第4話 異変



「…よし!」



 放課後の使われなくなった教室にカメラのシャッター音が響く。

 僕が窓の外へと向けているスマホから鳴り響いたものであった。


 スマホの画面に映し出されている景色は、学校のプールの裏だ。

 そこには、いつものように隠れてタバコを吸っている3人の姿がバッチリと映っている。

 そして、その内の1人は、僕からゲーム機を取り上げたケントという名前の男子生徒だ。




「…綺麗に撮れたな」


 最近のスマホは性能が良くて助かる。

 校舎の2階から30倍ズームで撮影したのだが、少しだけ画像は粗くなるだけで、タバコを吸っている3人が誰と誰なのかを区別することに支障はない。



「バックアップも大丈夫だ」



 クラウドと呼ばれるインターネットの僕専用のスペースへ、撮影した写真を格納しておいた。

 何が起きるか分からないから、パソコンからも写真が見られるようにしておこうと考えたのだ。




「…勇気を出せ…僕には武器がある」



 今から、この証拠を持って3人のところへ先生と一緒に向かうつもりだ。

 これ以上の暴虐を許すわけにはいかない。


 それに、ルシファーさんへ嘘を言いたくないし、何より、僕もゲームを楽しみにしている。

 だから、あいつらからゲーム機を取り返して見せる。




「よし!…行くぞ!」



 僕はそう言って拳をギュッと握りしめると、そのまま職員室へと向かうことにした。

 1人で行くよりも、先生にこの写真を見せて、事情を話し、一緒に立ち会ってもらうのが安パイと言うやつだろう。


 

 

 先生に報告すると、あの3人は間違いなく停学になるだろう。

 いや、最悪の場合、退学だってあり得る。


 成績優秀な彼らの人生に、取り返しのつかない汚点を残してしまうかもしれない。

 だけど、それは自業自得だ。


 僕はやられたからやり返す。

 それだけだ。





ーーーーーーーーーーーーーーーー




「…これはお前が加工したのか?」

「え?」



 ガタイの良い生活指導を担当している体育教師へ、僕はあの3人がプールの後ろでタバコを吸っている写真を見せた。

 すると、先生は予想外の反応を示したのだ。



「こいつらがタバコなんか吸うはずがないだろう」


 僕へ疑うような視線を向けながら、先生はそう堂々と言い放った。

 

 確かに、1人は生徒会の副会長だ。

 もう1人はインターハイに出場する予定のあるバスケ部のエース

 あとの1人はボランティアで賞状を市から貰っていて、朝礼で校長から褒められていた奴だ。



「ま、待ってください!」

「画像が粗いぞ…合成を誤魔化そうとしたな?」

「ち、違いますよ!遠くから撮影しただけです!」


 僕が必死に弁明するのだが、先生は僕の話に明らか耳を傾けていないようだ。

 僕からすぐに視線を外すと、職員室の奥にいる別の先生へ手招きする。



「木南先生!」

「はい!」


 手招きされたのは細身の男性教諭だ。

 パソコン部の担当をしており、ITに詳しい先生でもあった。



「この写真!おかしいところ見てもらえますか?」

「写真ですか…」



 木南先生と呼ばれた教諭は、僕のスマホに映っている3人がタバコを吸っている写真をまじまじと見つめる。



「…」



 木南先生の顔が凍りつく。

 それは…どっちの反応なのだろう。




「先生?こいつらがタバコなんか吸うはずがありませんよね?」

「…それは…そうかもしれません…が」


「木南先生!これが合成ではないって、分かるはずです!」

「スズキ!お前って奴はだな!!!」

「先生!何であいつらを庇うんですか!?」


「庇う?無実だからに決まっているだろう!!」

「…無実」



 僕は先生と言い争いそうになると、木南先生がポツリと溢す。



「…これは」



 すると、僕と先生の視線が彼へと集中する。



「ん?」

「これは?」


「…」



 木南先生は、少し遅れて首を横に振る。



「え?」



 その反応は、どっちなのだろうと、僕は不安で押し潰されそうになっていた。



「これは…合成写真ですね」

「っ!?」



 その不安は見事に的中する。



「木南先生!?」



 僕が先生の名前を呼ぶが、木南先生は僕と目を合わそうとはしなかった。



「…」


「スズキ!!!お前はケント達に何の恨みがあるんだ?」

「待ってください!木南先生!!これ!合成なんか一切していません!」


「…どう見ても合成写真だよ」

「先生!!」


「スズキ!!お前は!!!」

「聞いてください!」


「何を聞くことがある!?お前なんかの話に何を聞くことがある!?」

「僕…なんか?」

「そうだ!!なんかだ!!今日だってな!お前!教室に虫を連れ込んでただろ!?すごい騒ぎになってたぞ!」


「違います!あれも!!こいつらが!」

「馬鹿野郎!!お前が虫を連れて歩いているところ、色んな奴に目撃されてんだぞ!!」


「それは!虫が可哀想だから!!外に!」

「何を言ってんだ!?お前は!?」



 生活指導の先生は、感情が爆発してしまったのか、腕を勢いよく伸ばしてくる。


 僕の胸ぐらをつかみ上げようとしたのか、僕の肩を掴もうとしたのか、いずれにせよ、僕は反射的に先生の腕を振り払おうと、自分の腕を動かす。



「…ん?」

「…?」



 先生の太い腕から鮮血が舞う。




「え?」



 気付けば、先生の腕は、手と肘の中間あたりで直角に折れている。

 折れた骨が肉と皮膚を突き破って顔を出しており、バキバキに折れた骨から血を吹き出しているようにも見える。



「ぎゃ…ぎゃぁぁぁぁあああああ!!!」



 腕を押さえながら、先生は苦痛の叫びを轟かせる。



「木下先生!!先生!!!腕が!?…スズキくん!救急車を!!」

「え?え…え!?あ、はい!!」



 木南先生は慌てた様子で僕へ叫ぶと、彼はハンカチを取り出して先生の手当を始めていた。



「がぁぁあああああ!!!俺の腕…腕がぁ!!!」

「木下先生!!落ち着いてください!!」


「…あ、あ、あああ…」



 僕は、目の前の光景を自分が引き起こしたことを知っている。

 僕が振り払おうとした腕で、先生の手を折ってしまったのだ。


 当たり方が悪かったのか、まさか、ここまでの大怪我を負わせてしまうなんて想像もできなかった。



「どうしたんですか!?」

「きゃぁぁああああ!!!」

「木下先生!?お、おい!!誰か!!保健の林道先生を呼んでこい!!」


「救急車は!?」

「呼べ!!!」

「呼んでください!!腕の血管が傷ついています!!血が止まりません!!!」




 先生の叫び声を聞きつけて、続々と先生達がやってくる。

 その光景に恐怖した僕は、すぐに職員室を飛び出して、学校を後にした。




ーーーーーーーーーーーーーーー




 僕はがむしゃらに走って学校を飛び出す。

 無我夢中で、学校からとにかく離れたくて、何も考えずに走り出した。



 逃げたところでどうにもならない。

 そんなことは十分に分かっている。


 木南先生の前で、僕は木下先生の腕をへし折ったのだ。

 そんな犯行現場から僕は逃げ出した。



 逃げるよりも、もっと、先をマシにできる方法はいくらでもあるだろう。

 木下先生に付き添うだけでも印象はかなり違う。


 それでも、逃げるしかないのは、それしか僕は実践できる方法を知らないからだ。



 正当防衛だったと主張できるだろうか?

 いや、それにしても、腕を折るなんてやり過ぎだ。


 それでも、わざとじゃない。

 腕を折ろうなんてまったく考えてなかった。

 こんなことになるなんて思わなかった。

 


 そんな事を言っても、誰も僕の話を聞いてくれないだろう。

 あの写真だって、合成だと疑われるぐらいだ。


 いや、疑われて当然だろう。

 こうやって逃げ出すことしかできない奴を、誰が信用してくれるのだろう。





「まって!!赤信号よ!!」


 そんな風に、あれこれと自暴自棄に考えながら走る僕へ、慌てた声で叫ぶのは女子生徒だ。


 彼女の叫んだ言葉の意味を、僕が理解できた時には…




「あれ?」


 何が強く擦れる音が響いてから、すぐに爆発に近い音が響いていた。

 僕の目の前、ゼロ距離で。


 体にふわりと何かが当たったような気がした。

 そのふわりとしたような感触のものから爆音が響いているようだ。





「これ…車?」



 目の前には、ボンネットが捩れ曲がって跳ね上がっている車があった。

 フロントはグチャグチャになっており、衝突事故を起こした後のような姿だ。

 まるで、その車は、僕と衝突して、グチャグチャになったかのような光景だ。


 そして、窓ガラスの奥には、エアバックが発動している車内の様子がある。

 運転手がエアバックを退かそうとしている手の動きから、どうやら運転していた人は無事なようだ。




「だ、大丈夫…ですか?」

「大丈夫…です…」


 僕は女性の声に反応して背後を振り返ると、やっと自分のいる位置が把握できた。


 車の通りの多い交差点の中央に僕は立っており、周囲には車の渋滞ができていた。



 歩行者側の信号は真っ赤であり、車道側の信号は真っ青だ。




「大丈夫か!?」

「思い切り正面衝突したぞ!?」


「おい!交通整理だ!俺はバイトしたことあるから!みんなは車をこっちへ避けてくれ!救急車が通れるようにするぞ!」


「あ、ああ!任せてくれ!」

「俺も手伝うぜ!」

「怪我人はどこだ!?」



 車から人を助け出そうとする人

 2次被害を防ぐために交通整理を始める人

 車から救急箱を持ってくる人

 警察や救急車を呼ぶために通報してくれる人

 



「車に轢かれた方、めっちゃ元気そうなんだけど…」

「えー!?なんかピンピンしてない?」

「事故!事故!事故だって!ほら!」

「うわー…車すげぇことになってんなぁ」



 ただ呆然と見ている人

 笑っている人、スマホを向けている人

 



 同じ人間でも、人によって行動に歴然の差が生じる。

 グチャグチャになった思考の中、そんなことだけが鮮明に過っていた。



「…本当に…大丈夫ですか?」

「…はい、どこも痛くありません」


「血すら出てないぞ…」

「え?何…映画?」

「いや、撮影なら交通規制とかするでしょ」




 僕は、目の前の女子から視線を外し、周囲をキョロキョロと見渡すと、誰も彼もが怪訝そうな顔で僕を見つめている光景が見渡せた。


 まるで、車と衝突したのにも関わらず、僕が無事な様子に驚いているような、そんな気がした。



「…僕が?」



 僕は自分の体を見つめてみる。

 体に痛みは全くないのだが、着ていた制服には破けている箇所があり、僕の無傷の素肌が覗ける。



「僕は…車に…轢かれた?」



 目の前の潰れた車、周囲の人々の反応、僕の破れた制服

 僕が車に轢かれてまったく無事であったとそれらの光景が告げていた。



「やっぱり!どこか痛みますか!?」



 僕の戸惑う思考を、女性の声がハッキリとさせる。



「っ!?」

「意識は!!この指は何本に見えますか!?」


「…え、えっと」



 目の前の女性は僕を観察するように眺める。



「血は…どこからも出ていませんね…骨も…折れている様子はなさそう…」



 目の前の綺麗な女子生徒は、白い制服を着ていた。

 有名な進学校の生徒だろう。


 そんな彼女は、怪訝そうにしているが、車に轢かれても無事な僕に対して驚きは少ない様子だ。

 彼女のその反応に、僕は頭の片隅で違和感を覚えていた。


 その証拠とも言うべきか、周囲には騒めきがあるのだから。



「車に轢かれたのになんで無事なんだ?」

「当たりどころが良かったのか?」

「世界何ちゃらでもあったよな、そういう珍事件」


「おい!こっちの人を助けるぞ!」

「手を貸してくれ!!」



 ざわざわとしていた周囲の人々は、前面が潰れた車から運転手を外へ出そうと協力を始めていた。

 遠くからはサイレンの音が鳴り響き、誰かが救急車を呼んでくれたのだろう。



「貴方は座っていてください!!」

「え?」


「そうだぜ!どっか怪我してるかもしんねぇ!」

「休んでろ!すぐに救急車が来るから!」



 "救急車"という単語に、僕は嫌な予感がした。

 僕の今の体は明らかにおかしい。

 そんな僕が医療機関に連れて行かれれば、どんな目に合わされるか分からない。



「…っ!!」

「あ!待ちなさい!」


「お、おい!!どこに行くんだ!!」


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