第10話

 俺達は道具屋で不要な物を売却し、果実屋で果実を交換すると家に帰ることにした。


 アリスは顎に指を当て、ずっと黙って歩いている。

 何か考えているのだろうか?

 少し心配になる。


 アリスは家の目の前で、急に立ち止まった。


「どうした?」


 俺も立ち止まり、アリスの横から話しかける。


「ずっと考えてみたけど、なかなか良い案が浮かばなくて……」

「何を考えていたの?」


 アリスは向き合うように俺の方に体を向けると、ビシッと右手の人差し指で指をさす。


「あなたの今の姿よ」

「え? 服なら着ているじゃないか?」


 アリスがガクッと項垂れる。


「はぁー……」


 溜め息をつくと、首を上げた。

 叱るかのように、左手を腰にあて、ビシッビシッと、右手の人指し指で、俺を指してくる。


「違う、そうじゃない。あなたの今の姿。肩に乗っていた頃の姿じゃないでしょ」

「あ……そういう事か」

「まったく……」


 アリスは右手を下ろし、腰に手を当てた。

 自分の姿が大きくなった事を忘れていた訳ではないけど、アリスにそう言われて、何を言いたいのか気付く。


 確かにこのまま家に入るのはマズイ。

 不思議な洞窟に行くわけでもないのに、魔物を進化させるなんて有り得ないし、進化の結晶は、冒険者にとって、喉から手が出るほど欲しい代物。


 普通に働いていては、買えない程の値段で売られている物だ。

 間違いなく、不審に思われる。


 そりゃ、悩むわ。

 はてさて、どうしたものか……。


「とりあえず怒られるのを覚悟で、説明に行ってくるわ。あなたはここで待っていて」


 アリスは不安な顔を浮かべながらもそう言って、家の方へとゆっくり歩いて行った。


 足取り重く進んでいくアリスの背中を見ていると、一緒に付いていってあげたいが、俺が居ると、ややこしくなる場合もある。

 ここはグッと我慢だな。


 最悪、家を追い出される事もあるかもしれない。


 アリスは確か14歳と言っていた。

 大人でもないが、小さい子供でもない。


 家を追い出させても、洞窟の稼ぎさえあれば、やっていけるだろう。

 大丈夫、俺が付いているよ。


 数分して、アリスが玄関から出てくる。

 表情は複雑で、どうだったのか分からない。


 少なくとも嬉しそうではないので、良い方にはいかなかったのかもしれない。


 アリスが近づいてきて、俺の前に向き合うように立ち止まる。


 彼女の頬には涙の跡が残っていた。

 やはり、そういう事になったか。


「コリン、お父さんが呼んでる」


 俺は安心させたくてアリスの肩に手を乗せた。


「分かった。一緒に行こう」

「うぅん」


 アリスはなぜか首を横に振る。


「あなた一人で来て欲しいって」

「え?」


 思わぬ回答に思考が一瞬、止まる。


「何で?」

「分からない。でも話がしたいって」


 俺は無言で固まってしまう。


「行ってあげて」


 アリスは追い討ちを掛けるようにそう言った。


「――分かった」


 行きたくないが、行かない訳にはいかず、アリスの家の方へと歩き出す。

 俺に何を話そうって言うんだ?


『まさか俺の娘をたぶらかせやがって!』と、殴られるのか?


 そうか、そういう事か。

 たぶらかせた訳ではないが、まぁ、それで解決するなら仕方ない。


 玄関のドアノブを握るが、緊張してなかなか開くことが出来ない。

 殴られるぐらい大したことじゃないが、変な汗出て来ていた。


 意を決して、ドアを勢いよく開ける。

 そこには仁王立ちして、険しい表情を浮かべたアリスの父が立っていた。

 なぜこの人は痩せ細った体で、ここまで威圧感を出せるのだろうか?

 戦いとは違う緊張が走る。


「こ、こんにちは」


 第一声が何も思い浮かべず、挨拶をしてしまった。


「コリンで間違いないな?」

「はい」

「とりあえずドアを閉め、中に入ってくれ」

「あ、はい」


 怒ってはいない?

 とりあえず直ぐに殴られる事は無く、ホッとする。

 俺はドアを閉めると、アリスの父の前に向かい合うように立った。


「大丈夫、そんな顔をするな」

「え?」

「知っていたよ。お前たち、不思議な洞窟に行っていたのだろ?」


 知っていた?

 じゃあなぜ、今まで黙っていたのだろうか?

 正直に答えて良いのか迷ってしまうけど、知っていると言うのだから。


「――はい」

「ちょっと、奥の部屋に来てくれるか?」


 奥の部屋?

 確かアリスのお母さんが眠っている部屋で、家族以外立ち入り禁止じゃ……。


「良いんですか?」

「あぁ、来てくれとお願いをしているんだ」

「分かりました」


 俺とアリスの父は奥の部屋へと向かう。

 家族以外立ち入り禁止の部屋に入れて貰える。

 不謹慎ではあるが、認められたようで嬉しかった。


 奥の部屋を入ると、白いカーテンが閉まった薄暗い部屋で、青白く痩せ細った女性がベッドで寝ていた。

 その女性はアリスにソックリで、綺麗な女性だった。


 アリスの父は悲しげな表情で女性に近づき、見つめる。

 俺はその横に立った。


「まず君に謝っておかなきゃいけない事がある」


 アリスの父はそう言って、俺の方を向く。

 俺も向かい合うようにアリスの父の方を向いた。

 アリスの父は、深々と頭を下げる。


「あの時、君を最弱と言って済まなかった」

「えっ?」


 思わぬ言葉に、驚きが隠せず声が漏れてしまう。

 まさか、あの時の事をずっと気にしていたのか?


「いえ、とんでもないです。俺はまだまだ未熟者、どうか頭を上げてください」


 アリスの父は、まだスッキリしていない様子で、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、頭を上げる。


「ありがとう」


 暗い面持ちのまま、お礼を言うと、また女性の方へと体を向けた。


「君たちのおかげで、妻もこうして生き長らえている。感謝しているよ」


 アリスの父は近くにあった丸い背もたれのない椅子に座ると、アリスの母の手をギュっと握った。


「私はアリスの父親。本当なら分かった所で止めるべき存在。だが精一杯、働いていても家はこの通り貧しいまま。君達にすがって、こうして妻の手を握り、無事に帰ってくることを祈るしか出来なかったのだ。本当……情けない父親だよ」


 か細くそう言ったアリスの父の目に光る物が見える。

 娘を心配しない親なんていない。

 つまりそういう事。


 アリスの父親は、俺を傷つけたくて最弱なんて言ったのではない。


 そう言葉にすることで、娘を危険から遠ざけたかったのだと分かる。


 そんな気持ちを抱えながらも、自分の妻を助けるためには頼るしかないなんて、辛かっただろうな。


 アリスの父が目の涙を指で拭い、スッと立ち上がると、俺の方を向く。


 真剣な目差しで俺を見つめ「まだアリスには言ってない事があるんだ」


「言ってないこと? 何ですか?」

「実は――アリスは妻がこのまま薬を摂取し続けても、完治しない事は知っているのだが、あと数日しか持たない事は知らないんだ」

「え……何だって……」


 アリスの父は気まずそうに俺から視線を逸らす。


「すまない。妻の寿命が短いことを教えて止めようとは思ったが、あいつの性格だ。止まる所か、きっと無茶をする。だから言い出すことが出来なかった」


 その気持ち、何となく分かる。俺もそう思う。


「なぜ君に伝えたかというと、私はもう妻の死を覚悟している。だから――」


 アリスの父は真剣な目で俺を見つめ、痩せ細った両手で、ギュッと力強く握った。


「身勝手なお願いですが、どうか……どうか娘をお願いします」


 長く寄り添ってきた愛する人が、この世から居なくなるなんて、そう簡単に割り切れるものではない。


 きっと心の何処かで、妻も救いたいと願っているはず。


 それでも娘をと言ったのは、最悪、両方を失ってしまうかもしれない状況下の中で、悩みに悩んだ苦渋の決断に違いない。


 出来る事なら両方、救ってあげたい……。

 俺はアリスの父を安心させたくて、大きく頷く。


「分かりました!」

「ありがとうございます」

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