第30話 神と神
「嵐の神よ…」
「ん?」
満身創痍のジークは、殺意を向けながら、何か祈るようにして呟く。
彼は両手と両膝を地面につけて乞うような姿勢でいるが、その姿勢は、当然ながら僕へ向けているわけではないだろう。
「魔術と知恵の神よ…」
「なにを言ってんだ?」
「天地、人間の創造神にして、ルーン文字の発明者」
「何を言っている?何を呼ぼうとしている?」
「怒り狂える者よ!!我の!!英雄の魂を捧げる!!代わりに!!我が願い!!聞き届けよ!!」
ジークはそう言い終えると、僕を見てニヤリと笑う。
「お前が死ねば、このゲームは俺達の勝利だ」
「ああ、殺せればな」
「できれば、生存ポイントが欲しいところだが、負けるよりは良いだろう」
「まるで捨て身で僕を殺せると思っているような言い草だな」
僕がそう言うと、ジークはさらにニヤリと笑みを深める。
いつも無表情の彼がそんな笑みを浮かべることも驚きだが、それよりも、彼が何を狙っているのかが気になった。
「…ふふ」
ジークはその場でうつ伏せで倒れる。
力をどこかへ吸い取られているような印象だ。
同時に、夜空が曇り始めた。
「なんだ…?」
異変に気付いて空を見上げる僕へ、ジークが問いかけてくる。
「お前達の言うところの北欧神話…その最高神を知っているか?」
「ああ、ウェンズだろ?」
「そうだ…お前を殺すために…異界から召喚した」
ジークの言葉通り、曇り始めた空には雷鳴が轟き始める。やがて、風が強く吹き荒れて、豪雨が降り注ぎ始める。
「…馬?」
そんな大嵐の中、今の蹄が地面を小気味よく叩く音が聴こえる。
「…」
雨の中、8本の足の馬に跨りながら向かってくるのは、隻眼の白い甲冑の騎士であった。その手には、先端が菱形になっている金色の槍が握られている。
「…なるほど、自分の命を依代に、神を呼び寄せたか」
僕はウェンズを見上げる。
馬ですら3mはあろう高さで、その高さに見合った巨体が北欧神話の最高神ウェンズだろう。
英雄の魂を欲している神は、どこかの世界の英雄であろうジークの魂を得るために、こうして現世へと呼び出されたのだろう。
「終わりだユウタ、ただの魔王が…敵う相手ではない…神に王では勝てない」
ジークはそう言うと勝利を確信したように笑う。
なんだろう。
子供の喧嘩に親が出てきたような、そんな気持ちだ。
「…呼べるなら最初から呼べば良い」
そうすれば犠牲は最小限だ。
「サキがお前を倒せなければ呼ぶつもりであった」
「最初から呼んでいれば、サキや周りのこいつらも死ぬことはなかったろうに」
「ふん!殺したお前が俺に言うか?」
「それもそうだな…しかし、外野を呼んだのはお前からだ。僕に卑怯だと言うなよ」
「…?」
それならばと、僕は怪訝そうなジークから目を離して背後を振り向く。
そこにはただの空間が広がっており、晴れていれば、街灯が破壊されていなければ、景色の奥には古谷市の繁華街が見えたはずだ。
今は、大雨と曇った夜空のせいで、延々と暗闇が続いていた。
「なぁ、アレとお前、どっちが強い?」
僕は、そんな背後に這い寄る混沌へ、そう問いかけてみた。
「…はい、ユウタ様、私の方が遥かに強いです」
暗闇から声が響く。
女性とも男性とも、子供とも大人とも、人間とも魔物とも言えない声だ。
「相手は神だぞ?」
「はい、ユウタ様、お言葉ですが、アレはただのオールドデウス、信仰ではなく道楽の対象となったものに過ぎません。神と呼んですら良いのやら…」
「ほう…お前はまるで信仰の対象にされているような言い草だな」
「はい、ユウタ様、私は多くの世界、星々で…数多の信者から崇拝されております。それは現在と過去のみならず、未来においてもそうでしょう」
「なるほど、興味がわいた。名乗ることを許そう」
「ありがたき幸せにございます。しかしながら、わたしには多くの名前がございます」
「その中から、お前の呼び名を僕に選べと言うのか?」
「滅相もありません。僭越ながら、私のことは_$\*;“{‘]$とお呼びください」
「長い。ナイアで構わんだろう」
「光栄にございます」
僕が暗闇と話し終えると、真っ黒な長身の人影がそこに浮かび始める。
黒い影が人のカタチを成して立っており、体に凹凸はなく、顔に目以外のパーツはなかった。
「お前がナイアか?」
「はっ!」
僕が黒い影に尋ねると、すぐにナイアは膝を折って平伏する。
僕の人間以外に好かれる体質は、魔物や動物だけではなく、こういった精霊の類にも有効なようだ。
彼がまるで中世の騎士にように僕へ平伏するのは、即ち、僕へ忠誠を捧げようという仕草であろう。
ならば、その忠義の有無を言葉で確認するために、こいつへ問いかけるなどという野暮はしない。
「よかろう…僕に刃を向ける愚か者を屠れ」
「はっ!」
黒い影が承伏してから立ち上がると、そのままスルスルと歩を進めていく。
「ブルルルルル!!!」
「…」
ナイアが向かっていく先は、ウェルズとその馬だ。
ナイアが近づくと、ウェンズの跨る馬が暴れ始める。
怯えているのは明らかであり、この黒い影がいかに強大な存在なのかがわかる光景だ。
そして、心なしか、怯える馬を宥めるウェンズの手が震えているようにも見える。
「ユウタ様へ害意を向けた罪…万死に値します」
ナイアはそう女性の声で呟くと
「…!!」
ウェンズが跨る馬は地面を蹴り上げて、主人を連れて一瞬で空高く舞い上がる。
一心不乱に逃げ去ろうとする様には威厳のカケラもなかった。
「逃がしませんよ」
ナイアは男性の老人の声で呟くと、空へ手を向ける。
「ぐしゃり」
そして、男の子のような無邪気な声を響かせて、その突き出した黒い影の手で虚空を掴む。
その動きと連動するように…
「…馬鹿な」
僕達が見上げる空で、ウェンズが馬と共に潰されていた。キラキラとした粒子が血の代わりに飛び散ると、神は虚空へと消えていく。
「終わりました」
ナイアは空でキラキラと輝く神の血飛沫を一瞥だけすると、そう淡々と僕に告げる。
呆気ない。
面白みに欠ける。
事務的に仕事を終わらせただけだ。殺戮を愉しんでいない。これを看過してはナイアのためにならないから、しっかりと叱ってやらないといけないな。
「もう少し愉しむことを覚えろ」
「愉しむでしょうか?」
「そうだ。例えばだ…まずは、ワザとやられてジークに勝ち確信させろ。それで奴が慢心した後でウェンズを惨殺するのだ。崖から突き落とすように、一気に絶望の底に叩き落とす…その時の絶望に染まった奴の顔を想像してみろ」
「…っ!!」
「わかるか?」
「はっ!申し訳ございません!」
「よい。許す」
「ははー!!」
そんなやりとりをしている僕達へジークが目を見開いていた。
まだ生きているのかと思ったが、ナイアにウェンズが倒されたことで、彼の命は捧げられずにいるようだ。
「さて、僕が引導を渡してやろう」
「すぐに仕留めてしまうのですか?」
「ああ、こいつは殺してから愉しむ。とある知人へこいつの首を持っていく」
「なるほど、それは愉快なことになりそうですね」
「馬鹿な…何という化け物だ!!」
ジークは、歩み寄る僕よりも、ナイアへ関心があるようだ。
「なぜだ!?なぜ!?あなたほどの神格を持ったものが!!魔王などに従うのだ!?」
ジークはそうナイアへ問いかけるのだが、それに応えようとするナイアを僕は止める。
「…私は」
僕が右腕を上げて平手を見せると、ナイアはスッと跪く。
「はっ!」
ナイアが僕の意図を理解して黙り込むと、僕は倒れているジークを見下ろす。
「ジーク、なぜ、そんな質問をする?」
「神が王に従うなどありえないことではないか!?」
僕の質問に、ジークはさも当然かのように叫ぶ。
まるで、僕にナイアが従属していることがあり得ないと思っている様子だ。
「お前は馬鹿なのか?」
「何だと!?」
「王は神よりも偉い。神の方が王よりも上だというのは馬鹿の考えだ」
「…な、何を!?」
「すべてのものに頭を垂らさせるからこその王!神すらも従わせることのできぬものは、所詮、偽りの王に過ぎぬ」
「お前は…ただの魔王!!ただの役職!!貴様の力ではないぞ!!」
「だからお前は馬鹿なのだ。僕が魔王でなくともナイアは頭を垂れていた」
「左様でございます」
「ゲームなど関係ない。お前は僕に負けたのだ」
「虎の威を借る狐とはまさにお前のためにある言葉だな!!」
「狐か…ふむ。悪くないな。人間よりも100倍はマシだ」
僕はそう吐き捨てるように言うと、スッと腕を伸ばしてジークの後頭部を掴む。
そして、彼の背中へ足を乗せて胴体を地面に固定させると、奴の頭を掴んでいる手を引っ張り上げる。
「ぎゃぁぁああああああああぁ!!」
「ふむ」
首からミチミチと音が響く。
彼の頭部を引っ張る力に強弱をつけると…
「ぎゃぁぁあっ!!あぁ!!あぁぁぁあああ!!」
“楽器”の音色が変わるようだ。
「ユウタ様、なかなかのお手前」
「世辞はよせ」
「ユウタ様、角度をつけると音色が変わりませんか?」
「む?こうか?」
「あがぁぁあああああ!!!」
「ふむ」
「ぐぇ!!ぐえぇ!!ぐえぐえ!!ぎゃぁぁあああ!!あがぁぁあ!!ぐえぇええ!!」
「段々と曲のようになってきましたね」
「うむ。しかし…」
僕は飽きたようにジークの首を胴体から引きちぎる。
「おや?お気に召しませんか?」
「ああ、不規則で大量の悲鳴、その方がそそるな」
悲鳴というのは演技感があっては興醒めだ。
ジークのあげていた悲鳴は苦痛によるもので演技ではないのだが、そこにリズムが加わると、途端に陳腐となる。
「さすがはユウタ様、そのお言葉に感銘を受けております」
「楽器は乱暴に鳴らした方が、鳴らす楽器が多い方が、演奏している方は楽しい」
「ぷふふふ…派手な方が楽しいですね」
そんな話をナイアとしていると、ジークの肉体がみるみるうちに元通りになる。
「おや?」
「どうやら、神との契約が半端なところで終わったため、不死に近い状態の様子ですね」
「お、俺は…?」
再生したジークはキョトンとした様子で周囲を見つめている。どうやら記憶が混濁しているようだ。
僕は時計を見る。
21時まで5分はあるな。
「5分で何回演奏できるか記録しよう」
「良いですね!目標ができます!」
「ん?お前達は…?ギャァぁぁあああっ!!!!!!」
・
・
・
「おや、消えてしまいましたね」
「ああ、ゲームの能力で殺してきた」
「ふむ。一種のバグのような状態だったのですが、こうも容易く消えるとは感服です」
「ああ、襲撃ならば殺せるようだな」
「ぷふふ…なかなか面白いゲームのようです」
「さて、夜は長い…存分に楽しもうか」
「はい!」
僕とナイアによるジークの演奏は、なかなかに楽しめた。しかし、同じ楽器ばかりでは演奏も飽きるというもの。
「では、ナイアよ。共に多くの楽器を鳴らしに行こう」
「是非!」
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