第六百三十四夜『逆説的全知全能-Fancy may kill or cure-』

2024/04/19「炎」「カブトムシ」「ねじれた山田君(レア)」ジャンルは「王道ファンタジー」


 壁面へきめんつるが這った、どことなく幻想的な雰囲気の、古風な映画かアニメで見る様なおまじないの品々を取り扱う小さな小間物屋があった。

 店内には、飾り気の無いシンプルな黒のイブニングドレス風の姿で墨を垂らした様な黒髪が印象的な店主と客とが居た。

 客が注視しているのは商品棚に置いてある、十重二十重に封がしてある分厚い百科事典の様な書籍しょせき

「その本が気になるのかしら?」

 店主の女性は、客にそう話しかける。

 何せ十重二十重に封じられている辞典なんてあたら誰だって目線が行くだろうし、そんな商品があったら客は目線が行くのが必然だろう。

 しかしこの客はちがった。

 この客は十重二十重に封がしてある辞典に目が行ったのではなく、この辞典の内容に目が行っていた。

「ええ、病気大全20240年版。面白いミスプリントだなと思いまして」

 客の態度たいどは言葉とは裏腹に、ミスプリントを面白がっていると言うより、ミスプリントを惜しがっている様であり、それが本当ならどれだけ良いだろうか! という意思が感じられた。

「その辞典ね、ミスプリントでないと言ったら信じるかしら?」

「ははは、面白い冗句ですね。だって20240年版ですよ? それが本当ならば、幾ら払ってでも買わせていただきますよ!」

 客の言葉に偽りは感じられない。

 むしろ店主の言葉に対して食いかかると言うより、同意を得たくて冗句を冗句で返していると言ったところか。

「信じるも信じないもあなた次第。でも、うちに置いてある商品は全てうそだと思うのなら、返品も受け付けます」


  * * *


「それで、その商品は売れたんですね」

 どことなく刃物の様な印象を覚える、詰襟姿つめえりすがたの従業員の青年が、店主の女性に言った。

「ただ、一つ疑問があるんですが、何で厳重に封がしてあったのですか? 未来の病気について書いてあるだけなんですよね?」

 従業員の青年の言葉に、店主の女性は目を細めて言った。

「ええ、カナエの言う通り、あの辞典には昔知識ちしきとして失われた病気から未来の未知病気、誰もが知ってる教科書にっている疫病も最先端の流行り病も載っているわ」

 店主の女性は従業員の青年の言葉を肯定したが、しかし従業員の青年は未だ腑に落ちない様子を見せる。

「それで、それが何で封をしている形で?」

「ところでカナエ、肩凝かたこりって日本以外には単語として存在しないのを知ってるかしら?」

「え? 初耳です」

 従業員の青年の反応に、店主の女性は事が思った通りに運んだ笑みを見せた。

「一応肩が凝る事はあるでしょうけれども、とにかく肩凝りという単語は日本にしか無いし、ともすれば肩凝りという病状を知らない人も大勢居るわ。まるで、外国には肩凝りという病気が存在しない様にね」

 どうでもいい話にも聞こえるが、従業員の青年は気が付くと固唾かたずを飲んでいた。

「つまり、あの辞典は外国や過去や未来の病気を網羅もうらしているって事ですか……でもやっぱり分からないです。なんでそんなすごい本を何重にも封印してたんですか?」

「それがね、その国の文化に適応する事を『外国人になる』って表現をする事が度々あるのご存知かしら? エチオピア人は腹痛を外国人になると表現する事があったり、電話越しにお辞儀をする動作の事を日本人になると言ったりするわ」

 店主の女性は楽しそうに語るが、従業員の青年は今一つ理解が及ばない。

「はぁ、それも病気と関係あるのですか?」

「ええ、日本で日本人らしく暮らしていると肩凝りを発症する外国の人も居るらしいわ。肩凝りという未知の病気が未知でなくなった結果、容易に肩凝りという未知の病気にかかる様になってしまった事になるわ」

 従業員の青年は、今になって店主の女性が件の辞典を封じている理由に合点がいった。あの辞典は読めば読むだけ、未知の病気に罹患りかんする可能性が出て来るのだ。

「肩凝りが身近じゃないというなら、火傷やけどなんかが適切かしら? 火やねつが一般的じゃない動物からしたら、火傷なんて山火事でも無かったらしないでしょう? 人間は火や熱を道具にしているから火傷を知っているの。動物を例えに使うのが嫌なら、産業や鉱業、大気汚染や鉱毒なんかが適切かしら?」

 従業員の青年の脳裏には、過去から未来までの様々な未知の病気が浮かんでは消えた。

 身体が壊死したり、変色したり、巨大な吹き出物や角や癌細胞が生じたり、それらが感染したり、想像するだけでも気分が悪くなる様な想像だ。

「その本、読んで大丈夫なんですかね?」

「さあ、分からない。私は読みたくないから封をしたのですから」

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