転校生はセルキー

砂藪

転校生はセルキー


 彼女は転校生。

 九月に入って数日でこの東の国に引っ越してきた帰国子女、彼女が教壇に立って紹介される前日、担任のくだん先生が「彼女はセルキーです。不用意に皮を着てみせてと言ったり、脱いでと言ったりするのはやめてください」と注意していた。


 セルキーは、スコットランドの妖精らしい。分かりやすく説明するならあざらし人間。人間にもあざらしにもなれる妖精らしい。わざわざ未来を予知できるくだん先生が忠告したのだから、忠告がなければ、彼女にそういう種族ハラスメントをするような奴が出ていたということだろう。


 彼女は黒髪に深海の色を内包した瞳をしていた。一番前のど真ん中の席に座っていた僕は黒板の前に立ったセルキー少女に目を奪われた。

 幸運なことに昨日僕の隣に座っていた唐傘くんが授業中に暑いからと傘を広げていたせいで後ろの一ツ目さんが前が見えないと抗議して、空席になっていた。セルキー少女は僕の隣の席に座ると、僕の方を見た。


「教科書、見せてくれる?」

「え、あっ、うん……っ」


 上ずった声を出してしまって、僕は思わず口を押さえた。彼女の親戚に日本語が話せる存在がいたみたいで、彼女は授業の内容を少しずつ理解していった。分からない単語を教えているうちに僕がセルキー少女の日常の先生役をすることになった。


「引っ越してきてから家の周りを歩いたことがないの」


 彼女の言葉に僕は翌日には各家庭に配られている地域の地図を学校に持ってきた。ここが学校、ここが森と説明していると彼女は地図の左端の水色の部分に人差し指を置いた。


「ここは?」

「海だよ」

「海があるの?」

「うん」


 彼女の生まれた場所はこの島国と同じく、周りを海に囲まれた場所だ。そして、あざらしの姿になったセルキーは海を泳ぐのだろう。あざらしというのは図鑑で見て知っている。彼女があのような丸く愛らしさを全面に押し出してくるような姿になったら、僕はどうなってしまうのだろう。ただでさえ、表情の乏しい彼女のことを綺麗と思っている僕は心臓を破裂させてしまうかもしれない。


 ただし、僕は彼女にあざらしになってとは頼めないだろう。種族ハラスメントをする奴はクズだ。僕は紳士的な人間になろうと思っているのだ。


「連れて行って」

「海に?」

「ええ。二人で」


 彼女の言葉に思わず地図に視線を落とした。

 この土地の海を、果たして彼女は気に入ってくれるだろうか。白い兎が皮を剥がれたという伝承が残る海だ。


 僕は先導しながら、この地に伝わる伝承を彼女に話して聞かせた。皮を剥がれるという部分で彼女が不快になるかもと不安だったけど、振り返っても彼女は無表情で周りの景色を眺めていた。


「あれが海ね」

「うん、あそこに見えるのが海だよ」


 遠くに見えていた海に近づくにつれ、彼女と僕の足取りは軽くなった。目的地に到着した僕は自分が汗をかいていることに気づいた。もう九月とはいえ、まだ夏は残っている。僕が上着を脱いでいると、彼女も上着を脱いだ。白いワンピース姿の彼女が靴を砂浜に脱ぎ捨て、白く泡立つ波打ち際へと足先を突っ込む。


 僕はごくりと唾を呑み込んだ。

 海に入るのだろうか。

 彼女はあのふくよかなあざらしの姿を曝して、海を自由に泳ぐのだろうか。


 僕は彼女が歩を進めて、その膝まで海に埋まるのをじっと見ていた。海へと進んでいた彼女はそこで足を止めるとゆっくりと振り返った。彼女の冷たい深海を内包した瞳が僕を映す。


「えっち」

「えっ、いやっ……! ぼ、僕は、なにも……っ!」


 僕は慌てて、首を横に振っているうちに彼女はさっさと海から砂浜に戻ってきて、脱ぎ捨てた靴をひっつかんだ。

 もしかしたら、怒らせたかもしれないと俯いていると、砂浜に視線を落としていた僕の視界に彼女の足先が映る。


「もう少し仲良くなったら、いつか見せてあげる」

「えっ」


 なにを、とは言わずに彼女は満足げに口元を緩めると僕に背を向けて、帰り道を歩き始めてしまった。

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転校生はセルキー 砂藪 @sunayabu

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