼女は自分が自分の寝室で目覚めたことを不思議そうにしており、周囲を見渡していた。




「あれ…家に?…どうして?」





 絶世の美貌を持つユウタの母親は、不思議そうに首を傾げる。

 その仕草、その汗ばんだ表情には艶のようなものがあった。




「痛っ…」


 彼女が周囲を見渡していると、急引き攣った顔と共に、苦痛の声を漏らす。


 それもそのはずだ。

 彼女は額に包帯を巻いており、その包帯は微かに赤く滲んでいる。



「どうして…」


 自分がどうしてこんな怪我を負っているのだろう。

 そう怪訝な顔をしながら、自分の身体を見つめると、ところどころに痛む箇所が残っているのを感じていた。




「これ…治癒魔法…属性違い?」



 彼女は自分の身体に治癒魔法の痕跡があることを感じ取っていた。


 完全に怪我が癒えていないこと、痕跡から感じる波動などから、自分に適していない属性の魔力で治癒されていることまで察していた。



 なぜ、ごく平凡な日本の家庭で暮らす彼女が、治癒魔法などという現実味のないものを、あたかも実際に存在しているかのような口調で疑問に思うのか…


 ユウタの母親自身にそんな疑問はなく、彼女は直前まで自分が何をしていたのか思い出そうとしているた。





「私は…」



 断片的に蘇ってくる記憶を前に、慌てたように右手を額に当てる。



 そして、ハッとしたような表情をすると、勢いよく立ち上がる。

 どうやら、断片的だったものが一筋となり、記憶が整理された様子だ。





「ユウタ!?ミスズ!!!」



 最愛の家族の名前を叫ぶと、そのまま部屋を飛び出す。全身から激痛が走っているのだが、そんなことなどお構いなしだ。


 彼女が家中を探し回るが、ユウタもミスズも家にはいない様子だ。




「車が飛び込んできて…それで…ダメ!!思い出せない!!」




 ユウタの母親は血相を変えながら、その場に崩れ落ちるように座り込む。


 そして、彼女はすぐに自室へ戻ると、部屋に置いてあったスマホを手に取り、すぐにどこかへ電話をかける。




「…ユウタ…出て!!!」



 数十秒ほどどこかへ発信すると、繋がらないことに唇を噛み締めると、すぐに別のどこかへ電話をかけ始める。



「ミスズ!!!お願い…!…嘘…圏外?」



 ユウタは不在、ミスズは圏外のガイダンスが流れる。

 彼女はそれでも、2人へ何度も電話をかけ続けるのだが、繋がることはなかった。




「…っ!」



 ユウタの母親は、次の手段に出る。

 3人目の誰かへ電話をかけると、その3人目は3コールもしないで応答した。






「パパ!!!」



 近所に聞こえるぐらいの声量で、電話先の相手の名前を叫ぶ。

 通話の相手は、ユウタとミスズの父親であり、彼女の夫だ。




『どうしたの?そんなに慌てて?』

「キリュウインの娘がいたわ!!」




 涙を溢れさせながら、夫へそう告げると、返ってきた声は落ち着いたものであった。




『ああ…知っているよ。安心して』


 通話先の落ち着いた声や、言葉の内容は、彼女がホッと胸を撫で下ろすぐらいの意味が込められているようだ。彼女が夫に寄せる信頼の大きさが窺える。


 しかし、それだけで完全に安心とは言えない。

 具体的に説明が欲しいのだろう。



「…ユウタもミスズも家にいないの!!私が襲撃された時!!!その場に!!キリュウインの娘がいたわ!キリュウインに攫われたのかもしれないの!」



 彼女が通話先へ再び叫ぶように問いかけると、反して、落ち着いた冷静な声が返ってくる。



『…襲撃?』

「そうよ!車が突っ込んできたの!!」

『や、お前は無事なのか!?』


「…もう大丈夫よ…治療はアナタがしたんじゃないの?」

『俺は無関係だ』


「それじゃ誰が!?」

『…調査しよう』



「待って!!!それじゃ!!」

『落ち着いて』


『…ユウタとミスズの件は安心して、すぐに動くから!』

「待って!!話が噛み合わないわ!!どういうこと!?」


『…ユウタの近くにキリュウインの娘がいることは知っていたんだ』

「どういうこと!?何で!?どうして!?」


『落ち着いて…それに、今回の件はキリュウインの仕業ではないよ』


「どうして!?どうして、あいつらがやったんじゃないと言い切れるの!?」

『…約束がある』

「約束?」


『ああ…だから、キリュウイン家の仕業ではない』

「どんな約束よ!?」


『お前にも言えない』

「ふざけないで!!」



『言えないが…2人は俺が必ず無事に連れ帰るから』

「…」



『お前はそこで待っていてくれ』

「嫌よ!私も行くわ!!」



『お前は家を守っていてくれ』

「嫌!!」


『や、俺が一仕事終えて、温かいご飯と風呂と…お前の笑顔があると思うと、頑張れるから』

「…」


『頼む…』




「分かった…任せるわ」

『ああ!』



「お願いね…必ず…」


『無事に連れて帰ってくるよ』

「ヨウゲン!貴方もよ!!無事で帰ってきてね!」



『…ああ、約束だ』

「嫌!パパは約束をすぐ破るもの」


『や、それは言わないでくれよ…』


「だから、命令!無事で帰ってきなさい!」


『命令…』


「私の命令には逆らったことはないでしょ!」


『はははは…そうだな!その命令、必ずや!』




ーーーーーーーーーーー




「…意外だな」



 厳つい顔をした背広の男性は、後部座席にいる私を一瞥すると、そう呟いた。




「…」



 私は何も答えない。

 きっと、私に話しかけているのだとはわかる。

 でも、返事なんてしてあげない。




「確か…名前はミスズか…奴の子供だ。度胸があるな」

「へい」



 厳つい背広の男性の言葉に、車を運転している男性が頷く。

 どうやら、助手席にいる厳つい背広の男性の方が上司みたい。




「…」



 私は手足を少し動かしてみる。

 何か黒いテープのようなもので縛られており、簡単に解けそうにはなかった。



「…逃げられないぜ」

「…」



 そんな私の微かな気配を察したのか、厳つい背広の男性は、私へうすら笑いを浮かべながら口を開く。



「…」

「普通、お嬢ちゃんぐらいの歳のガキなら、ぴーぴーと泣き喚くもんだがな」

「へい」



 怖くないと言えば嘘になる。

 でも、不思議と、この人が言うようにぴーぴーと泣き喚きたいほど怖くはなかった。

 多分、そうしない私の方が変なんだろう。


 普通、私と同じ歳の子だったら、泣き叫んでいて当然

 むしろ、震えてすらいない私は変だよね。



「…」

「ふん、助けにくるって信じ切ってやがる目だな」



 そんな私の心境を表情から読み取ったのか、厳つい背広の男性が鼻で笑う。



「はははは、期待してんのはどっちだ?父か兄か?」

「…」

「父はハテナって感じか。あいつめ、上手く正体を隠してやがるな」

「へい。そのようですね」

「それに、ここまでの才を引き継いだ娘を、鍛えてすらいないとはな」




 私は、ずっと、お兄ちゃんが助けに来てくれると思っていた。


 だからだ。

 こんな怖そうな人達に囲まれていても、泣いたり、騒いだり、震えたりしなくて済んでいる。


 でも、どうして、私が助けを期待している人が兄だって分かったんだろう。

 普通は警察とか、そういう人だよね。

 それに、お父さん、ただのサラリーマンだし…


 それを言えば、お兄ちゃんはただの高校生だけど…




 …しばらくすると、私が運ばれている車がガタガタと激しく揺れ出していた。まるで、山道を走行しているような印象だ。




「…さて、もうじき着くぜ」

「…どこに?」


 私は現在地が気になったこともあり、そう告げてくる厳つい背広の男性へ問いかける。



「初めて喋ったな」



 すると、私を小馬鹿にするように、その男性は嬉しそうに言う。




「…」


「お前がしばらく暮らすところだ…豪華なお城だぞ」

「お城?」


「そうだ…その名も…妖魔殿…妖の巣窟だ。退屈はしない」





ーーーーーーーーーーーーーー




 殺したい。

 殺したくて殺したく仕方なかった。

 止めどなく殺意が溢れてくる。



 魔王になっても、相手が人間でも、家族は大切なようだ。

 母を轢き殺そうとし、妹を攫った。

 こんな奴らを生かしておいてはいけない。



 こうした怒りを覚えることは多かった。

 過去を振り返ると、僕は弱く、力がなく、怒りを露わにする意思もなかった。


 その殺意を実現する力がなく、絶望に近い感情で殺意を押し殺すことができていた。


 だから、泣き寝入りするしかなかった。

 だが、それも過去の話だ。



 

 今は…



 違う。




「…ぐあぁあ!!!」



 僕は腕を握る力をほんの少し強めてみた。

 それだけで、掴んだ腕から何かが潰れる音が響き、その腕の持ち主の表情が苦悶に染まる。




 愉しい。




「がぁぁぁああ!!いでぇえ!!いでぇぇえええええ!!!」

「お、おい!!!!ゲンタ!?」


「…」



 僕は腕を掴んでいる男性が膝を折り、苦痛に表情を歪めている様子を眺めていた。

 これだけ感情を満たしてくれる光景が今まであったであろうか。


 漫画やアニメで、僕のような存在が力を得て、こんな不良どもを一掃するシーンを何度も見てきた。

 その度に、一定の達成感やら爽快感やら、そういったものが込み上げてきてはいた。


 しかし、自分が当事者で、それが現実であった時




「何だ…こいつ!」

「こ、興奮してやがんのか!?」



 2人の男性の視線は僕のとある箇所へ集中していた。

 僕は今の光景にとある生理現象を引き起こしてしまっていた。


 しかし、仕方ない。

 こんなに感情が満たされたのは初めてだ。


 僕が興奮してしまうのも無理はない。



「くそ!変態野郎がっ!!!」


 金髪にピアスの男性が僕の顔面を殴りつける。




「がぁぁああああ!!!」



 彼の拳に合わせて僕は殴られる箇所であろう頭部を動かす。

 すると、豪快に骨の折れる音が響いた。



「がぁぁああ!!いでぇぇえええ!!がぁ!!いでぇえええ!!」



 金髪ピアスが僕を殴った拳の指はぐちゃぐちゃに折れ曲がっており、その腕の肘からは骨が血と共に飛び出していた。





ーーーーーーーーーーー




「…コウタさん、戻るんっすか?」

「ああ」



 森の中で車に乗り込むコウタ

 彼を見送るのは部下の男性だ。



「仕事も残ってる」

「こんな時に…仕事ですかい」


「こんな時でもだ」

「ですが、人質を残して行くんっすか?魔王ってやつに襲われたらどうしやす?」


「むしろ、俺と人質との間に距離はあったほうがいい」

「…?」


「俺と人質の距離が離れていれば、俺の方に魔王が来ても、魔法とか何とかで人質を奪われる可能性がある」

「…なるほど、キキョウさんと念話で繋がってますから、離れていても、人質として有効っすね」


「そうだ。仮に人質のところに魔王が来て、キキョウが魔王に殺されたとしても、逃げる時間は稼ぎやすい」

「…了解しやした…お気をつけて」


「ああ」

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