第10話 ひとりきりの従業員
『よ、よければっ、うちの『宿屋』に、お泊りになられませんか……!』
そうアウルが提案した直後、バディとジュードはその顔を見合わせた。
どうやら、アウルの提案が予想外のものだったらしい。そりゃそうだ、と2人の反応を見ながら、アウルは心の中で思った。だが、言った事を撤回するつもりはなかった。2人からの反応が帰ってくるのを、緊張で己の鼓動が早まるのを感じながらも、アウルは待った。
しかし、アウルの緊張に反して2人の返事は早かった。
『マジで⁉ いいの⁉』と嬉しそうに先に声をあげたのはジュードの方だ。ビュンッ、と離れていた筈の距離を、一気に再び詰めてきたかと思うと、まるで得た獲物は離さない、と言わんばかりにギュッとアウルの手を遠慮なく握りとった。
一瞬で距離を詰めてきたジュードに、アウルが驚かされた事は言うまでもないだろう。
ベチョッ、とアウルの手に血のつく感覚がし、あらゆる恐怖から、ひぇ、と声にならない悲鳴がアウルの心の中であがった。後からジュードを追ってやってきたバディが、『怖がらせんな』と、その頭を殴ってジュードを止めてくれなければ、アウルはその場で気を遠くしていたかもしれない。
(ジュードさんに悪気があったわけじゃないのはわかるんだけど……)
やっぱり血まみれの相手が一気にこっちに駆け寄ってくる光景は、正直怖い以外の何者でもない。
とりあえず血のついた手は、持っていたハンカチで拭いたけど、あれ多分、もう使い物にならいだろうなぁ――ベットリと、血で汚れたハンカチを思い出し、アウルは少しだけ遠いところに目をやった。
と、
「……この宿屋、他の従業員はいないのか」
唐突に、バディがアウルに訊ねてきた。
何がそこまで彼の興味を惹くのかわからないが、相変わらずその目は、室内を見回している。しかも室内であるにも関わらず、例の奇っ怪なゴーグルもつけっぱなしだ。別に外せ、とは言わないが、室内に入ってもそのままというのは、なんとも奇妙な光景である。
予想外のバデイからの質問に思わず目を瞬かせながらも、「あ、は、はい」とアウルは慌てて返事をした。
「私以外の従業員はいません」
「マジ⁉ てことは、嬢ちゃん、ひとりきりで働いてるの⁉」
反応を返してきたのは、ジュードの方だった。
アウルの返答に、驚いたようにその赤目を丸めながら、受付台の上に身を乗り出してくる。
「ひとりって、大変じゃね⁉ うちの組合ですら、掃除担当、食事担当、受付担当、宝物金銭変換担当、遺体処理担当、って、むっちゃ従業員いるぐらいなんだぜ⁉ 嬢ちゃん、こんな辺鄙な場所で、そういうの全部自分だけでこなしながら過ごしてんの⁉」
「え、えぇ、まぁ……。でも、そんなに毎日お客様が来るような場所じゃありませんし、私だけでも充分手は足りてしまうんです」
今、聞こえてはならない言葉が聞こえたような気がしたが、アウルの本能が、ツッコんではいけない、と告げている。ここは命と実力がものを言う世界。ちょっとの好奇心が一秒後の未来を奪う可能性がある。少しでも危険を感じるものには触れないに限る。
己の頬を冷や汗が伝うのを感じつつも、営業スマイルを浮かべながら、アウルは言葉を続けた。
「それに、母も居ますから」
「母?」
「えぇ。元々、ここは、私の母が始めた宿屋なんです。今はその……、ちょっと体調を崩しているので、お客様の前に出る事は出来ないんですが」
言いながら、ちらりと、アウルは自分の後ろにある扉に目を向けた。
ロビー受付、その奥に取り付けられた焦げ茶色の木製の扉。それが、アウルの目の中に飛び込んでくる。
「実はこの宿屋は、宿屋であると同時に、私と母の家でもありまして。このドアの向こうが、私達の居住スペースに繋がっているんです」
「店舗兼住宅ってこと?」
「はい。うちの宿屋は、家族経営なんです」
にこりと、ジュードの問いにアウルは頷き返した。「へぇえ」とジュードが顎をさする。まるで興味深い話を聞いたとでもいうように、その目が丸く見開かれる。
「だから、今は私だけですが、普段は母と一緒に経営してるので、そんなに大変じゃないんですよ」
言葉を続けながら、アウルは扉の奥にいる母の事を思った。
母の様子の事ももちろんだが、もしあそこで死んでいたら……、と改めてそんな事も考える。
(お母さんだけ残していくような事にならなくて良かった)
本当に、ジュード達には感謝しても感謝しきれない。やはり、お礼のおの字もしないで黙って見送るなんて事しなくて良かった――、そうアウルが思った時だった。
「ふぅん。でもさ、寂しかったりはしねぇの」
ジュードが、そうアウルに訊ねてきた。
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