十四章
なんでも、妖は
とはいえ、龍穴は探すことが可能だという。
どこかにないかしら、とぼんやりと考えながら下草を掻き分けて高台に登った。今日は狩りをしに来たのでも、
当主の娘のあの子は母親が一年前に死んでしまった。その時はてんやわんやの大騒ぎになって、男たちを総動員していなくなったらしい北の山々を捜索したけれど、ついに遺体を見つけることは出来なかった。空の
水が無くて人がたくさん死んだ。山羊の乳も出なくてたくさん死んだ。家族の欠けていない者がいないくらいに、いっぱい。もう死体を見ても何も思わなくなった。喉が渇いたら蛇の血を飲んだ。最初は生臭くて嫌いだったけれど、そのうち馴れた。
あの子は大きくなったら
(母さんが死んだんだ。当たり前だ)
自分の両親はまだ生きているから、悲しみは本当には分かってあげられないけれど、それでも何か励ましてあげたくてどうしようもないのだった。
女の子は綺麗なものが好きだ。きらきら光る石や白い骨や模様のある角が好きだ。
何かないかな、と茶紫の土を掘り返す。色石の粒でもいい、ひとつでも渡すときっと喜んでくれる。いい匂いのするつやつやした黒髪を揺らして控えめに笑う姿が見たかった。
欲しいと思っている時に肝心のものは出て来てくれず、落胆を無視して移動しつつ探索する。あまり領地から離れて迷子にもなりたくはないから、時おり高いところに登って位置を確認しながら霧の中を泳ぐように歩いた。
そうして陽が一番高いところまできた。やっぱり何も見つからない。帰ろうかな、と独りごちたところで、ゆるい風に背を押された。
妙に生暖かくて、今は冬なのに、と不思議に思い振り向く。紫の濃霧はゆったりとうねって漂い、木々の間を抜けてゆく。
その隙間、濁った茶緑の林の奥に目立つ色を見つけて硬直した。咄嗟に弓を構える。
下生えをゆっくりと掻き分けながらすぼけた血色の塊がこっちへ来る。何だ、妖か?
何だろう。警戒しながらそろそろと近づく。いきなり起きて襲ってきたら殴りつけてやる、と短剣を掲げながら、伸びた塊を凝視した。
しかし、四肢があり、それが自分と同じかたちをしているのをみとめて驚きに叫び声をあげた。近くの枝に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、それにも驚いて尻餅をつく。
塊は動かない。うつ伏せの背に長く散らばるのは泥と埃にまみれた赤い髪。それが何なのかをようやく悟り、今度は長い悲鳴を
当主の伴侶、あの子の母親。一族の『
まったく、引きが強いこと。
人でない異形の妖である少女から呆れられたが、構わず
「じゃああたしはもうお役御免ね。せいせいするわぁ、やっと九泉から出て行ってくれて」
「そうか。私は曲がりなりにも楽しんだが」
「でしょうね。最初から最後まで図々しかったものね」
そう言うな、と憮然としたが少女は腕を組んだままそっぽを向いた。
「シンシンどの。貴殿が人語を話せて助かったことは事実だ。礼を言う。――おかげで一族は生き延びる」
周囲を見回す。ここは巒頭だ。周囲に気脈の噴き出る龍穴が空いている、霧界の秘所。いつできたのだろう、領地からそれほど遠くない。まさかこんなところにあるとは。
「私の
「さあね。ふつうだったら人の
小さな子どもは黙々と石を集めている。赤い鱗尾で地面を掃くように
「あなたとの
「ああ。そうだな。――――シンシンどの。ではここで」
ええ、と相手は佇んだまま。
「九泉主には不本意だが今後とも世話になる。何か変事があれば知らせてくれ」
「あたしはうんざりだけど、あのひとの願いなら仕方ないわ」
どこまでも高慢な少女は別れ際にそれだけ言うと、ふっと風に消えた。
見送り、すっかり重たくなった腹を抱えて岩場に腰を下ろす。
寸暇、感慨に
「髪に塗ってくれ。あまり身綺麗だと怪しまれる……それと、領地では絶対に姿を現すな。私が勝手に『選定』を通ったと知られれば掟に背いた罪で罰されるからな」
もっとも、麅鴞がいるかぎりは
「なあ、お前は本当に危険から私を
子どもは瞬いた。そして、契ってから初めて表情を一変させた。
眉を
「………ああ……今それを見たくはなかった……」
もうすぐ再会するであろう、記憶の中の夫の姿をとった
「分かった、分かったよ、私が馬鹿にしていた」
だからその恰好はよせ、と言えば、するするとまたいつもの子どもに戻っていく。最近気がついたけれども、それは領地に残してきた長女の面影に少しだけ似ていた。
結論として、泉外人が大泉地の天式に介入するにはとにかくやってみなければなにも分からない、ということだった。九泉主が語ったことが一言一句
幸い、彼は最初から最後まで好意的だった。麅鴞はある程度人の心理を読めるから、その下に判じればだまくらかしている感はない。泉地の民に甚大な危害を及ぼさないのなら手を貸してくれるだろう。
「さてしかし、全く影響を与えず天門に関われるものか」
それは無理な気がする。
「麅鴞。お前は一泉の九子だったな。ならばお前の民から解放できないか試してみようじゃないか」
無駄撃ちだろうと予測していても、それが間違いなく使えないという確定は必要だ。そうやって、鉱脈筋を探すのと同じく、ひとつひとつ検証し仮定を潰していくしかあるまい。
「九泉主はどこまでも己が優位であることを曲げようとはしない。いや、曲げられない。ならばやはり私とお前で出来るところまでやるしかない」
世界を知るためには、多少の犠牲は仕方ない。
「現状、天の外門である徳門を閉じる方法はひとつだけ…………それも本当に言うようなことになるのか分からないしな。ここは怖じけずに手を出してみるか…………ともかくは帰ろう」
ぶつぶつと呟きながら、
「ああ、それに例の計画も練らねばな。頼りにしているぞ。お前が奴の
子どもは無表情に見返してくる。まるで明日の天気の話でも聞いているかのように興味なさげに。
さあ帰らなければ、と足を踏み出した。愛しい子供たち、助けるべき仲間たちのもとへ。
死んだと思われていた『祝穎』が生きて帰り、奇跡的に発見した新たな鉱脈筋により水の枯渇は解決され、一族は辛くも生き長らえた。未曾有の危機に晒されてから丸四年、人口八十万がその時点でおよそ三十万に激減していた。
一族の
大きく権力を得たもうひとつの要因には奴婢たち最下層民の支持がある。一族の立て直しにおいて、族民の加増を勧奨すると共に遠征による拉致強奪の縮小、奴婢の待遇改善と地位向上を提唱した。一見矛盾するこの政策はしかし結果として双方に利益を生み出した。摩擦や反発も小規模には生じたが、予後十年で元来の人口総数の七割を回復させたことで一応の成功をみた。
ある者は言った。今や
また、水面下ではこうもてはやされた。
――――とはいえ、いくつ季節が巡っても、一族は形態そのものを崩すことはなく、やはり苛烈に逞しく北の大地で生きている。
「――――いいな、
目に力を込めて言えば、女は
「必ず成功させます」
「私の
「………いえ。不審が残れば疑われます」
私がやります、と歯の根の合わない震え声を絞り出す様子をじっと見つめる。
「……期待している」
「はい。母上様」
おくびにも出さなかったが、私のことを母と呼ぶのか、と複雑な気持ちになった。お前は泉人で、高貴で、本当ならば水の大地で優雅に暮らし満ち足りた安寧を心ゆくまで享受して一生を終えられたというのに。……自分たちのような
「大丈夫よ、葛斎。きっと上手くいく」
娘の
「母上様はなぜそうも
葛斎を見送った後で何梅が悩ましげに息をついた。
「
「……けれど、あまり時もないのでしょう」
どこか憂鬱そうな顔は父親に似て感情が読みづらいが母との別れを惜しんでくれているのは伝わった。
「案ずることなど何も無い。私が教えた秘儀を守り、
真の水の地を手に入れるのは我々だ。
「分かっているな?これからのことを」
娘は色のない表情で頷く。「心配しないで母上様。私はずっと見てきた。父上のことも、一族の男たちのことも。だから大丈夫。今さら情を移すなんてことはありません」
「お前は昔から聞き分けが良すぎて心配になるよ」
先行していた足を止める。森の中は今日も今日とて霧でじっとりと暗い。
「今回はどれほど九泉へ?」
「葛斎が約束を果たした後ですぐに昇黎する。終えた後そのまま行って泊まる」
何梅は首を傾けた。「父上の遠征のお見送りはいいのですか」
「反抗的な可敦の見送りなど不要だろう。それに私は奴が出掛ける前にじっくり顔を見ておかなくてはなどとは微塵も思わないからな。なにせ、いずれ殺すのはこの私だ」
「それは私も分かっています。けれどその分の八つ当たりが
憂うな我が娘よ、と
白い手を
「何梅。お前は新しい時代の一族の王になれ。道は敷いてやる。全てをお前に託すぞ」
「けれど、まだ麅鴞が」
「今回、一泉の
笑ってみせた。
「本当にツイている。天運が去らないうちにさっさとやってしまおう。我らは選ばれし者だ。必ずや一族を救う……さて。そろそろ行くか」
横を向くとすでに青年がひとり控えている。
「
「そうしたほうが速いだろうが、お前の
「かしこまりました」
途端に四足の獣形になった下僕に跨った。
「母上様。九泉主によろしくお伝えくださいませ」
「ああ。癪に障るが我々には必要だ。お前のこともようく念押ししておく。だが信じ過ぎるな。あの男に全ての手札を見せれば
分かっております、と何梅は頭を下げた。それで
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