八章



 目の回るほどの大卓に精緻な器を所狭しと敷き詰め、中には色とりどりの蒸したもの、焼いたもの、茹でたものがこまごまと並ぶ。


「こんなに要らない」

「全て食べなくていいのだ」


 見栄を張ってみた、と泉主はうきうきとしている。よほど気に入られようとしているのか、躊躇ためらいながら箸を運ぶ様子を満面の笑みで窺ってくる。


「どうか?」「……ああ、旨い」


 そうか、と手を叩く。「酒もいけるか。我が国のものは秘酒と呼ばれる貴重なものだ。是非呑んでくれ」

 酔わそうというはらか、それか毒でも盛るつもりか、と軽く睨んだが、他ならぬ本人が手酌で呷ったものと同じ瓶を差し出されたのでともかく死ぬことはないだろう、と盃を受ける。

 泉主の側には崔遷と呼ばれている先刻の青年と、こちらにはあの孳孳という少年もいて、彼が白魚のような手で料理を少しずつ取り分けてくれた。

「……泉国の食い物は、味が濃いな」

「口に合わなかった?」

 妖艶な彼は心配そうに小首を傾げる。いいや、と答えながら、ふと顔を上げた。なんだか周囲の空気が変だ。ちらちらと刺す視線を感じる。女官たちが慌てて俯いた。この容姿が物珍しいからかと思ったがどうやらそれだけではない。注目の先をなぞり、なるほど、と得心した。孳孳の一挙一動を舐め回すように見守っているのはなにも女ばかりではなかった。宦官かんがんも男の下官もまた、なにか含みのある眼で、屈んだ彼の衿元えりもとから覗く鎖骨とその奥に見蕩れている。

 当の本人はそれらにはなんの頓着もなく優雅な所作で垂れてきた後れ毛を耳に掛けた。毒なのはこいつだな、と一瞥してから泉主を見やると、そちらは全ての景色が面白いとでも言わんばかりに盃を回していた。


「こう人が多くては落ち着かない」

 たまらず訴える。泉主もそうだな、と頷き、ようやく交錯する数多の圧から解放され内心ほっと息をつく。

「気になった?ごめんね」

 謝られ、知っていたのか、と渋面をつくった。孳孳は首筋を撫でる。

「そんなに見てくれても何も出ないんだけどね」

「孳孳はいるだけで嵐ゆえ」

 くつくつと泉主は笑う。「颱風たいふうの目だよ。本人が静かでも周りが勝手に荒れる」

「孳孳は泉人か?」

「なぜ?」これは二人から。

「あまりにも人離れしている」

 はは、と泉主は膝を叩いた。「やはり初めて見た者でもそう思うのだな」

「誤解は本意ではない。それほど見目好いと言っている。城が傾きそうなほどに」

 孳孳はうふふ、と袖で口を隠して笑った。「ありがとう。でもあなたのほうがよほど綺麗。でしょう、泉主」

 そうさな、と泉主は身を乗り出した。

なれのような者がなぜ独りであの森へ?」

「…………雄常を探していた」

「ほう。あの樹のことを」

「しかしよくは知らない。ただ、私は一族を救う為に探していた。いま、麦飯石の鉱脈が枯れて飲み水が無く大変なことになっている。私は一族の巫師として雄常を見つけ出し、なんとか解決法を探る使命を負った」

「なぜあの樹を発見することが、汝の一族を救うことになると?」


 しばし黙る。逡巡を悟って泉主は首を振った。

「不遜なことを言って処罰を危惧しているのなら要らぬ心配だ。汝をどうこうするつもりならとっくにしている」

「…………あの樹には、この世界を壊す何がしかの手掛かりがある、と我々の伝承はそれを示す」


 場が静まりかえる。崔遷がちら、と泉主と目配せし合った。

寰宇かんうの破壊……か。寡人かじんの立場としては突拍子もない、と突き放すべきところではあるが」

 立ち上がってぺたぺたと卓をまわってきて横に座り肘をついた。不可思議な色の瞳で問う。


「では破壊とは、汝にとっては何を意味する?」

「破壊とは浄化だ」

 盃を見下ろす。揺れる波紋に目を細めた。

「九泉主は『選定』というものを知っているか」

「どういったものかな」

「我々の王、つまり族主とは『選定』の成功者と決まっている。それを通過すれば絶対服従する妖獣を天から与えられ、強大な力を得る」

「妖獣とは、どんな?」

「下せる獣には九種あるという。当代が使役するのはハク……種族の名は狴犴へいかん、虎に似た四足の妖だ」


 泉主はふうん、と喉を鳴らした。

「聞くに、それは『天啓てんけい』のことだ」

「天啓?」

「そこまで分かっていてこの幾星霜をあの水のない霧のなかで生きてきたのか。驚くやら呆れるやら」

 どういうことだと、落ち着き払って酒を呷った男を見つめた。


「『天啓』はその名の通り天から啓示を得ること。それには二つある」

 すらりとした指を立てた。「この世界には泉地で暮らす泉人せんびと、つまり泉民せんみんとその外で疎外されて暮らす泉外人せんがいびとがいる。寡人と汝だ。本来は毒の霧である由霧ゆうむによって隔てられる。二種類の魂魄ひとがあるのと同じく、それぞれにくだる『天啓』が二つある」

 泉主は孳孳に指示し、卓の上に黒い碁石を二つ並べてみせた。

「その、『天啓』がつまりは『選定』だというのか」

「泉外人にとってはそのようだ。だが『天啓』を授かるのには条件が要る」

「条件……」

「族主の推挙はどのように?」

「それは……大会議を開いて、各家から相応ふさわしい者を推挙する。だが同じ時に通過した者が出ると争いのもととなるので必ず一人ずつ送り出す」

「どういった者が相応しいと?」

「力ある……者」

 答えながら要領を得ず困惑した。この男は何を言わせようとしているのか。

八馗はっきのなかで能力の高い者……」

 能力。そうか、と拳を握った。

鋼兼ハガネの戦士」

 うん、と泉主は黒い石に白いもうひとつを出してくっつけた。

「『選定』の通過条件は鋼兼の能力者。……まあ、力が無い者は必然として戦士にはなれないから、まず選出もされないが」

「その特質は北狄ほくてきにしか顕現しないと聞く」

「では、泉地の『天啓』とは何だ」

 泉主は孤立したもう一方には同じ黒い石を伴わせた。

「泉地の『天啓』とは、神勅しんちょくけること、つまりは降勅こうちょく。それは文字通り神勅がくだること」

「神勅、とは泉主を決める秘儀のことだろう。では、泉地では『天啓』を受けられるのは泉帝のみで、たったの九人しかいないと、そう言っているのか?」

「左様。大泉地ひろしといえど、『天啓』を享け、伴う力を持つのは泉主のみ。泉主は水をきよめるかなめ。泉主とその国の泉とは紙一重、天命さだめを共にするひとつのからだ

「――だが、由霧を浄化する力は無いと。我らの一族では、『選定』に通った者は何処いずこかの門を動かす特権を得、解放への道をひらくという。雄常はそれをたすく何らかを持つと考える。禍福倚伏かふくいふくの実がるらしい」

「そのことは一族皆が知るところか?」

「いや。門のことは、秘文においてしか伝えられていないものだ。雄常は古い詩歌にそれらしい言葉があるだけ」

 しかし、実際にこの足で辿り着き、あの赤い森と謎の巨大樹があるのを確かにこの目で見た。幻などでは、夢物語などではなかった。


「そうか…………」

 泉主は顎に揃えた指を当てた。どうしたものかな、と愉快そうに呟き、あらぬほうを見つめ、再びこちらに向きなおった。


「汝は大泉地ができた来龍去脉いきさつは?」

「水神の子が九つの泉になった。そして神は黎泉れいせんに眠る」

 彼は青年を呼ばわった。「こういうものはこの者が詳しい」

「失礼だが、貴殿は泉主の、…九泉の?」

 一歩退いて膝を落とした崔遷は微笑む。

「いいえ。見てのとおり、他国から流れてきたしがない旅人です」

「今は待召たいしょう……賓客扱いだが近いうちに我が朝の新たな礎となる。絶賛勧誘中でな。これが、なかなかなびいてくれぬ堅物なのだ」

 言われて当人は少し困ったように首を竦めた。

「私はただ、各国の逸文や伝説を蒐集し、素人の横好きで気まぐれに星を読み雲気うんきを占い、時に薬などを練ってふらふらと漂っていただけでございます。機会があってこちらに滞在しておりますが、とても官位を得られるような者では」

「どこの出か」

「私の生まれは一泉いっせんです」


 わずかながら動揺した。一泉国は族領から最も近い泉地であり遠征は決まってかの国の北東一帯に出ていく。水を奪い倉を暴き、女子供を掠め取ってくる国。


 崔遷は鉄面皮の裏のやましい気を感じたのか、とりなすようにさらに微笑んだ。

「といっても、近年はますますあちらこちらと移り住むことが多くまさに流れ者。故郷があるとはいえちっとも愛着も思い入れもありません。だからこそ泉主にこうして付け入られているのですけれど」

「そうだぞ。おとなしくたぶらかされておればいいのだ。何が気に入らない?」

 差し出された酒瓶を盃で恭しく受け苦笑する。「自分で言うのはなんですが、腰を据えるには少々若すぎるかと悩んでおります」

 脱線した、と手を振る。

「それで、……創世神話でございましたね。各国様々なものがございますが、多くは天帝が渾沌の天地を治め、水神に命じ洪水で乱れたこの地を封じさせ安寧を得たというのがもっぱら信じられています。この水神というのが、半人半妖の神。九人の子もまたそうであり、泉となって地に落ちたときに人と妖に分かたれた」

「子が、地に落ちた………?」

「産み落とされたと解釈する者もおりますし、泉となり拡がった形容だとする学者もいますね。ともかくこの地は九つの泉に、そしてそれらは源である黎泉を主軸として安定し、今日まで栄えているということです。泉を侵すことは泉柱せんちゅう――この大泉地で唯一共通の大綱たいこうにより禁じられております。ゆえに各泉の間は由霧が横たわってくぎられ、人もまたその霧を越えられず、生まれた場所でえて死ぬことを定められました」

「しかし、すでに泯乱びんらんが見受けられる」

 泉主は爪で卓をつつく。目を眇めた。

「これは大事だ。由霧を渡れるか、渡れないかというのは途方もなく深刻で重大なことだ。本来であればな。元初の時代は由歩ゆうほなどという者は泉外人にはいても、泉人の中にはまったくもって存在しなかった。自らの泉をもととする自国民だけで殖え、泉を守ってきた。それが、今や泉外人の血を持たずとも由歩が現れるほどになっている。大泉地じゅうで唯一この九泉国だけが、いまだ同国人同士のほうが子をしやすいというかつての名残を保ってはいるが、それも徐々に腐って崩れている……」

 憂えるかおは何を思っているのか、ぼんやりと語りながらまた断りもなく髪に触れてきた。

「だが、泉外人の――夷狄いてきたちの創世神話は全く異なるものだろう?」


 変な奴だ。毛先に絡まる指は青いほど白くて男にしてはごつくないからなのか、あそばれているのに今は嫌悪を感じなかった。


「ああ。違うな。少なくとも九人云々うんぬんの話はない。それで、この神話が?」

「だとすれば、泉人と泉外人とは全く事の開闢おこりの異なる性質の違う別のものだということ。見た目や話語は同じでも、それは上辺だけ。そもそも泉外人のほうも初めの頃は由歩だけだった。霧で隔てられ、敵対し相反する魂魄ヒト。ならば同じ構造つくりであるとするのは無理がある」

「お前は元だの初めだのと、己が生まれてもいない時のことをまるで見てきたように話すのだな。よほど歴史に詳しいのか、さては想像か?」

 これには至極面白かったのか声をあげた。

「確かに。しかし、まあ、大筋は間違っていないと言っておく。それでだ、泉人は泉を守りたい、泉外人は泉を得たいという敵対関係が生まれたわけだ。泉外人は当然ながらこの地を覆う忌々しい霧を晴らし水をもたらしたいと願うのは当然のことだな。もちろん、神々も当然そのつもりで汝の祖先をこの地に送り込んだ」

「送り込んだ?どこから?」

「大泉地の外の世界。ここは卵の殻のなかと言っていい」

 目をみひらいた。



 かひこ黄泉あらぬよ…………。



「この大泉地の天帝とは外界の神々にはきらわれた神のようだな。自ら閉じこもったはいいが敵軍までも巻き込んでこの地を封じてしまった。だから霧向こうの汝たちがこの泉地を崩す何がしかの力を持つとされるのは多いに納得がゆく」

「そういう…………ことか……………」

 祝詞のりとや秘文の内容が繋がった。

「その力が私においては鋼兼というわけなのか」

「海外三十六民。霧の海のかなたに蠢く、我ら泉人を喰い破らんとする夷狄たち」


 楽が鳴る。上向けば、芸妓おどりこを従えたのは五彩の披帛かたかけを揺らめかせ、扇で優雅に風を切る孳孳だった。音に合わせてあえかに体をくねり、艶めいて舞う。


「それが今では四つの小さな民族に淘汰された」


 紅をしてもいないのに濡れた赤い唇が真珠の歯を覗かせて婉麗に微笑する。深い切り込みの入った裳裙からあられもなく細いももを晒し、観ている者の色欲を煽るように首を傾げ、羞恥するふりをして頬を染める。女より女らしい舞姿、それを端目で愛でながら九泉主は赤い毛先に口を寄せた。


「――――取引をしよう」




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