第4話 去りし日の薔薇将軍 2005年

 白のセーラー服、水色の外套、小柄な女性が腰に片手を当てて斜め上を指さし声を上げる。


「ローズランドよ、あたしは帰って来た!」


 観光地で調子に乗って怒られるタイプだろう。その姿を黒い髭を生やし、すらりとした体型の男が微笑みながら見つめている。


 四十後半の紳士、部分甲冑に長剣を提げている姿勢は性格も真っすぐだと言うことを表しているかのようだ。


 ナイスミドルとは彼のことだろう。きっと少女の保護者に違いない。


「あれっ、シオンはどこいったのかしら?」


 キョロキョロとあたりを探すが姿は見えない。ここはマーブル港、着いたばかりの桟橋から船を見る。女性は近視の為か目を細めた。


「あ、あそこに。ほら甲板の後ろ側ですよ」


 お髭さんの指摘で視線を移す。すると船員と誰かが揉めているではないか。微かにだが声が風に乗って届く。様子を伺っているだけで概ね内容の予測も出来たが。


「いや、だから俺達は三人組なんすよ! ほら、あそこでこっち見てるおっさんと白セーラーのだって!」


 声を大きくして二人を指さしている。


「おーおー騒いどる、しょーもないやっちゃ。おしおさん、ちょっと引き取りに行ってくるわね!」


「はい、お待ちしています」


 笑顔で少女を送り出す。すぐに二人で戻って来るだろう、彼の常識的な見通しは海に流されてしまったようだ。ゆっくりと歩いて近づく彼女に若い男が駆け寄ろうとする。


「ちょっ、姐さん置いてくとかないっすよ!」


 若く見えるが二十代の後半あたり、逃げられないように船員に押さえつけられて喚いている。


「なぁに捕まってるのよ、ばーかばーか」


 引き取りに行くと言っていたはずなのに、どうしてか挑発をしてしまう。精神構造が不安定なのだきっと。


「お嬢ちゃん、こいつと知り合いかい? 乗船券も金も持ってないんだ」


 支払いが無いなら下船はさせない。タダ乗りを許さない、道理にかなっている。


「あー、どうだったかなぁ。思い出せそうで思い出せないなぁ」


 あまりにわざとらしい素振りに船員は苛立ち、シオンは泣いた。おしおは遠くから苦笑いし、彼女はにやにやしている。


「ってかマジ無いっすよそれ! ぶっちゃけあり得ないっす!」


「んーどうしよっかなー。荷物重いしー」


「俺が持つっす、持たせてください!」


 船員が次第に呆れ顔になっていくのが解る。早く茶番劇が終わることを祈っているだろう。


「夜番とかぁ」


「全部俺がやるんで勘弁してください!」


「えーと……」


 流石にため息をついておしおがやって来た。これ以上は笑い事では済まされない限界ラインが来たと。


「申し訳ありません、私の連れでして。チケットはこちらに」


 際に立ってほほ笑むおしおに見つめられ、彼女はポケットからチケットを取り出す。それを受け取った彼はタラップを登っていき、船員に手渡した。


 ようやく拘束を解くと、シオンはそそくさと船から逃げるように降りる。


「お、わりぃなおっさん」


「いいえ、どういたしまして」


 船員に特に丁寧に謝り、二度とこのような真似はさせないと頭を下げて約束する。チケットさえあるならそれでよい。騒ぐことをせずに溜飲を下げた。彼らは大人だ。


 桟橋にまで二人が降りて来ると、彼女はシオンが隙を見せた瞬間に「えいっ」と押した。


「えっ、ちょ!」


 サッパーン。見事に海へと転落する。バランスを崩した時に堪えきれないと人は理解できるものだ、顔が青くなっているのがよく見えた。


 一方で押した彼女は睨み付けていた。肩を頑張って怒らせて、甲高い声で叱りつける。


「こらシオン、おしおさんをおっさんって呼ばないの! 海に沈めるわよ!」


「もう半ば沈んでるんすけど!」


 やれやれと二人を見ているダンディーが、港の警備隊をちらりと流し見る。どうかしたのだろうか、張り詰めた空気が漂っている。やけに速足であちこちを警らしている。


「フラウさん、大分ものものしい雰囲気です」


「そうね。まるで戦争が始まる前みたいね」


 さらっとこともなげに答える。嵐の前の静けさとは正反対だ。濡れ鼠にあったシオンが肩で息をしながら這い上がって来た。両手両膝をついているシオンの前にしゃがんで彼女は言った。


「ねぇシオン、知っているかしら?」


 顔を覗き込んでくる彼女、顔立ちは整っている。どちらかというといえば美人よりは可愛らしいと評した方がしっくりとくる。


「な、なんすか姐さん」


 恐る恐る応える。視線が顔からすーっと下に下がっていき、スカートのあたりに流れていった。


「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすんですって」


 にこにこしながら不吉な言葉をお吐きになる。顔を引きつらせながらシオンはゆっくりと口を開く。


「じゃあまずは子作りを一緒に――」


 ザッパーン。重力以上の何かを更に上乗せされて海中へと沈められる。


 この際、答えがなんであろうと突き落とされるのは決定していた。ならばせめて目の保養に走った彼はどう思ったか。


「どうしますフラウさん。宿を探しに行きますか?」


「先に状況を把握するべきかしらね、でも……」


 旅の初心者ならばまず拠点になる宿を確保する。当然の流れであり、百人いたら百人が考える。


「でも?」


「まずは食事でもしてゆっくりしましょ」


 慣れた旅人は心に余裕がある。キワモノともいえるかも知れない。


「ではそう致しましょう。シオン君、体を拭きなさい」


 陸に上がって来た彼に手拭いを差し出してやる。


「よ、鎧をつけたまま海って、大抵死ぬっすよ?」


 お約束で頭に海藻をつけてきたシオンに拍手する。


「頭が空っぽだから浮いたのね、良かったじゃない」


 背中に短い槍を括ってあり、腰にはノーマルソード、戦いの経験があるのだけはみて解る。おしおがやりとりを他所に、商業施設が並んでいる場所を遠くに見つけた。


 船着き場は広くスペースがとられていいて、近場は倉庫が多い。その他の施設は離れた場所に置かれることが殆ど。


「へいへい。そういやここって?」


「マーブル市です。以前はハイランド王国の都市でしたが」


 ちらほら見かける緑色の国旗、変わらずに王国の所属のようだ。


「おしおさんの出身地ね、ご両親にもご挨拶しなきゃ!」


 もじもじしてどう言おうか等と考えている、らしい。


「残念ながら他界して久しいです。妻子は達者のようで、便りが届いていました」


 挨拶の件をさらりとかわす。大人の会話術が光る、不適切な関係ではない。


「ね、折角きたから自宅に寄りましょうよ」


 だがおしおはフラウの言葉に小さく笑うだけで返事をしなかった。随分と昔に何かあったのは知っているが、詳しいことまでは聞いていない。聞けば隠すことはしないだろうけれど、尋ねてはいけないような気がしていた。


「うおっ、姐さんあれ!」


「なになに!」


 見ると人が集まっている場所の真ん中で、喧嘩が始まりそうな雰囲気があった。喜び勇んで二人は駆け出し野次馬の輪に加わる。


「おしおさんも早く!」


「はい、承知致しました」


 彼は走ることなく輪に近づいていく。港町だ、荒事のいざこざが無いわけがない。少しあたりをあるけばいくらでもお目にかかることが出来る。やるなというのが無理な相談と言える。


 小柄なことを生かして、フラウが最前列に躍り出る。これも娯楽の一つとして考えて、良いやら悪いやら。水夫同士が睨みあっている。双方三人ずつで、合計六人。


 白のセーラーズと濃紺のそれだ。セーラーとは水夫や水兵のことなので間違ってはいけない。


「五番桟橋はうちの海鳥号の専用だ、何勝手に使ってやがる!」


「ああっ? いつから俺様気取りだテメェ! 空いてる場所使って何が悪いんだよ!」


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