好きを伝えたい!! 秘密の交換ノートは暗号にて

響ぴあの

秘密の交換ノートは暗号にて

 部員がたった一人しかいない自然科学部に所属している。とはいっても、最初は運動部に入っていた。些細なことがきっかけで部員と確執ができてしまった。あっという間に部活動という場所に居場所がなくなってしまった。もっと言えば、学校という場所に居場所がなくなってしまった。退部届を出すのに時間はかからなかった。退学届けすら頭によぎりながら日々を過ごしていた。些細なことがきっかけで日常は変化する。まるで天気のように――。


「弱いものほどよく群れる。孤独と孤立は別物ですよ」

 一人ぼっちの私に声をかけてくれたのは理科の教師の理沢先生。専門は化学だ。

 それがきっかけで自然科学部に入部した。


 一人しかいない自然科学部なので、活動は私次第。かなり自由だ。科学、化学、物理、生物、地学、なんでもOKという部活にもかかわらず、部員はたった一人。廃部にならなかったのは、今年まで三年生が2名ほど所属していたということだった。もし、今入部しなければ、来年はなくなっていた部活。とりあえず入部するには良物件だった。人間関係のしがらみもない。


 顧問は理科の若手男性教師。彼の言葉に救われたから、この部活に入った。人が良さそうないかにも勉強好きな雰囲気を醸し出す先生に憧れている生徒は聞いたことがない。若いけれど、地味でモテない。黒縁眼鏡に白衣を着ており、服装はおしゃれとは縁遠いだろうと思われる。でも、いい人だという認識はみんなにあると思う。私にとっての恩師なので、居場所がない私は彼が顧問をする部活に所属する以外選択肢はなかった。


 自然科学部には部誌がある。本来は活動報告や反省を書くのだろうけれど、部員一人ゆえ、自由に好きなことを書く。


10月1日

『すき焼きがすきです。昨夜肉は焼かずに食べました』


10月2日

 先生はいつもかならず丁寧にひとこと返事を書いてくれる。

『上を向いて歩こう』


 もしかして、あの有名な歌手の歌と掛けている? しかも、学校に馴染めない私に対してちょっと励ましてくれている? たしかにスキヤキという名前で外国で大ヒットした歌がかつて日本にあったというけれど、私としては好きという言葉を暗号的に伝えただけだったのに。


『すき焼きがすきです』の中に2つも『すき』を入れて強調した。さらに『焼かずに食べました』というのは『焼きが』の部分を抜いてねという暗号のつもりだったのに。絶対にあの鈍感教師には伝わっていないのだろう。


 理沢先生は優しい声で話し始める。

「上を向くと涙がこぼれないという話から、前向きにいこうという意味を上を向いて歩こうと表現しているんですよね。一般的に右目から多く出るのが、嬉し涙。左目から多く出るのが悲し涙らしいです。ちなみに7月3日は涙の日。ドライアイっていうのも大変だけど、心が渇くのも大変です。つまり、人生は水分補給ということで、手作りのレモン水を君にあげます」


「ありがとうございます」

「レモン水はとても体にいいんですよ。美肌効果、疲労回復、免疫力アップなど効果は絶大です」

「効果を聞いてから飲むと、さらに効果が倍増したように感じてしまいます」

「これは一種の心理効果ですね。プラシーボ効果と言われています」


 いつもどことなく博識で、知識の多い理系男性。普通に出会っていたら、うざいとか面倒くさいと思ってしまいそうなタイプかもしれない。でも、いただいたレモン水は少しばかり酸っぱいけれど元気が出る特別な味がした。

 味わいながらゆっくりと飲んだ。私にとっては特別な飲み物だから。


「おいしいっ」

「人間は他の動物にはない痛みや悲しみという感情があるのが取り柄です。記憶力も私たちにしかないものなんですよ」

「それっていいこと、ですよね?」

「痛みや悲しみを記憶できる人間であることは幸せですよ」

 お手製のレモン水を先生もごくりと飲む。白衣が似合いすぎて白衣を見たら先生を連想してしまいそうなくらいだ。


 よし、今回は、自然科学部的な感じで元素記号で気持ちを伝えよう。部誌に書き込む。ただの自主勉強と見せかけての告白だ。


10月3日

『今日は自主勉強として元素記号を書きます。

S……硫黄

U……ウラン

K……カリウム

I・・・・・・ヨウ素


 これ、結構ばれちゃうかなぁ。謎解きでよくあるパターンだし。でも、あの鈍感な先生ならば、元素の自主勉強の一環としてスルーされちゃうな。


「ラピスラズリの青は瑠璃色や群青色でとてもきれいですよね。実は硫黄の成分が入っているんですよ。硫黄は温泉というイメージが強いですが、結びつき次第で色合いもあざやかになるんですよ。ツタンカーメンの黄金のマスクにある青色のアイライン、フェルメールの真珠の耳飾りの少女の青いターバンの青色の絵の具や塗料として使われていました。主な成分は、青金石ですが、たくさんの成分が混ざり合わないときれいな色は出せません」

「先生は、何でも知っているんですね」

「何でも知っているわけではないですよ。ただ、好奇心があるから、調べていたとか書物を読んでいたから知っていたという結果です」


 黒縁の眼鏡が良く似合っているな。一回良く見えると人は好意的に見てしまう生き物だという話も先生の受け売りだ。


10月4日

『ラピスラズリは幸運を招くパワーストーンなんて言われていますね。あなたにどうか幸せが訪れますように』


 先生の文章はいつも優しい。行動も優しい。思いやりが散りばめられている。笑顔が浮かぶだけで、少しばかり目頭が熱くなる。やっぱり心が弱っているんだ。部誌が私の生命線だった。多分、先生という優しさに依存することで私はこの場所にいられる。


10月5日

 元素記号を番号で書いてみます。

16……硫黄

92……ウラン

19……カリウム

12・・・・・・ヨウ素


 前回の応用版。SUKIをただ元素の数字に変換しただけ。土日を挟む。ちょっと寂しい。


10月8日

『東京都に属する硫黄島という島は、2007年まで「いおうじま」と呼ばれていたんです。今は「いおうとう」が正式名称なんですよ。つまり、正式なんて誰かが決めたことであり、時代によって変わるんです。きっとあなたも変わります』


 先生からのメッセージ。絶対好きという意味に気づいていないな。硫黄の話ばかりだし。でも、何かで誰かと繋がっているっていいな。


10月9日

『昨日、幸運にも四つ葉のクローバーを見つけました。そこで、クローバーについて調べてみました。四つ葉のクローバーになるものは遺伝的なものと環境的要因があるそうです。踏みつけられて四つ葉のクローバーになるものもあるらしく、幸運のイメージでしたが、不運を背負ったクローバーもいることに驚きました。別名はシロツメクサですが、漢字で書くと、白詰草。名前の由来に興味を持ちました。箱の中の緩衝材だったとか。幸せになれるように花言葉と共に四つ葉のクローバーのしおりを送ります。』


 9月10日

『しおり、ありがとうございます。幸運の四つ葉のクローバーは不運の結果にできたということかもしれませんね。』

 その返事には、蟻と蛾のイラストが印刷されおり、合計10匹いる。

 これ、結構気持ち悪い。理科オタクの先生ならばだけれど――。何を伝えたいんだろう。蟻と蛾が10匹でありがとうっていうこと? 蟻が10匹でありがとうっていうのはクイズで聞いたことがあるけれど、あえて蛾を入れたの? 蛾って意外ときれいな種類もあるんだなと見つめてしまう。


「部誌の内容、ありがとうって意味ですか? 蛾ってきれいな色している蛾もいるんですね。もっと地味な色合いだと思ってました」

 部室で直接聞いてみる。

「それは偏見です。美しい蛾もたくさんいますよ。視野を広く世の中を見てみると思いこみって結構あるんですよ」

「たしかに。最近、気が合いそうもないと思っていたクラスの子と話してみたら意外と話せたんです。部活の人間関係だけが全てのような気がしていたけれど、この学校にはたくさんの生徒がいますよね」

「意外なことと言えば、部員ゼロの自然科学部に入ってくる生徒がいるとは思いませんでした」


 クスリと笑いあう。


 今日は大胆に愛してるって書いちゃおう。でも、もちろん暗号で。この学校に在学中は恋愛は禁止だ。そして、教師と恋愛などもってのほか。


 9月11日

I……ヨウ素(元素番号53)

SI……テルル(元素番号52)

TEL 

自分のスマホの番号を書いてみた。大胆な自分だけど、番号くらい、いいよね。

愛してるという意味だけれど、さりげなく自分の電話番号を伝える手段ともなっている。でも、これでわかるだろうか。理科男ならば、そのままヨウ素について語られそうな予感しかしない。


 その日の夜――着信音がなる。

 元素の名前と名前が送信されてきた。

『アルミニウム、ガリウム、ネオン 理沢より』

 ショートメッセージがスマホに届く。知らない番号だ。でも、先生の名前が書いてあった。


 どういういう意味? 教科書とにらめっこだ。元素記号にすると――

 AI GA NEって有り金? でも、ありがとうっていう読み方もできるよね?

 NEは元素番号10ということはトウと読める。でも、どういう意味? 例えば、好きだということに対して、好意的にありがとうと言っているのか、社交的に遠回しに断っているのか――わからない。でも、これであの先生のスマホ番号を入手した。これから、メッセージは部誌でなくとも送ることができる。でも、嫌われていたら、迷惑かもしれない。プライベートで恋人がいたら、迷惑かもしれない。でも、恋人がいるとか、そういった素振りは全く感じられなかったが。


『元素記号だ。解読せよ。I Be TE Lu』

 アイビーテール? どういう意味だろう?

 教科書にはIはヨウ素と書いてある。そのままアイでいいのだろうか。Be

ってベリリウム? アイビーだと日本語としてはおかしい。じゃあ元素番号? 番号は4。つまり、シ? TEは元素名テルル、そのままテ。Luは元素名ルテチウム。そのままル? つまりアイシテル? でいいんだよね。これって、両思いっていう解釈でいいんだよね? 思わず赤面しつつ手が震える。でも、本当にあの堅物知識男が愛してるという言葉を暗号で送るのだろうか? 確認するにも、何とも言えず私はただ、その場で脱力する。


 私が送った四つ葉のクローバーのしおりを握りしめながらこの文章を送ったなんて、今の私が知るはずはない。


 でも、私たちは多分これからもきっと記号と暗号を用いてお互いにやりとりをする。絶対恋愛禁止の高校で、誰にも悟られないように――。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

好きを伝えたい!! 秘密の交換ノートは暗号にて 響ぴあの @hibikipiano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ