第32話 最初の最後の闘い。その始まり。



「着きやした…」



 顔中に痣だらけの人相の悪い男性がハンドルから手を離し、後部座席へと振り返る。彼の視線の先には、蒸す夜にも関わらず、汗ひとつかかずに背広を着ている男性がいた。



「…嘘を言っていたとわかったら、わかっているな?」

「へ、へい!!」


 背広の男性がドスの効いた声を響かせると、運転していたボロボロの男性は冷や汗を垂らしながら頷く。

 そんな彼の隣で、ゴリラのような男性が、同じく後部座席へ視線を向ける。



「…しかし、ボス、本当にそんな奴の存在を信じるんですかい?」

「…行ってみればわかる」

「…へい」



 背広の男性が座っている位置のドアが開かれる。自動で開いたわけではなく、外にいる彼の部下がドアを開けたようだ。




「どうぞ」

「ああ」




 無言で背広の男性が車の外へ出ると、そこは強烈な緑の香りがする森の中であった。木々の隙間から、遠目に街の夜景が一望できることから、山の中にいるようだ。



 街の夜景を見つめる背広の男性、その眉間の皺が寄ると、鷹のような目がさらに鋭さを増していた。



「ボス…」



 そんな男性へ耳打ちするのは、2mはあろう巨体の男性だ。

 彼は萎縮しながら、背広の男性へと何かを囁く。



「…そうか」



 背広の男性が短く頷くと、素早く巨体の男性は背後へ下がる。

 そして、その巨体の男性に釣られて、周囲にいる彼の護衛であろう男性陣も後ろへと下がっていく。




「…人は下がらせたぞ」



 背広の男性は、森の奥へ向かって言う。

 すると、森の奥から妖艶なるものの声が森の中に響き渡る。





『…オマエ ノ ナマエ ハ?』



 聞いているだけで虜になりそうな艶のある声だ。現に、背広の男性の後方にいる男性の中には、頭を抱えているものや、顔を左右に振っているもの、思わず倒れそうになるものなど、さまざまな反応を見せていた。


 そんな彼らよりも更に前方にいる背広の男性は、その妖艶なるものの声に対して、眉一つ動かさずに平然としていた。


 それどころか




「人の名前を尋ねる前に、自分から名乗るのが礼儀だ。妖の世界では違うのか?」



 腕を胸の前で組み、顎を引いて、堂々とを通り越して偉そうに言い放つ背広の男性

 確かに、彼が身にまとう雰囲気は、その仕草に説得力を与えるほどの凄みのようなものがあった。


 

『…キキョウ』



 森の奥にいるものにも、背広の男性の凄みが通じたのか、素直に自身の名前を森に響かせる。





「キキョウか…俺はコウタだ」


『コウタ…ワタシ ニ ナン ノ ヨウジ ダ?』


「お前と手を組みたい」

『ワタシ ガ オマエ ト?』


「そうだ…お前に食料を運んでやる。代わりに、俺に従え」


『ニンゲン ゴトキ ガ ワタシ ヲ シタガエヨウ ト スルカ』



「陰陽庁…それに…ベクターとか言ったか?奴らのせいで、あまり食事にありつけていないのだろ?」

『…』


「図星か…俺なら…そうだな…人間30人は食料としてすぐにお前へ渡せるぞ」

『イチ ジカン ヤロウ ショクリョウ ヲ ヨウイ デキタラ カンガエテ ヤル』



「そんなにいらんぞ」



 コウタはそう言ってから、腕を上げて、その先の指をクイクイっと動かして合図する。当然、合図の先には彼の部下達がいた。


 部下達は、車の中から、ゾロゾロと老若男女が入り混じった人々を引き連れてくる。

 誰もが薬で憔悴しているのか、コウタの部下達に素直な様子だ。




「すでに用意してある…どうだ?」

『…』


「お腹が減っているのだろう。食べていいぞ」



 コウタがそう言い放つと、間髪入れずに…



「「「ぎゃぁぁぁぁあっ!!!!」」」



 コウタの背後では、部下達が連れている人々の断末魔が響いていた。コウタが一瞥した時には、彼らが着ていた服だけが地面に残されている。




「早食いは健康に悪いぞ…」

『…』


「どうだ?美味しかったか?」

『ウマイ』



 たった一言だけではあるが、久しぶりに食事へありつけたためか、かなり気持ちのこもった声に聞こえる。




「そうか…それで…だ。俺と組めば、食料にありつくことは簡単だと理解してもらえたか?」

『…ナニ ガ モクテキ ダ?』


「まずは…そうだな」

『…』



「最初の指令だ。今日の夜…19時までで構わない。俺を護衛しろ」



『イイダロウ コウタ オマエ ガ ショクリョウ ヲ ワタシ ニ ヨウイ スルナラ ワタシ ハ オマエ ノ ハイカ ニ ナロウ』



 コウタの前には、スッと白い毛並みのキツネが姿を見せる。目は真紅、尻尾が9本ある妖艶なる美しさを持つキツネだ。



『ホウ ワタシ ヲ ミテ モ オドロカ ナイ ノカ』

「ああ、今の俺に驚きはないな」



 コウタは伝説に謳われる九尾の狐を見てもなお、微かに笑みをこぼすだけであった。


 少し前の自分ならば、決して、目の前の存在を直視しても信じることはできなかったであろう。


 そう思ったコウタは、微かに笑みを溢していた。




ーーーーーーーーーーー




 受付カウンターが並ぶ白を基調とした店内


 その一つには、見た目麗しい美女が2人と、影の薄い男性が1人の計3人が座っていた。



 彼らを対応するのは紺色のスーツの男性だ。


 受付担当者は、チラチラと美女2人の顔を見つめては、時折、うっとりとしている。仕事中にも関わらず、お客様に見惚れてしまうのはプロ失格だと言われてしまうかもしれないが…



 ミスズと母に見惚れているのは、受付している人だけではなく、周囲にいる他の店員や、他の客も同じ様子だ。

 彼だけを責めるのはお門違いかもしれない。





「…あれ、あの子…」

「まさか、彼氏?」

「えー…レンタル彼女とか?」


「何か兄妹みたいよ」

「えー!似てなっ!」


「何であんな美女とあんな野郎が?」

「…サイフくんなんじゃない?」






 そして、遅れて僕の存在に気付き、ひそひそと何やら勝手な妄想を口にする。


 いつものパターンだ。




 慣れているとはいえ、ヒソヒソ話が気にならないわけではない。


 店員さんが一生懸命に手続きのことを説明してくれているのだが、僕の脳には半分も届いたかどうか…




「では、お兄様もよろしいでしょうか?」



 なるほど、このパターンか。

 母がいるのにも関わらず、僕へあえて確認をとるということは…




「あの」

「はい?」



 僕が問いかけようとすると、店員さんはニコッと笑顔を見せる。母とミスズに見惚れていたが、しっかりと接客はしてくれているようだ。



「こちらが母です。手続きの同意であれば、親権者に求める方が良いと思いますよ」


「え?」



 僕が母へ手を向ける。すると、母はキョトンとしていた。


 しかし、店員さんはパソコンを覗き込んで何かを確認すると、先ほどまでの笑顔が一転、目を見開いて、口すらポカーンと開いていた。


 そんなに僕がお母さんの子供であることが不思議かな?

 いや、お母さんが子供がいるような年齢に見えないってことかな。



 とにかく、明確に口にされたわけじゃないけれど、どうやら、僕>母>ミスズでの兄妹だと思われているようだ。

 

 これはパターンCだな。




「し、失礼しました!!」


 勢いよく頭を下げる店員さん。

 あまり責めるようなことでもないため、僕は手続きの控えにもう一度だけ目を通すと、机に置いてあるボールペンを手に取り、母へ渡そうとする。



「え、ちょっと、ユウタ!私!難しいことはわからないわよ!」



 僕が母へサインを促すと、慌てて両手を左右に振る。



「あ…えっと、大丈夫そうだから、ちゃちゃっとサインだけして」

「え…あ、そう?」

「うん」



 母が書類にサインをしていると、ミスズがスマホの画面を僕へ向けてくる。

 どうやら、修理中に貸出された代わりの携帯電話のようだ。




「ね!お兄ちゃん!これ!」

「ん?」



 画面にはレインのログイン画面が表示されていた。




「どうやるの?」

「あー…これは…ここを先にやらないとダメだよ」

「…パスワード?」


「最初に決めたやつ、ここに入れて」

「…わかんない」


「何で覚えてないんだよ」

「お兄ちゃん入れて!」

「知らないよ!」


「何で?」

「何でって…」


「いじわるしてない?」

「してないよ!」


「お兄ちゃんなのに、わからないの変だよ!」

「いやいや!待て待て!」



「だって、お兄ちゃんだよ?」

「何だよそれ!」



 ミスズはムッとしたような表情を僕へ向けてくる。まるで、僕がワザとわからないフリをしていると疑っている様子だ。


 いやいや、その謎の僕への信頼はどこから来るんだ?




「あーもう!」



 僕はミスズからスマホを奪うように手に取ると、パスワードの再発行へと進む。

 そんなこんなで、僕はミスズの代わりに、様々な携帯電話の設定をやることになった。





ーーーーーーーーーーーーーー




「はぁ…」



 僕は机突っ伏して寝ている。

 ドッと疲れた。



「わ!冷たっ!」



 そんな僕の頭にキンキンに冷えたコーラの入ったグラスが乗せられる。


 驚いて、僕が机から頭を上げると、そこにはムッとした表情のミスズがいる。



「お兄ちゃん!行儀が悪い!」

「…へいへい」




 喫茶店で机に突っ伏して寝ていれば、確かに、見栄えが悪いどころの話ではない。

 ここは素直にと、僕は顔を上げたままにする。



「…僕がこんなに疲れているのは、ミスズのせいだけどね」

「ありがと!」



 僕が嫌味のつもりでミスズへ言うが、こいつはパーっと太陽のような屈託のない笑顔でお礼を告げる。


 これは卑怯だ。やって良かったと思えてしまう。




「はぁ」



 僕はため息を吐いて、笑顔一つで僕の苦労と釣り合って堪るかと、やって良かったと思った気持ちを振り払う。




「ミスズ?」

「…わー」



 ミスズはふと、どこか遠くの方を呆然と見つめていた。

 僕は気になって、その方向を見つめると…




「今だにあんなの飲むやつらいるんだ」

「…いいなぁ」



 ミスズの視線の先には、大きなグラスに入った飲み物を、2本のハート型のストローで一緒に飲んでいるカップルがいた。


 平成初期から中期には流行ったのかな?僕はもちろん世代じゃないけれど





「ミスズ、お前、彼氏とかいないの?」

「っ!!!!」



 僕はふと気になってミスズに尋ねてみる。こいつはかなりモテるから、彼氏の1人や2人ぐらい、簡単に作れてしまいそうだけど…


 いや、2人以上は、兄としてどうかと思うけれど




「何を言ってるの!」

「…」



 ミスズは顔を真っ赤にして僕へ怒鳴る。

 驚いている周囲のお客さん達へ、僕はさまざまな角度で頭を下げる。



「…そんなに、変な質問か?」

「そ、そういんじゃないけどさ!」



「…」

「ね、お兄ちゃんは…私に彼氏がいても…その」


「ん?」

「その…ね…えっと…」


「どうした?」



 ミスズは顔を真っ赤にさせたまま俯く。

 そうか、家族内でこういう話は照れ臭いのかもね。





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