Chapter2. 宿屋と蜘蛛
第9話 宿屋『ニンファー』
宿屋『ニンファー』。
それがアウルの働く、宿屋の名前である。
宿屋とはいっても、正直、そこまで立派なものではない。外見は、単なる2階建てのログハウスで、そこが宿屋だと知らぬ者が見れば、少し大きめなただの一軒家にも見えなくもない、実にシンプルな外装をしている。建物内も1階にロビー兼食事処となるスペースがあり、2階に泊まれる部屋が数部屋あるだけと、これといって特出すべき特徴はない。飾りつけも、特に派手やかにはせず、必要最低限の家具が置かれ、清潔さが保たれているだけの、やはり実にシンプルな作りの内装となっている。
これできっと、この宿屋がある場所が、アウルにとって馴染みのある林の中ではなく、どこかの街中、それこそ空隙都市のような多くの住民で栄えている場所であったのならば、この宿屋は直ぐに潰れていた事だろう。金銭的な意味でも、それ以外の意味でも、だ。
混沌というものは、なぜか生き物が多く集まれば集まるだけ、それに応じて生じやすくなる傾向がある。――否、正確には混沌があるから、そこに生命があると言えるのかもしれない。
カタスヨの園とは異なる、とある世界にある小さな国の神話によれば、最初にこの世にあったのは『
他にも、その国と同じ世界にある小さな島国の神話では、その国が誕生したばかりの頃、世界は次元の分け目が存在しない混沌世界だったと伝えられている。神も生者も死者も、皆同じ次元の、地続きの世界に存在していたという話だ。
混沌と生物。この2つは、切っても切り離せないもの達なのだろう。
故に、この
だが幸いして、ここは木や草以外には何もない林の中だ。
混沌どころか、まずお客のおの字すら、ほとんどやって来ない。
はたしてその事実を本当に『幸い』と言ってよいのか、それとも『災いして』と言った方が正しいのかは微妙なところであるが……、とにもかくにも店が潰れる心配はない。
安心して眠りにつける、カタスヨの園にしては珍しい安全な宿屋だといえる。
「こちらがお2人用のお部屋の鍵です。お部屋はそこの階段をあがって、直ぐ右手のところにあります。お風呂とトイレは各部屋にありますので、そちらをご自由にお使いください。その他、何か御用がありました場合は、私の方に声をかけてくだされば対応致しますので、その際はここ、ロビー受付まで来てくださるようお願いします」
そう言いながらアウルは、受付台の引き出しから1本の鍵を取り出した。
『3』と部屋番が刻まれたプレートがついた鈍色の金属製の鍵。
お泊りの客用に作られたその鍵を「どうぞ」と差し出せば、ジュードが「お~。サンキュ~」と笑いながら、それを受け取った。
「いやぁ。にしてもまさか、こんな林の中に宿屋があったとはなぁ。野宿覚悟で居たから、屋内に泊まれるなんて夢にも思わなかったぜ。なあ、バディ」
受け取った鍵を、嬉しそうに眺めた後、ジュードがバディの方を振り返った。
しばしの間をあけた後、ジュードの後ろでロビー内を見回していたバディが「……だな」と返事をする。
そんな2人の言葉に、アウルは苦笑する。「うちを見つけた方は、皆さん、同じ事を言われますよ」と、覚えのあるその反応に言葉を返す。
「こんな辺鄙な林の中ですからね。ここに泊まりに来るというよりは、どこかへ向かう最中に、この林の中を通りかかったら、たまたまうちを見つけたので、そのまま流れで泊まる、という方が多いんです。どうもここは、外から来た人にしたらとても深い林らしいので、道に迷う方が多いようで……。まぁ、うちとしては、そういう方々の為に宿屋を経営しているので、特に問題はないのですが」
「あぁ、なるほど。要するに、
「確かに、この林? やけに深くて道わからなくなりそうな感じあるもんなぁ」と、ジュードがガリガリと頭を掻く。口調からして、実際に道に迷っていたわけではなさそうだが、彼等もまたこの林の広さに悩まされる者の1人ではあったようだ。
やはり外から来た人には、ここは複雑な場所に感じざるを得ないらしい。
(うちに連れてきて、正解だったのかも)
突発的に取ってしまった行動だったとは言え、2人をうちに案内した事は間違ってはいなかったらしい――、その事実にホッと胸をなでおろしながら、アウルは彼等をここまで案内した時の事を思い返した。
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