第2話 魔女の白兵戦
「うろたえるな!」
ヴィゼが声を張り上げる、先陣が壊滅しただけで圧倒的な優位は変わってなど居ない。正気を取り戻すと盾を構えて戦列をきっちりと保つ。
「魔法なんて無くてもこのザマよ。思い知らせてやるわ、誰一人生かして帰さない!」
緩い浜風しか吹かないような場所だと言うのに、今日は妙に風が強く巻き上がる。栗色の髪を揺らしてフラは無防備に兵に歩み寄った。
「み、密集陣形だ! 側背を作るな!」
金属がぶつかり合う音が響く。真四角の大楯を並べて両端を繋ぎ合わせると丸い壁が出来上がった。完全無敵の鉄壁防御、歩兵はもとより騎兵であってもこれを崩すことなど出来ない。
「ふん、無駄よ。でも諦めることを許さないわ、抗いなさい!」
ふわりと浮き上がると空中を蹴って盾壁を飛び越える。鋭角で方向を変えると、男達の中へと真上から飛び込む。肩を寄せ合う者のど真ん中で身体を駒のよう一回転させた、刃が届く範囲の全てが真っ二つになり、陣形にぽっかりと穴が開いた。
「ええい、槍を捨てて剣で打て!」
ヴィゼが近接戦に切り替える、これこそが無敵の兵団指揮官だ。瞬間で最善の指揮を行った。
近接攻撃、一斉に切り掛かる。フラがアイギスの盾を頭上に翳す、すると皆が引き付けられるようにしてそれを打った。剣が折れて飛び、フラは地面を滑るように輪からはじき出された。
「何をしているか、盾ではなく身体を打て!」
牽制するのは構わないが、全員で盾を打つ意味などない。受けきれない斬撃で致命傷を与えるのが戦いの定石。それもあるが、あれだけの打撃を盾で受けてしまえば腕が折れる衝撃があるはずだが、フラははじき出されただけ。
「心が乱れている者はアイギスの盾の誘因に掛かるわ。あなたたちの攻撃は決してあたしに届かない」
ロウソクの炎を見詰めているとぼーっとしてしまうのと同じで、精神が引き付けられてしまう。怖じ気付くにはまだ早い、それぞれが声を出して迫って来る。
「そうよ掛かって来なさい。そして絶望するのよ!」
戦列の乱れを目ざとく見つけたフラは、光の速さで駆け抜ける。その道にはおびただしい血を流して真っ二つに割れた人であったモノが転がった。
「ダジュールの無力な民がそうであったように、為すすべなく力の差に押しつぶされて死になさい。抵抗しない者は苦しめてから殺すわ」
後頭部を後ろへやって顎をあげ、見下すような視線で威圧した。見た者の背筋が凍る。
「おのれ! あれを使え!」
ヴィゼが鋭く命じると、数人の兵が腰につけていた何かを手にする。それを一斉に投擲したが、フラに直撃させるような軌道では無かった。
だが、まばゆい光があたり一帯を激しく照らした。明滅を細かく繰り返していたようで、事前に目を閉じていなければ一時的に視力を喪失してしまう。マジックアイテムと呼ばれる、効果を封じ込めた極めて希少な品。
「目つぶし。ふふ、ゾクゾクするわね」
真っ赤な瞳を閉じて盲目状態を回復させようとする、見てしまったものは仕方ない。魔女と言えども落ち度はある。それと知っていて気づけなかった兵も数人いた、それらは仕方がなくしゃがみ込んで邪魔にならないようにした。
「ふはははは! 目を奪われるとは愚かな。遠慮は要らんヤれ!」
卑怯も何もあったものではない、命の奪い合いにルールなど存在しない。やるかやられるかは常に紙一重だ。
棒立ちしているフラに重装歩兵の剣の切っ先が向けられる。圧倒的優位になり、最早アイギスの盾の誘因に引っ掛かる者は居ないだろう。
十二人の小隊が、頭に、腹に、腿に、胸に、同時に剣を突き出す。アキレウスの鎧は伝説の防具ではあるが、これだけの攻撃を防ぐことは出来ない。
グラムルージュを足元に突き立てると、真っ赤な剣が火を噴いて砂が派手に舞い散った。
フラはその場で大きく跳躍すると、迫る切っ先を剣で打ち払い空中を蹴って囲いの外に立つ。目を閉じたままの動きにしてはあまりに解せない。
「惜しかったわね」
目は閉じられている、確かに目くらましの効果はあった。キラキラと輝く砂、何故かずっとそこらに舞ったままはおかしいと多くが気づく。そこまで解れば答えはすぐそこだ。
「くそっ、音か!」
微粒子がぶつかる極めて小さな音、それを頼りに周囲の動きを把握していたとすると、かなりの集中力だと認めざるを得ない。仮に解ったからと真似できるかどうかは別だ、砂にぶつからずに動くのもまた無理だろう。
「半端者がようやく答えに辿り着いたのね。安心して、指揮官はまだ殺さないわ。兵が全滅するまで恐怖して、無力さを痛感させてあげる」
重装歩兵の手が止まる。動くに動けないのだ。化け物を相手にしているというのが理解出来たのか、急速にその勇気がしぼんでいった。後列にいるはずなのに肩で息をするほどの緊張をしている者が幾人も居る。
それでも包囲はし続けている。フラを中央に置いて、鉄の盾が並べられている。だが熱気のせいか様子がおかしい、兵は頭がぼんやりとして来るような感覚に襲われた。
激しい運動、過大な緊張、圧力に晒されて疲労感が激しく襲い掛かってくるような感覚。
「……何かの術式か? 総員第三戦闘隊形に変更!」
異常を察知したヴィゼが鋭く命令すると、左右の間隔をあけて分散、二列縦隊を幾つも作った。動くことでもうろうとする意識が次第にはっきりしてきた兵が多い。
「酸欠を待つほど愚かではないわけね。そうよ、もっともっと抵抗しなさい」
最低限の犠牲を認め、部隊全体を活かす策。犠牲者に選ばれた最前列はたまったものではないが、勝利するためには必要な指揮だ。無論、犠牲を求められても黙ってやられるわけにはいかない。
盾を捨てると剣を両手持ちにして切り掛かる。フラはようやく少しずつ視力を取り戻してきた。二列縦隊、二対一ならば不意打ちをされようとも後れを取ることなど無い。戦いとは博打ではなく、経験の積み重ねのぶつかり合いで、総合結果が順当に現実になっていく。
「失い続ける気持ちはどうかしら。あなたの部下が次々と死んでいくわよ」
器械的に二人ずつを惨殺しながら、口元に笑みを浮かべて一歩一歩前進してゆく。真っ赤な返り血を浴びて、装備の元の色など最早判別もつかない。
気合いを入れて切り掛かる者、泣きながら足を進める者、ゆっくりと慎重に迫る者、皆が公平に命を散らしていった。まさに地獄のような光景とはこれだろう。
「これほどの強者が何故ダジュールなどに肩入れする! その腕ならばディール帝国の大将軍にすらなれるだろうに!」
まさか単身の魔女に白兵戦でこうも劣勢になるなど考えもしなかった。兵の後ろでヴィゼが難しい表情になり歯噛みする。
ディール帝国とは大山脈の先にある強大な国、いわゆる覇権国家だ。幾つもの国を従え、隆盛を極めている。その帝国の大将軍ともなれば、従属国の王よりも上の存在といえる。
「言ったでしょう、大切な人が居たからって。それしかもうあたしには残されていなかったのよ、それなのに!」
グラムルージュの刀身から炎の嵐が渦巻いた。あたりが灼熱地獄へと化す。熱でのたうち回る兵が海へ逃げ込もうとしたが、海水が沸騰してしまい大火傷の末に絶命する。このままでは全滅する、ヴィゼは禁制を解いて冷気魔法でこれを緊急回避的に中和させた。
オステルユークの精鋭部隊の指揮官だけあって、全ての判断が最善をなぞるかのようにきている。だが事態は全く好転しない。
「ええいこの人外め! こうなれば同士討ちもやむなし、一斉攻撃に移るぞ!」
全ての禁制を解き、魔法使いも動員、マジックアイテムの用意をさせる。飛び道具も取り出し、過剰な攻撃のために全力を注ぐ。
「いいわ来なさい。パージ!」装備品の殆どが解除されて、白の短衣と水色の外套だけが残される。インスタント・リリースとの違いは好きな装備を残して外せること。腰につけていた銀のアセイミーナイフだけを左手に持つ「手向けになるだなんて思ってないけれども、せめてものあたしの報いよ。奴らには相応の代価を払わせるわ!」
魔法兵の詠唱が終わるのをじっと待つ。死の宣告まであとわずか。
「いかに貴様が強かろうと、これほどの攻撃には耐えられまい。安心しろ、亡骸はダジュールに埋めてやる、骨が残ればな」
その場の全てがたった一人に意識を集中させる。吹けば飛んでしまいそうな少女を倒す為だけに、精兵の重装歩兵と野戦魔術師が全力で。
「やれ!」
最早グラムルージュは手にしていないが、それでも炎を無効化されまいと雷が放たれた。他にも時間感覚を狂わせる神経の攪乱や、阻害系の罠魔法を遅れて連動させる。仲間を巻き込むことを許容したので、斬り込み部隊の被害を無視する。
爆裂系のマジックアイテムや、毒針や酸性の液体までもがまき散らされる。連携の腕前は悪くない、呼吸二つの間にその殆どが詰め込まれた。魔法で対抗出来たとしても一つだけ、物理を含めれば或いは二つを処理できるかもしれない。
「ヘムシリカム・ブウワーク/FCマーブル=ペアニナイレーション=ディフレクション、風よ!」
フラを囲むように小さな球体が出来上がる、細やかな毒針や酸性液体が球体の外郭で防がれた。空間が歪んで魔法攻撃を乱反射すると雷や精神攻撃があらぬ方向へ飛んでいき重装歩兵が発狂した、武器持った直接攻撃は巻き上がる鋭い風が邪魔をして近づくことすら出来ずに終わる。
一瞬で三種類の魔法を構成、癒着して、一つには多重拡張すらしてのけた。詠唱省略、多重拡張、同時詠唱、連続起動。いずれか一つを習得しているだけで大魔法使いと呼ばれるような神業で、現代世界から失われている技術だ。
栗色の髪が揺れた。傷一つ負うことなく、必死の攻めをこうも鮮やかに跳ねのけてしまう。辺りには心身に被害を受けた兵が転がっている。
「そ、そんな馬鹿な!」
ヴィゼが叫ぶ。短時間に何度驚いたか最早わからない。専門家である野戦魔術師が全身を震わせて、手も足も出ない存在だと恐怖する。高位の魔法使いになれば無意識に障壁をまとうようになる、ここまで自在ならば間違いなくそうなのだろう。
「なによそれだけなの? ガッカリさせないで欲しいわ。ほら耐えてみなさい、ジニアグリメント・紫電乱舞」
魔法の詠唱ではない何か。空間から紫色の犬のような姿が無数産み出された。それらがあたり構わずに走り回る。バチバチと空気を弾けさせて兵の間を疾走する。少しでも触れたものは全身を痙攣させてその場に倒れてしまう。そして心臓が麻痺して痙攣すらしなくなった。
「ほら、全滅。指揮官一人だけ生き残ってどうするのよ、あなた無能ね」
冷たい視線をヴィゼに送る。まるで道端の石ころを見ているように無感情に。
一方でヴィゼは口をパクパクさせて言葉もない。涙を流し、腰を抜かしたまま失禁する。中年と呼ばれるような年齢になり、社会的な地位も名誉も持ち合わせている兵団指揮官がだ。恐怖で歪む表情は何を見詰めているのだろうか。
「心が壊れたようね。でも許さないわ」
転がる死体を避けてゆっくりと歩み寄る。小刻みに震えているヴィゼのすぐ隣まで来ると、儀式用のアセイミーナイフを左手で軽く薙いだ。喉がぱっくりと割れて、鮮血が飛び散る。鉄製の鎧を鳴らして最後の一人が命を刈り取られた。
「一人も生かしておかない。逆恨みだと言われようと、それで誰一人幸せにならずとも、あたしはそうすると決めたわ。地獄では先輩面して良いわよ、そちらに行くのはいつになるかわからないけれどね」
死体が転がる浜辺を背にして立ち去ろうとするフラがふと思い出して半身だけ振り返る。
「あ、そうそう、言い忘れてたけど、私は魔法も使える精霊騎兵よ」
その日、魔女の怒りを買ったオステルユーク王国は歴史上からだけでなく、物理的にも全てを消し去られてしまった。残されたのはかつて王国と呼ばれていた場所にある焦土のみだった。
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