第2話

 少女はボロボロになった丸太小屋の玄関で立ち止まる。


 ここが少女の家なのかな?

 少女は暗い面持ちでドアノブに手をかけ、押して入った。


 中は殺風景で、これで本当に生活しているのか?

 と、疑問に思うほど、物が無かった。


「ただいま」


 ん? 何で?

 たまたまだろうか? なぜか少女が発した言葉を理解できた。


 奥の部屋から痩せ細った男が、こちらへ近づいてくる。


「お父さん……」

「アリス。こんな時間まで何をやっていた?」


 たまたまでは無かった。

 僕は人間の言葉を理解できるようになっていた。


 男は威圧感のある言い方で、少女に尋ねる。

 へぇ……この少女の名前はアリスって言うんだ。

 さっきアリスが、この男の人をお父さんって言っていたから、この人が父親か。


 それにしても不思議だ。

 何で行き成り言葉が分かるようになったんだ?

 もしかして、あの果実のせい?


「えっと――」


 アリスは言葉を詰まらせ、俯く。

 その様子から、アリスは父親に黙って洞窟に行ったのだと察した。


「ん? お前の肩に乗っているの。シールドキャットじゃないか……まさか、そいつがお前のパートナーか?」


「うん、そう」

「何てことだ……まさか、そのまま不思議な洞窟に行ってないだろうな?」


 父親は血の気が引いたような顔でそう言って、アリスの白いワンピースを見ている。


「うん、行ってないよ」

「じゃあ、その服の汚れは何だ?」


 アリスの服は倒れた時に汚れたみたいで、土が所々に付いていた。


「これは……ちょっと転んじゃって」


 父親はアリスの右腕を指差す。


「じゃあ、そのアザは何だ?」

「――さぁ? 転んだ時についたのかな?」


 父親の顔がみるみる強張っていく。


「嘘を付くなッ! お前が連れているシールドキャットは、召喚して与えられる魔物の中で最弱と呼ばれている魔物なんだ!」


「そんなのを連れて、洞窟に潜るなんて、死にに行くようなもの何だぞ!? もう二度と、あそこには行くなッ!」


 え……何だって? 僕が最弱?

 自分でも弱いとは思っていたけど、人間達にそんな風に思われていたなんて……。


 召喚された魔物にとって、パートナーを守る力がないと言われる事は、酷く傷つくこと。

 ショックのあまり、この場に居ることさえ嫌になる。


 こんな事なら……こんな事なら、言葉が分かるようになりたくなかった!


 僕はアリスの肩から下りると、アリスが半開きにしていた玄関から、外へ飛び出した。


 外はすっかり暗くなり、月明かりが夜道を照らしていた。


 そのまま、あてもなく夜道をひた走る。

 ――気付いたら、村の真ん中にある大きな木の前まで走っていた。


 少し疲れた……木の下で休もう。

 木の下に座ると、星空を見上げる。


 アリスは、僕が最弱の魔物だって知っていたのかな?

 ――きっと知っていたんだろうな。

 だから家に帰らずに、ナイフだけ持って、洞窟に向かったんだ。


 きっと、あの父親に出来るって事を証明したかったんだろうな……。

 でも結果は惨敗だった――。


 はぁ……何も考えずに出て来てしまったけど、これからどうしよう?

 召喚された魔物が帰る場所は、パートナーの家しかない。


 だからといって、今さら帰る気分にはなれない。

 それに――きっとアリスの為にも、僕なんて帰らない方が良いに決まっている。


「コリーン。コリーン」


 アリスの声が聞こえてくる。

 近くにいる! 隠れなきゃ。

 僕は急いで木の上に登った。


「コリーン」


 アリスがランタンを片手に持ち、木の下に来て、名前を叫んでいる。

 コリーンって誰? ――もしかして僕の名前?


 少し様子を見る。

 アリスは涙を浮かべながら、キョロキョロと辺りを見渡していた。


 もし探しているのが僕だったら……そう思うと胸が締め付けられる。


 僕なんて役に立てないのに、何で君はそんなに真剣に僕を探しているの?


 今日、会ったばかりなのに、離れたくない気持ちが、胸いっぱいに広がっていく。


 アリスが木の下から離れ始める。


 あ……行かないで!

 僕は慌ててスルリと木を下りた。


『アリス!』


 アリスは僕の声に気がつき、後ろを振り向く。


「コリン!」


 アリスはランタンを地面に置くと、涙を浮かべながらも満面な笑みで、僕を抱き上げ、ギュッと包み込んでくれた。


 アリスの温かいぬくもりが伝わってくる。

 まるでお母さんに寄り添って、寝ているみたいだ。


「探したんだよ」

『ごめんなさい』


 僕は直ぐに謝るが、アリスに反応がない?

 もしかして僕は言葉が分かるようになったけど、アリスは僕の言葉が分からない?


「――でも、出て来てくれたから許してあげる」


 アリスはそう言って、涙を指で拭うと僕を地面に下ろした。

 しゃがみこむと、僕を見つめる。


「コリン。もしかして人間の言葉、分かるようになったの?」

『うん』


 僕は答えるが、アリスは眉をひそめて、困ったような表情をしている。


「ごめん。あなたの言葉、まだ分からないみたい」


 やっぱり、僕の言葉は通じないのか……。


「じゃあ、もし私の言葉が分かるなら、クルッと回って見せて」


 アリスの言うとおり、クルッと回ってみせる。

 アリスは嬉しそうな笑顔をみせ、パチパチと拍手を始めた。


「わぁー……凄い凄い。知恵の果実の効果は本当だったんだね」


 知恵の果実?

 あの緑の果実の事かな?


「言葉が分からないのは残念だけど、私の言葉が通じているってだけでも嬉しいな。ねぇ、コリン。少しさっきの話をしない? あなたと私はパートナー、わだかまりがあるままにしておきたくないの」


 僕は黙って頷く。


「じゃあ、座って話そうか」


 僕達は木の下に移動して、隣同士で座った。


「お父さんが言った事で、あなたが傷ついたのなら、ごめんなさい」


 アリスはそう言って、ペコリと頭を下げた。

 その先の言葉に迷っているのか、それからしばらく沈黙が続く。


「これから先も同じような事を、どこかで誰かに言われることがあるだろうから、ハッキリ言っておくね。確かにシールドキャットは私たち人の間で最弱って呼ばれている。だけど――」


 アリスは僕の方を向くと、ソッと頭の黒い毛を撫で始めた。


「それはあなたの事じゃない。シールドキャットを強く育てられなかった人が負け惜しみで言っているだけだと思うの」


 アリスはソッと僕を抱き上げ、両手に乗せると、ジッと真剣な目で見つめる。


「大丈夫、弱いなんて誰にも言わせない。私が大切にあなたを育てるから」


 アリスはニコッと、どこか安心できる笑顔を見せた。

 その笑顔が僕の胸を熱くする。


 この子なら、本当に大切に育ててくれそうだ。

 純粋にそう思った。


「まぁ、でも。あなたが嫌だって言うなら、強制はしない。一緒に暮らそう」

『嫌なんかじゃない……嫌なものか!』


 アリスは首を傾げる。

 そうだ。言葉が通じないんだった。

 僕は大きく首を横に振る。


「嫌じゃないって事?」


 僕は黙って頷いた。


「ありがとう、助かる」


 アリスはそう言って、僕を地面に下ろした。


「実は不思議な洞窟に潜れなかったら、どうしようかと思っていたの」


「私のお母さん、病気でね。薬がないと生きていけないんだけど、お金が凄くいるの」


「家は元々、裕福では無かったから苦しくて、最近では薬の代金さえ払えるか、分からなくなってきちゃって……」


 アリスは事情を話しながら、涙をポロポロと零し始める。


「そこで不思議な洞窟に行って、貴重な品を売れば直ぐに稼げるから、出来ればそれで稼ぎたいと思っていたの」


「それに最深部に辿り着けば、何でも願いが叶うって噂もあって、挑戦して、お母さんの病気を完治させたかったのよ」


 無防備で不思議な洞窟に行くぐらいだ。

 何か理由があるとは思っていたけど、そういう事だったんだね。

 アリスは涙を拭う。


「でもこれは私の勝手な願い。あなたにとっては何のメリットもない事……だから、もう一度聞くね。それでも私と一緒に不思議な洞窟に行ってくれる?」


 弱いと分かっていて、僕を見限る事無く真剣に探してくれた優しい君を、僕は見離す事はしたくない。

 元々、君を守るために召喚されたんだ。


 “今は最弱と呼ばれている僕だけど、そんな奴らを見返すほど強くなって、君の願いを叶えてあげたい”


 僕はその想いを心に深く刻み、黙って頷いた。

 その意味が分かった彼女は明るい笑顔を見せた。

 僕を抱き上げ、透き通ったような白い頬を寄せてくる。

 ちょっと照れ臭い。

 でも……嫌いじゃない。


「ありがとう! 頑張ろうね」

『うん、頑張ろうね』

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