Chapter3. 蓮と滝
第14話 実験室
コンコン、とアウルが『3』と書かれたプレートが飾られた部屋の扉を叩くと、しばし間を開けた後「どうぞ」という声が返ってきた。
扉越しのくぐもった返答。だが、ぶっきらぼうな物言いからして、それがバディのものである事は違いなかった。
「失礼します」とアウルも端的に返事をしながら、扉を開ける。
そうして次の瞬間、飛び込んできた目の前の光景に、アウルは瞠目する事となった。
「――へ?」
そこにあったのは、小さな『実験室』だった。
狭い部屋の中、様々な実験器具達が室内に散らばっている。何かの薬品が入っていると思われる蓋付きの茶色い小瓶に始まり、ガラス製のスポイトや赤いメモリーが入ったメスシリンダー、綿棒の入った透明なガラスシャーレに、顕微鏡や何かの機器だということだけが見て取れる謎の大型機器達。
アウルでもわかるものから、わからないものまで、多種多様な実験器具が室内を埋め尽くしている。その様は、正に『実験室』の一言以外表現のしようがない。
(……私、入る部屋、間違えた?)
そんなわけはない、と慌てて首を横に振る。
ノックをした扉には確かに『3』と、アウルがジュードとバディに案内した部屋の番号が刻まれていた。
そもそも、宿屋であるニンファーに、実験室のような部屋など、ある筈がない。
つまり、ここは正真正銘、ジュードとバディが泊まっている部屋だ。
実際、この光景の創造主――だと思われる人物、バディがあぐらをかいているベッドは、この部屋に最初から備えつけられていたベッドだ。ログハウスらしい、木造の壁や床に合わせた、シンプルな作りのベッドだ。色味も白スーツの敷布団に枕、ベージュの掛け布団と、簡素なものになっている。
2人用のツインルームの為、ベッドは室内の壁に2つ並ぶ形で置かれている。入って左の壁に沿う形に置かれ、真向かいにはなんの飾り気もない壁だけがある。飾りらしい飾りは、部屋奥の壁に設置されたお粗末な窓1枚だけである。
バディがあぐらをかいているベットは、そんな窓寄りのベットだった。その目の前には、これまた何かの機器だと思われる銅製の箱が置かれており、底付近からは長いコードが1本伸びている。
アウルが思わずその後を追ってみると、ぐねりと、ベッドの上を蛇のようにうねらせながら、それがバディの手の中に続いている事がわかった。バディの手の中には、見覚えのある銅版が握られており、バディがそれを凝視し続けている。
もちろん、例の奇怪なゴーグルがついたままの、両目で、だ。
(部屋を『模様替え』するお客様は今までにもいらしたけど、この光景は予想外だったかも……)
見たこともない物が転がる室内を思わず凝視しながら、アウルは心の中で呟く。
混沌が堂々と表だって歩く世界だ。ある程度の『模様替え』が行われる事は、正直日常茶飯事である。
なんせ目立つ飾り1つもない、必要最低限のベッドやサイドテーブルがあるだけの質素な部屋なのだ。こんな部屋ではつまらない、と暇を持て余したお客達が、勝手に室内を改造する事はよくあった。
ベッドの位置を変えたり、シーツに飾り気がないのが気にくわないからと、勝手に染色を施され、虹色のベッドを製造された事もあった。部屋が狭いという理由で壁をぶち抜かれた事もあるし、自分の体質と環境があってないからと常夏の浜に変えられたり、味気ないからという理由で天井と床の位置を正反対に入れ替えられた事もあった。
世界が混沌であるのと同様に、カタスヨの園の住人達は基本的に混沌としている。その行動理念も、生き様も、さらには存在そのものまで、全てが混沌で出来ている。
ジュードやバディのように、明らかに『人』だとわかるものもいれば、大鴉のように獣の形態をした異形も存在する。むろん、その逆になんであるかもわからない形状の生物も存在する。
生きているという事がわかる以外、何もわからない生物。
言語は通じるが、会話はできない生物。
そもそも分類できる枠組みが不明な生物。
いや、その前にはたして本当に生物として区分していいのかわからない、得体の知れない何か。
そもそも木や岩すらも意志を持ち、好き勝手に動く事のある世界だ。
はたしてどこからどこまでを『生物』と定義していいかが、曖昧だともいえる。
一説によれば生物というのは、自己複製をする、細胞で構成されている、代謝を行う、といった3条件をクリアしている事が生物足り得る証明だという。とすれば、なぜこの世界では生命のないものに意思があるのか。
植物はまだしも、岩はこれらの条件を何もクリアしていない。しかし意思はある。意思があるという事は自我があるという事だ。
自我があるという事は、それをこなす為の命たりうる何かがあるという事ではないのか。
だがもちろん、そのような哲学めいた事を考える者は、カクリヨの園内には居ない。
基本的に皆、今日を生きれたらよし、という世界だ。自分達やその他の者がどんな生物であれ、己が生きてさえいればそれでよし。
命とそれを活かすだけの実力。それだけあれば、カクリヨの園で生きていくには充分である。
――たとえそれが、世界の混沌にさらなる拍車をかけている原因だったとしても、だ。
(お客様達に悪気がないのはわかっているんだけど、悪気がなければ許されるってお話でもないのよね。なんせ、元に戻すのは
そう心の中で呟きながら、アウルは思い出した数々の『模様替え』の光景にため息をつく。
しかし、そんなアウルでも、バディのような『模様替え』を行った者を見るのは初めてだった。
部屋の中を埋め尽くす専門器具達に、思わずアウルは戸惑いの視線を投げかける。
下手に触れたら逆に壊してしまいそうなそれらを前に、どう反応すればよいかわからず、ただその場に立ち尽くす。
(と、いうか、バディさん。これだけの荷物、どこに持ってたんだろう)
アウルの記憶が正しければ、バディもジュードも荷物らしい荷物は――大剣と銅板を除けば――、何も持っていなかった筈だ。
こんな大荷物、一体どうやって持ち込んだのか。そうアウルが首を傾げた時だ。
「何か用か」
バディがアウルに訊ねてきた。
「あ、は、はい。ジュードさんにタオルを渡しにきたのですが……」
ハッと我に返り、慌ててアウルはバディに言葉を返した。
「タオル?」とバディが銅板から顔をあげて、アウルの方へ振り返った。
「はい。お風呂用のタオルです。先ほど、ロビーで渡し忘れてしまっていたので」
言いながら、アウルは腕に抱えていたタオルをバディに見せた。
アウルがその事に気付いたのは、彼女がバディ達と別れ、母に帰宅の報告をしに向かった後の事だった。林の中で転んでしまった事もあり、アウルもジュードほどではないが身体中が土で塗れている。新しく着替えた方が良いと思い、
自室に着替えに向かったところで、そこで、ジュードとバディにタオルを渡し忘れていた事を思い出したのだ。
ジュードがすぐにシャワーに行くと言っていた事もあり、急いでアウルは洗濯したばかりのタオルを取りに庭へ向かった。そうして、乾いていたタオルを手に取り、バディ達の部屋にやってきたのだった。
ちなみに母の方は具合があまり芳しくないのか、寝室をノックしても返答はなかった。その為、ジュードとバディの事は、まだ母に告げられていない。
しかし具合が悪い者を無理に叩き起こすのもどうかというものだ。母にはまた後でゆっくり話をすればいいだろう、とアウルは考えた。
アウルの返答にバディが眉をひそめた。
髪と同じ焦げ茶色の細い眉の間に、険しいしわが生まれ、視線にさらなる圧が加わる。
「……タオルなら、作っちまったからいらねぇ」
「え、作……?」
「あとあのクソ野郎なら、調査の続きに出かけたからいねぇぞ」
「え、え、えぇ?」
次々と返される予想外の言葉に、この部屋を訪れた時とはまた違った戸惑いが、アウルを襲う。
(タ、タオルを作った? タオルを持ってた、ではなく? き、聞き間違いかな……)
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