第15話 成分分析
ふと、空いているもう1つのベッド、アウルの手前側に置かれているその寝床の上を見ると、使用済だと思われるバスタオルが、投げ捨てられでもしたかのように広がっていた。
血が混ざっても色がわからなそうな紺色のバスタオルは、アウルが手にしている泊り客用の白いバスタオルとは似ても似つかない。彼等の私物である事は確かだった。
「え、えぇっと、調査に出たという事は、その、外に出たという事ですか?」
「そうだ」
「いつの間に……」
「ついさっきだ。そこの窓から出てったからな。アンタは知らなくても仕方ない。一応言っとくが、窓から出る事は、止めはしたからな」
「ちゃんとアンタに一言言ってけつったのを無視したのはアイツだ」とバディが言いながら、親指をくいっと窓の方へ向けた。「そう、ですか……」とアウルは、呆然と窓の方へ目を向けた。
(色々ツッコミたい……。でも、色々ツッコミた過ぎて、どこからツッコめばいいのか、わからない)
なんにせよ、アウルの行動は彼等にとっては一歩遅かったらしい。がっくり、とアウルの肩が大きく下がる。
と、そんなアウルの様子に、バディは何か思うところがあったらしい。「……まぁ」と、罰が悪そうに、その口を開いた。
「作ったとはいえ、所詮一人分しか用意してねぇからな。脱衣所にでも置いといてくれ。後で俺が使う」
「あ。は、はいっ。わかりました」
ハッとして、アウルはバディの言葉に頷き返した。あわあわと、部屋に設置されている風呂場の方へ向かえば、バディがふぅ、と小さく息をつきながら、銅板の方へ顔を戻す。どうやら、気を遣わせてしまったようだ。
お客に気を遣わせるとは、従業員としてこれいかに、と思わなくもないが、持ってきたタオルが無駄にならなかったのは安堵すべき事だろう。
ホッとしながら、アウルは風呂場内の脱衣スペースに設置している棚の中へ、タオルを仕舞った。
そうして、風呂場を後にする。静かに扉を閉めて、ふとバディの方へ顔を向ける。
先刻同様、ベッドの上で銅板を眺めているバディの姿がアウルの目についた。
(……何をしているんだろう)
思わず、ジッとバディを見やる。
と、バディの方がそれに気付いたらしい。「まだ何か」とぶっきらぼうな口調で訊ねながら、アウルの方へ振り返ってきた。
「あ、その、何をしているのかな、と思いまして……。す、すいませんっ、不躾でしたっ」
自分の視線の失礼さに気づき、アウルは慌ててバディに謝った。
いくら気になったとは言え、無言で相手の、それもお客の行動を眺めるのは失礼以外の何者でもないだろう。一度ならまだしも、二度もやらかすとは……。自分の事ながら、情けなさ過ぎる失態に、アウルは羞恥心から顔が赤くなるのを感じた。
が、バディの方は、そこまで深く気にしていなかったようだ。
「これか」と、再び銅板の方へ目を向けながら言葉を返してきた。
「成分分析をしている」
「せいぶん? ぶんせき??」
「成分分析機を使って、大鴉共の血液や唾液、羽毛から、奴らの体内にあった成分の分析をしてんだよ」
そう言って、バディが自身の目の前に置かれていた箱型の実験器具をコツン、と軽く拳で叩いた。
「あそこにいた奴らの大半は
閉じる時は、
それなのに奴らの下嘴は開きっ放しだった。実際、死体になった後の奴らの嘴部分も確認したが、下嘴の部分の動きが緩かった。
原因は不明だが、なんらかの原因で下嘴を支える筋肉が弛緩していたと推測するのが妥当だろう」
「は、はあ……?」
上嘴、下嘴、翼状骨前引筋、下顎骨下制筋――。次々とバディの口から飛び出てくる専門用語達に、アウルは目を白黒とさせた。
それぞれの用語の意味はいまいちピンと来ないが、要するに、あの大鴉達の嘴の動きがおかしかった、とバディは言いたいらしい。
(そういえば、バディさん。私がジュードさんと話をしている時に、あの化物達の死体の山に手を突っ込んでいたっけ)
大鴉をいじるのはもういいのか、と訊ねたジュードにも、「採れるもんは採った」と返していた筈だ。
そうか、あれって、この成分分析? を行う為に、必要なものを採っていたのか――。今更ながらに、バディの奇行の理由がわかり、アウルは納得した。
「でも、その、えぇっと、どうして筋肉の弛緩? の原因を探るのに、涎や血液が必要なんですか? 筋肉について調べるなら、あの化物達の体そのものを調べた方がよいのでは?」
体、と呼べるだけの何かがあの場に残っていたか、と言われると、甚だ微妙なところではあるが。
だが、筋肉について調べているのに、涎や血液を調べるという発想に至る経緯が、アウルにはよくわからなかった。
そんなアウルの素朴な疑問に、バディが「問題ない」と答えた。
「お前は、あいつらの嘴から出ていた涎を覚えているか」
「涎ですか?」
「あぁ。あの大鴉共は、どいつも口から大量の泡状の唾液を噴出していた」
言われてみれば――、とアウルの頭の中に、あの時の大鴉達の姿が思い浮かんだ。
確かに、どの大鴉も嘴の端から、泡状の白い涎が噴き出ていた。
「唾液というのは通常は、さらさらとした液体だ。だが精神的な不安や己の身に危機が迫った時に限り、唾液の分泌が制御され、ネバネバした泡状のものになる場合がある。そのほかにも、口内の乾燥が原因で泡状になる事もある。だが、あそこまでの量を噴き出す事は滅多にない。
つまりなんらかの、唾液分泌に関わる作用が奴らの身体の中で起こっている事になる。そうなるだけの何か内部的な問題が、奴らの中で起こっていたという事だ」
「それを、成分分析で見つけようとしている、という事ですか」
「そうだ。もし、内部的な問題があるならば、涎そのものや血液などを調べた方が、結果は出やすい。もしかしたら、それが筋肉の弛緩の原因にもなっているかもしれない。あり得ない筋肉の動きと、涎と、と来れば、そこに何かしらの関連性を導き出すのは当然だろう。
……とは言っても、あれだけの量の泡状の涎。普通あんな状態にあれば、もっと苦しむか、死んでいるかの2択の筈なんだがな」
「どうしてあんな状態で、お前を追いかけられたんだ。いや、そもそもまず、なぜあんな状態に至ったのか、そこが謎だ……」ブツブツとバディが顎に手をやりながら続ける。
どうやら、話しながら思考を始めてしまったらしい。
アウルの事などそっちのけ、という風に、ブツブツと何かを呟き続けている。
(バディさんって、凄く博識な方なんだな)
バディの様子を眺めながら、アウルは心の中で呟いた。
博識で研究者肌らしいバディと、化物達を相手に大剣を振り回す戦闘派のジュード。
実に対象的な組み合わせだ。だが、だからこそ、お互いにないものを補っていると思えば、この2人がバディを組んでいる理由も納得がいく気がする。
性格の一致具合はさておき、役割的な面で見れば、これ以上ない程にマッチした組み合わせなのだろう。
「でも、あの化物達の様子がおかしかったからって、それがどうお2人の調査と関わってくるのですか?」
「あまりお仕事には関係のない調査に見えるのですが……」おずおずと、アウルは気になった事を再びバディに尋ねた。
すると、「それはわからん」と、バディがきっぱりと返してきた。
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