第9話 歌姫
「おねぇちゃんすごい!!」
黒い髪を腰の辺りまで伸ばした可憐な少女は、自分の座席から遠く離れたステージを輝く目で見つめていた。
「すごい!」
その胸に宿り、燃えたぎる激情を「すごい」以外で表現できない。
彼女に語彙力がないからではなく、それほどまでに、目の前のステージで歌う女性に感動していた。
「すごい!!すごいよ!!」
隣にいる両親の肩を叩いては、その服を引っ張り続ける少女
興奮はさらに増していくばかりだ。
しかし、熱狂しているのは彼女だけではない。
10万人は入るであろう会場が埋め尽くされており、その誰もが熱狂しているのだ。
彼らの熱狂の中心にいるのは、1人でステージに立つ黒髪の女性だ。
「アヤカ、お姉ちゃんみたいになれるかな…!!」
目を輝かせて、両隣の父と母へ視線と共に言葉を投げる鼻息の荒い少女
そんな彼女の両親は微笑みながら言う。
「きっと、アヤカも●▲ちゃんみたいに、お歌が上手になるわよ!」
「ああ!姉妹で歌手か!楽しみだな!」
「うん!」
ーーーーーーーーーーー
「アヤカ…さん?」
僕は、こっそりと家を抜け出し、街のはずれにまでやってきていた。
牛丼屋さんの広い駐車場の奥で待っていると、僕の目の前に黒いセダンが停車する。
牛丼屋さんの建物の手前にも駐車場はあり、時間帯もあってか、お店に近い駐車場はガラガラだ。
あえて、こんな奥の駐車場に車を停めるのは、飲食以外の目的があるのだろう。
「…ユウタくんね?」
「は、はい…」
かなりカスタマイズされていそうな黒いセダンから出てきたのは、スラリとした足、腰、腹、谷と山で大きさを主張する胸
サラサラの黒髪を後ろで結って、その上から帽子を被っているサングラスの女性が車から出てくる。
見たことある。
本当にそっくりだ。
いや、嘘でしょ…
「もしか…して?」
「…」
僕がそう言葉にすると、目の前のスタイルの良い女性がコクリと頷く。
「アヤカ…!?デーモンディーヴァのアヤカ!?」
歌声を聴いたものは心を奪われるように魅了されてしまうことから、悪魔の歌姫と呼ばれている。
僕が大声で叫ぶと、アヤカさんは周囲をキョロキョロとしながら、人差し指を口元にあてる。
「しーっ!」
日本のみならず世界を騒がせている歌姫アヤカ
1,000年に1人の歌声と言われており、僕も数曲聴いただけでファンになってしまったほどだ。
CMやドラマ、ハリウッド映画にまで彼女の曲が用いられており、彼女の曲を知らない人はいないだろう。
そして、歌声だけでなく、その可憐な容姿でも話題の彼女だが、歌以外の活動をすることはなく、映画やドラマの出演も断っているそうだ。
「…えっと、あの、大ファンです!!」
彼女の公式チャンネルの登録者数はもうじき1億を超える勢いだ。
当然、僕もアヤカの大ファンだし、妹も大好きだ。
サイン貰って帰ろうかな。
ミスズはすごく喜びそうだな。
あと、父さんとお母さん…
4人分もサインしてくれるかな?
あれ?
そういえば、父さんと母さんは好きじゃないって言ってたな…
歌い方が気に入らないって言ってた。
「でも、いっか」
「何よ?」
「あ、あのサイン!!」
「しないわよ」
「っ!?」
「私は歌以外のサービスはしないことにしてるの」
「そ、そういえば…そうでしたね」
「でも、ファンになってくれたのは嬉しいわ」
まさか、あのアヤカが同じ魔王だったなんて…
なんか夢みたいだな。
うわー、すごく綺麗…
同じ人間だとは思えないよ…
「目的のこと、忘れてないわよね?」
ユウタがまるで後楽園で握手を求める少年のような状態になっていると、アヤカは彼をサングラス越しに睨む。
「あ、は、はい!」
僕はアヤカさんの言葉で、自分達が人を殺しに行こうとしていることを思い出す。
あらためて考えてみると、これから人殺しなんて、どこか現実感がなく、まるでゲームの中でクエストをしているような気持ちだ。
だからだろうか。
あまり緊張感はなかった。
いや、まさか、アヤカさんがアヤカだったとは思わなかった。
その衝撃が大きいのかもしれない。
「さて」
「はい?」
アヤカさんは一呼吸置くと、急に微笑み始める。
まるでステージの上で歌う時のような表情だ。
「…淡い〜♪恋の〜奴隷〜♪」
「っ!?」
アヤカの大ヒット曲のサビから急に歌い出すアヤカ
「きっと〜♪それは〜♪…恋をしてーる♪恋を…してーる♪」
「うわー…!」
「あなたは〜♪恋の奴隷〜♪私の奴隷〜♪」
きっと、サインを断ったお詫びだろう。
ファンサービスと歌姫としてのプライドを忘れないアヤカのスタンスに、僕は感銘を受けていた。
しかし…
「…効かない?」
彼女は歌うのをやめると、急に不機嫌そうな顔を見せた。
「セイレーンが怯えてる…精霊耐性が強いの?でも、彼には見えてないわ…なら…支配耐性が強いのかしら」
「へ?」
「いいえ、なんでもないわ」
「…?」
小声でアヤカさんが何かを言っていたようだけど、あまり良く聞こえなかった。
聞き返そうと思ったけど、アヤカさんが気にしてなさそうなので、そのままにしておこう。
それにしても、やっぱり、アヤカさんの歌声は素敵だなぁ…
ーーーーーーーー
「このラーメン屋ね」
アヤカの運転する車の後部座席に僕は座っていた。
彼女が指で指し示した場所には、まさに、聖女だと思われるケントが住まう家がある。
ケントの家は、あまり繁盛していないラーメン屋だ。
店舗はボロ屋で清潔感がなく、2階の家も老朽化が見てとれる。
駐車場は5台分の広さはあるが、まったく手入れがされていないのか、地面のアスファルトが凹んでいたりヒビが入っていたりする。
ご近所の常連さん以外は、このラーメン屋に立ち寄ろうとは思わないだろう。
マップの評価も3だ。
高評価と低評価でくっきりと分かれており、高評価は主に常連さん達の投票のようだ。
ケントの家の性格が店に表れているような。
そんな根拠のないことが頭を過ぎる。
「在宅中ね」
営業中の店内には暇そうにしている中年夫婦の姿があり、ケントにどこか似ていることから、彼の両親と思われる。
2階の部屋の電気は点いているため、2階にも誰かいるようだ。
となれば、目的のケントが2階にいる可能性は高い。
「まずは…」
「え?」
僕がケントの家を眺めていると、アヤカさんが車の外に出始めていた。
「ユウタくんは中に居てて」
「え?」
「まずは両親を無力化してくるわ」
「無力化…?」
僕は怪訝な顔をしながらも頷いていただろう。
殺すではなく無力化という言葉に、僕は気絶させたり眠らせたりするのだろうと思い込んでいた。
「…」
アヤカさんが店内に入っていくと、中から「いらっしゃい」と声が聞こえてくる。
「やー!こんな別嬪さんが!こんな時間に1人でラーメンかい?」
「こら!余計なことを言うんじゃないよ!」
「…」
「…あれ?」
アヤカさんが笑顔で何かを伝えると、ケントの両親は虚な目になり、まるでゾンビのように店内を徘徊し始める。
「なんか様子が変だぞ?」
僕は、ヨタヨタと店から歩いて出てくる両親をジッと眺めていた。
「どこ行くんだろ?」
2人はそのままヨタヨタと夜の街並みに消えていく。
その姿を見送り終えると、車までアヤカさんが戻ってきていた。
「お待たせ」
「…これも魔法ですか?」
営業中のお店を置いて、あんな様子で2人がどこかへ行ってしまえば、誰だってアヤカさんが魔法か何かを用いたのだろうと考えるだろう。
そんな僕の言葉に、アヤカさんは微笑みながら頷く。
「企業秘密」
「…そうですか」
「それじゃ、行きましょう」
「…はい」
いずれにせよ、無関係な2人を殺さずに何処かへ行かせただけというのは悪い印象ではない。
僕は素直に車から降りると、そのまま無人の店内を進み、奥の従業員用の扉を開ける。
奥には厨房があり、厨房の奥には階段があった。
厨房には鍋がズラリと並んでおり、まだ湯気が立ち上っている。
「すごい臭いね」
「豚骨の香りですね」
「これが?」
「はい、自前で豚骨スープを作っているお店って、だいたいはこんな臭いしますよ」
「へぇ…そうなんだ…」
「あまりラーメン屋さんには行きませんか?」
「うーん、言われてみればカップ麺ばかりかも」
「え!?」
「何よ?」
「アヤカさんがカップ麺ばかりなんですか!?」
「何がおかしいの?」
「いえ…大トロや松坂牛ばかり食べてると思いました…」
「そんなものばかり食べてたら病気になるわよ」
「…カップ麺ばかりも病気になりますよ…」
「違うわ…心の方の病気よ」
「え?」
「みんなとの、世間との感覚がズレると、いい歌なんて歌えないもの」
「そういうもんなんですかね?」
「そう、その感覚がズレるのも、私は心の病気にカテゴリしてるわ」
「なるほど…」
「さ、行きましょ」
「あ、は、はい!」
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